第18話 漂流1日目 8月18日


 私は名取から海に飛び込んだあと、急いで部下を探しました。


 南洋の海ですので海水の温度は冷たくなくて幸いでしたがこの日の海はとても時化ていて天気も悪く、5メートルほどの大きなうねりが何度も襲ってきて、いかに泳ぎが達者な海軍の兵士といえども何回も水を飲まされるような悪状況でした。


 私にとって乗っていた艦が沈められたのはこれで3回目なので心に少し余裕がありましたが他の者達は初めての経験の者もいたのでそれが心配でした。


 そこで真っ先に考えたことはとにかく部下が離れ離れにならないように急いで自分の回りに呼び寄せることでした。


 波のうねりの関係で自分の浮いている周りが山のように盛り上がったときには漂流している全体の人数がわかります。


 状況を確認するとだいたい300名ほどが泳いでいて、そのまわりには沈む時に艦から放出したカッター3隻と内火艇というボート2隻、いかだが多数が目に入りました。


 カッターというのはみなさんも映画「タイタニック」の最後のシーンなどで見たことがあると思いますが大きな船が沈んだ時に降ろされる乗員救助用の木でできたボートのことです。


 船の端を、なたで切ったようにカットされている形状からカッターと呼ばれます。


 商船や客船はもちろんですが海軍の軍艦にもこのカッターは備えられており沈没時の訓練では必ず艦が沈む前にロープを切って海に浮かべるよう教育されていました。


 名取に装備されていたカッターは長さ9m、幅2.5m、重さ1.5トンで45名乗り、左右合計12本のオールがついていました。


 操縦方法は1本のオールに2人ずつが担当して、通常では1人の艇長の指示で24名が漕ぎ、その他の20名が余った空間で次の交代まで休憩できるように設計されています。



 波間で漂っている隊員たちに階級の上のものが「全員おれのまわりに急いで集まれ」と声をかけて波間に次第に1つの集団が形成されていきます。


 そして大きくなった集団は別の大きな集団と合体して一かたまりになり、近くに浮いている無人のカッターに近づいて怪我人から順番に乗るように指示が飛びます。


 カッターに乗り切れなかった人たちはエンジンのある長さ11メートルの30名乗りの内火艇2隻と急ごしらえのいかだに分乗しましたが内火艇の一隻は艦から海に降ろしたときに損傷したようでまもなく沈没してしまい、もう一隻はエンジンの故障で波によって遠くへ運ばれて行ってしまい次第に見えなくなってしまいました。


 エンジンがかからなければオールで漕ぐことも帆で進むこともできないのが内火艇の欠点です。


 戦後聞いた話ではこの内火艇はその後漂流中にフィリピンに向かうアメリカの軍艦に見つかって全員が捕虜になったそうです。


 エンジンがかかればロープで引っ張ってもらおうと唯一頼りにしていた内火艇を失ったわれわれカッター3隻といかだ集団はなんとか一箇所に集まりロープで固定して今後のことについて相談しましたが「とにかく今日はこの場にとどまり、1人でも多くの漂流者を助けよう」ということで意見がまとまりました。


 さらに名取の久保田艦長と補佐していた副長が艦とともに亡くなった今、艦内で航海長であった27歳の小林英一大尉が3隻といかだ集団の指揮を執ることに決まりました。


 そして3隻のカッターにはそれぞれ大尉クラスの仕官が艇長となり総指揮官の小林大尉の命令を受けて行動をすることも決まりました。


 当時通信長であった大尉の私も艇長の中の1人に選ばれたのです。


 天気の悪かったこの日は一日中漂流者の救出作業に明け暮れ、最終的には約200名の兵士がカッター3隻といかだに分乗しました。


 またこの日は非常に波が高かったので横波で転覆をおそれた私は「シーアンカー」の作成を提案しました。


 「シーアンカー」とは海碇ともいい文字通り海の中の碇で波間に漂う船を安定させるために考案された道具です。


 私の提案に賛成してくれた小林大尉は残りの2隻にも「シーアンカー」を作るよう命令しました。


 さっそく真っ暗の中で私はカッター内にあったスリングという重い機材と漂流していた木材で「シーアンカー」をつくりましたがその時に兵学校で習った「もやい結び」がしっかりできたので「本当に教育は大切だな」と実感したのです。


 兵学校の教官の「ロープの結び方は40種類あるがこのもやい結びだけは死んでも忘れるな」との言葉で私達は目をつぶってもこのもやい結びはできるように訓練されていたのです。


 このにわかづくりの「シーアンカー」によってカッターはうそのように横揺れがなくなりました。


 これで横波に対しては抵抗力ができましたが漂流時に海水にぬれた軍服が夜の寒い気温に触れて体力を奪うのをぶるぶる震えながら夜明けを待つのは地獄のようでした。


「早く朝よ来い!」


 私は寒さに震える隊員たちを見ながらそう念じたものです。


 カッターにいる私達さえそのような状況でしたので半身を水に浸かったまま漂っているいかだの乗員の寒さと疲労は想像を絶するものだったでしょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る