第13話 「なまけもの」退治
ホーチミン市役所はフランス統治時代の面影を残したおしゃれな建物である。
多くの観光客が一番集まり写真撮影をしている牧歌的な光景がいつも見られる。
しかし俺にとってここは美しい外観とは裏腹にいまわしい「古戦場」なのだ。
一時期あのきれいな市役所が難攻不落の城塞に思えたことがあった。
いまでも前を通ると古傷が痛み出すほど「へとへと」経験をさせられた過去がある。
15年以上前、まだ日本とベトナムを3ヶ月単位で行ったりきたりしていたころの話だ。
俺は日本とベトナムの企業を繋ぐべく投資コンサル会社の設立を考えていた。
日本では法人設立は今では1円の資本金からお手軽にできる簡単なことであるが社会主義のベトナムではまずこの法人設立と言うのが我々外国人にとって大きな壁になる。
それとすべての職種にライセンスが必要なので会社設立とライセンス取得の同時並行作業となる。日本でライセンスと言えば金融、放送、学校などごく限られた分野でしかないがベトナムでは「投資計画局」というわけのわからない部署がこの発行の判断と許可を行う。
日本人がベトナムで法人の設立をするときは主に3通りある
1 会社法に強い弁護士に当たる
2 会計士に頼む
3 コンサル会社に頼む
俺はこの3番目のコンサル会社をやろうとしていたので、誰かを頼らずに自らの力でやろうと思った。
なぜならそれができて初めて他人の法人設立のコンサルが出来るのであるからだ。
俺は古戦場のホーチミン市役所の中の投資計画局に行き、投資コンサルのライセンス発行の申請と同時に法人設立の手続きを行った。
このころはまだベトナムがWTOに加盟していないときで外国人の法人設立はきわめてハードルが高い時代であった。
しかもこの担当者がまたお世辞にも別嬪さんとはいえない部類に入るオールドミスであった。
しかも動作がのろい。動物にたとえると「なまけもの」を連想させる。
さっきも言ったように俺は3ヶ月毎に日本とベトナムを往復しているころだったので、書類を提出して彼女に聞いた。
「いつライセンスが降りますか?」
「3週間後です」
「3週間後の何曜日ですか?」
「曜日はまた連絡します」
「そのあたりで日本に帰国するのでできたら今知りたいのですが」
「それは上が決めることですのでわかりません」
にべもない返事、「なまけもの」の本領発揮。
まあ、とりあえず今回ベトナムにいる間にライセンスが下りるであろうと、まだベトナムでの戦い方に不慣れな俺は安易に考えた。
今思えば大甘である。
3週間が過ぎてそろそろ日本に帰らねばならない。
しかし「なまけもの」からの連絡が無い。
通訳のフォン君に確認するように電話させる
「電話しました、来週になるそうです」
「来週?来週はおれは日本だぞ、で来週のいつだ?」
「わかりません、聞いたけども上の判断だそうです」
「では、おれが日本いる間におまえが行ってもらってきてくれ」
「だめです本人のサインが必要です」
「うーん」
しばらく考えて飛行機のチケットを変更して滞在を1週間伸ばした
その1週間後の月曜日
「おい、まだ『なまけもの』からの連絡は無いか」
「ありません」
「今から市役所に行くぞ」
「え、なんでですか?、まだ出てないんですよ」
「とにかく、来い!」
いやがる通訳のフォンの耳を引っ張って市役所についた
奥の机で座る「なまけもの」に向かっておれは叫んだ。
「3週間待ったが、さらに1週間待たされた、いつできるのだ?」
いやがる通訳にそう言わせた
「たぶん明日でしょう」
「なまけもの」がけだるそうに答える。
「わかった明日また来る」
翌日、連絡がない
「今から市役所に行くぞ」
「え、なんでですか?、まだ連絡がきてないんですよ」
「あの『なまけもの』は、今日と言ったから取りに行く!」
「しかしできてないかも」
「そんなの関係ねえ!」
当時の流行セリフであった
「おい、なまけもの!今日もきたぞ、書類はできたのか?」
「上の人がハノイ出張なのでできません」
「たしか昨日は、今日出来ると言っただろうが!」
「しかし上が決めることなので無理です」
「よし決めた!明日から朝一番からここに来て、毎日あんたの退社時間まで座り込む」
「そんなことをしたら気分を害してライセンスが下りませんよ。ライセンスが降りなければ仕事が出来ません」
「かまわん、降りなくても現状と何ら変らん、さいわい仕事が無いから時間だけははある」
翌日から3日間俺は弁当持参で「なまけもの」の前の椅子に座り込み作戦を敢行した。
目の前の「なまけもの」とたまに目線が会い火花が散る。
こう粘って見ると本当に顔まで「なまけもの」に見えてきた。
3日目の夕方、さすがに「なまけもの」も参ったのであろう。
「やっとハノイから帰ってきた上から許可が出ましてライセンスが降りました。ここにサインしてください」
その後「なまけもの」の後ろに座っていたおっさんがおもむろにこっちにやってきて、先にまずサインをしてその横に私がサインをする。
「このおっさんがずっと言ってた上の人か?」
「そうです彼が全部決めます」
思い返せばそのおっさんはハノイなどは行かずにずっと「なまけもの」の後ろに座っていた記憶がある。
つまりサインしようと思えばいつでもできたのである。
それをくそ忙しい人間に対してああだこうだ言いやがって・・・・
まあ怒り心頭であったがせっかく取ったライセンスを反故にされるのもいやなのでそこはおとなしく帰ったのである。
ベトナム侮りがたし!
なまけもの侮りがたし!
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