第二章 逃げた黒猫と転校生 8
職員室を出て数メートル歩き、立ち止り、扉を開く。「女子更衣室」白いタイルとロッカーの並んだその部屋には誰もいなかった。意味もなくきょろきょろと頭を動かし観察し、カーテンを閉め、一番端のロッカーを開ける。疲れた、と呟きながらセーラー服のスカーフに手をかける。
まさか、今日というこの日に遅刻をするとは思わなかった。本来ならば、決められた時刻に起きて決められた時間に到着をするはずだった。
(まさか、目ざまし時計が壊れてるなんて思わなかった……)
なおかつ、あまりに焦っていたために、乗り込む電車を間違えるとも思わなかった。
あまりの情けなさと恥ずかしさで顔を紅潮させながら上着を脱ぎ、ハンガーに掛ける。
目を瞑ると目の前に闇が広がって、その闇の間に煌びやかな金色が混じる。
(まさか、人とぶつかるなんて……)
目の眩むかのような、月のような金色と、宝石のような青い瞳。あまりに突然のことで、うまく判断することができなかったが、恐らくこの学校の生徒であろう。
(海外の方でしょうか……)
最初はただ単に髪の毛を染めているのかと思った。が、瞳の色からしてその金色も本物なのだろう。流暢な日本語で話していたのでハーフか何かかと自分で勝手に見当をつける。
(綺麗な色でした)
熱を持った頬を両手で包み、ほうっと感嘆の息をつく。自分にはない、眩いばかりの黄金色。そのままの格好で記憶の中の色に焦がれ、鳥の囀りで我に返る。
「早く着なくちゃっ……」
スカートのジッパーに手をかけて、いそいそと着替えだした。
大河内貴は廊下を歩いていた。
「くっそ……あいつ、おもいっきし噛みつきやがって」
授業中の廊下は静かだった。音といえばせいぜい教室から漏れる教師の声や校庭から聞こえてくる足音くらいだ。彼は血の出る親指を抑えながら、教師に見つからぬよう抜き足差し足ひたひたと歩いていた。
指を噛んだのは、先ほどまで追いかけっこをしていた黒猫だった。気を抜いた瞬間に脱げた皮靴を片方持っていかれ、掴まえたら噛みつかれた上に引っ掻かれた。(その革靴は去り際にいらないとばかりに放り捨てられた)
(やべ、なかなか止まんねぇ)
気丈な黒猫は、皮の厚い彼の指先を相当な力で噛んだらしい。小さく空いた穴からはじゅぶじゅぶと血の池が溢れている。
(そういや、更衣室に貰ったバンドエイドあったっけ)
生々しい鉄の味を舌の上に感じながら、友人に貰った絆創膏の存在を思い出す。いつ貰ったのだか正直記憶が怪しいのだが、ないよりはましかもしれない。
そんなことを思いながら、彼は更衣室の扉を開けた。
扉を開けて――
「……は?」
「え?」
声にならない悲鳴が、校舎全体に響き渡った。
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