第二章 逃げた黒猫と転校生 4

(問題はさ)

 ぴり、と綺麗に包装された包みを開き、心の中でそう呟く。

(チョココロネはどうやって食べるのか正解か、ってことだよぁ)

 広い学校の敷地内の、体育館のその後ろ。

 飴やガム、下手をすれば時に煙草の吸殻が散らばっているようなその場所に大河内貴は座り込み、一人桜を見物していた。

 場所自体はあまり良いとは言えなかった。元々、滅多に人間の入り込むことのない場所だ。いるとすれば不良かヤンキーか――以前、同じように彼がぼんやりしているところを絡まれて一通りたたきのめしてから、それさえも少なくなったのだが――こうして煙草の吸殻が散らばっているところを見てみると、知らない間にそれらの出入りがあるということかと訝しる。

 日本独特のヤドカリの形をしたチョコレートのパンを取り出して、それを目の前に掲げ、ほんの数秒桜とこげ茶のコントラストを楽しむ。尖っている方を上にして下にして、思考の末に底に当たるであろう厚みのある方を指で摘まみ、皮を剥くようにしてそれを裂いた。

 適当な場所でパンの部分を引きちぎり、チョコを付けて口の中に放り込む。

 お気に入りの場所だった。誰も来ない、何に邪魔をされることもない。彼だけの、たった一人の場所だった。

 カシャン、というのは彼がフェンスに身を委ねるその音だ。

 目をつぶり、浅く深く呼吸をして、桜の花が舞い散る音を体で感じる。桜の花は薄くて軽い。花弁というのは大体のものがそうなのだろうが、彼は桜の花びらは、ひときわ薄くて儚いものだと思っていた。そしてそれはおそらく事実だろう。

 そんな紙切れ程度にも満たないものが、果たして音を立てるだろうか。

 答えはNOだ。けれど彼は、それらの音を感覚として感じることが可能だった。

(チョココロネはうまいけど、この形と食べにくさが難点だよなぁ)

 とてもよく晴れた、青い春の空の下。狭い室内で机を並べる同級とは対照的に、菓子パン片手に青い草むらに腰を下ろし、絵画のようにして広がる春の光景を前に、そのようなことをひとりごちた。

(桜っていうのはさぁ)

 パンをちぎり、チョコを付けては放り込み、ひらひらと舞い散る桜を眺める。

(やっぱり日本の国花なんだよな。春で桜、っていうと当たり前みたいな気がするんだけど。やっぱ、国花には国花たる所以があるんだよ。紛うことなき、女王の花、っつうか。他のものとは、全然比べ物にもなりやしねぇや)

 『タカちゃんは、こんな顔してるけど案外地球にやさしいいい人だよね』

 と言うのは黒髪黒眼の幼馴染。

 突っかかるものは色々あったが、つまるところ彼は植物が好きだった。

 四季折々の花を咲かせ葉を光らせるそれらは彼にはとても魅力的で、また、自然の中で力強く育つそれらは、たまらなく彼を引き寄せた。

 音が聞こえる。花弁が舞い、葉が擦れて、太陽が光る。

 睡魔におぼれかけていた彼の脳裏に浮かんだのは、なぜか「女の子可愛いよ」と体をくねらせる長髪の幼馴染の声だった。

 タカは瞬間的に目を開き、拳を地面に叩きつける。

 ばさりっ!

 深い緑の葉が宙を舞う。

 叩きつけたその一部のみ雑草が散り、小さなミステリーサークルを作っていた。

 タカは頭を抱えずるずると脱力をすると、はぁ、と小さくため息をついた。

「別に……俺だって……」

 興味がないわけじゃ、ないけど、と呟く。

タカとて、健全な高校生であり、少年である。

 それなりに異性への関心もあり、興味もある。けれど、それが実際の恋愛となると話は別だった。

 女の子のことはそれなりに可愛いと思ったこともある。いいと思った子もいたし、気になった子もいた。

 問題は、それが「興味」以上のものにならなかったとそういうことだ。

 その点、直人は非常に恋多き――言い方を変えればかなり軽い男だった。

 変なところ生真面目だよな、というのは直人の言葉。

 それは彼も自覚していた。

 いつの間にやら最後の一かけらになっていた――ほとんどチョコレートの付いていない部分を口の中に放り込み、牛乳と共に流し込む。

 乱雑に置かれた鞄を開き、菓子の箱を一つ取り出す。

 開け口に沿って蓋を開き(これは彼の奇妙に神経質な一面だ)また丁寧に袋を開けてチョコレートのかかった棒状菓子を、一本口に含ませた。

(俺にだって、多分そのうちチャンスがあるんだよ)

 ぽりぽりぽりと前歯で小刻みに噛み砕く。

 かしゃん、というのは背後のフェンスの軋む音。

(例えば、遅刻した転校生とぶつかったり)

 しゃくしゃくしゃくと前歯だけを動かして、まるでハムスターのように噛み砕く。

(可愛い女の子に一目ぼれしてみたり)

 あっというまに呑み込んで、更に一本追加する。

(ま)

 ひらひらと落ちる桃色の花。それが着地をする瞬間まで見届けて。

(そんなうまいこと、現実にあるわけないんだけどさ)

 ポッキーの中身が半分ほどに減った時、彼は草原の上に佇んだ黒い猫の存在に気がついた。自身の髪色と同じ、金色の瞳。生命力に満ちた緑の草と闇のような漆黒の毛、月のような黄金の瞳は春の空の下奇妙なコントラストを演出していた。

 その、文字通り三日月のような瞳が彼のことを――正確にいえば、彼の手元の棒状菓子を見つめている。彼は動物が好きだった。

 座りこんでいたコンクリートから立ち上がり、腰を屈め、距離を縮めてちょいちょいと手招きをする。棒状菓子くらいなら、猫に食わせても何の影響もないだろう。

 野良猫は警戒心が強い。威嚇をするかのようにその金色を細め、吊り上げ、様子を窺うようにして少しずつ少しずつ歩み寄る。

 と――

「ぅわっ!」

 それは一瞬のことだった。力強く地面を蹴りあげた野良猫は、まるでロケットのようにして飛び出した。それから、彼がコンビニで購入をした袋の中につっこんで、風のようにして駆けだした。あまりに突然のことに呆然とし、唖然とする。黒猫の疾風と驚愕により地面に落ちたポッキーの箱に視線を落とし、コロッケパンの袋を加える黒猫に碧眼を見開いた。

 緑の草はらに佇む黒猫は、してやったりとばかりに目を細め、それから文字通り、脱兎のごとく駆けだした。

 猫が突っ込んだ後先には、半透明のビニル袋から先ほどのチョココロネの空の袋が顔を出し、呑みかけの牛乳が白い液体を流して倒れている。

 尻もちをついたまま、彼はそれらの光景を一瞥し。

「あんにゃろ……」

 彼は整った口元を歪めると、青い地面を蹴りあげた。

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