第一章 太陽の少年と異国の姫君 5

 ヨハン・ウォルガンは、先代の当主の代から努めている、かなり古株の使用人だった。

 バッカス教師が母親代わりならば、ヨハンは第二の父親――むしろ祖父というべきか。

 アーサーはそれほどまでにヨハンになつき、愛情を沸かせていた。

 何しろヨハンはよくできた人間だった。温厚で、穏やかで、決して怒ることのない。

 父に怒られた時、バッカス教師に説教を受けた時、誰にも頼ることのできないとき。ヨハンに頼ることが当たり前であった。

「あの子、笑わないんだ」

 ヨハンは使用人長をしている。屋敷の掃除をし、片づけをして、時に庭の掃除をする。

 長年勤めているだけあって、信頼も信用も他の使用人の倍以上あった。

 今現在のヨハンの仕事は、エドワード・ドナルド専用ガーデンの手入れである。

 この屋敷の当主でありアーサーの父親であるエドワードは、専用の庭園の手入れは自分もしくは自分の認めた人間にしか任せない。

 そのエドワードが認めた数少ない人間の一人が、ヨハン・ウォルガンであった。

「あの子、といいますと?」

 背中越しに返事が返る。

 ずるり、というのはヨハンのはめた軍手が名もない雑草を引き抜く音。

 いつも着ているスーツではない、適当な作業着に身を包み、腰を屈めて土を弄っている。

 アーサーはヨハンの背中を見つめ、小さく拳を握りしめた。

「あの……日本の……」

「ああ」

 ずるん、と再び根っこを抜き取り、バケツの中に突っ込んだ。

「旦那様のお客様の……ええと、ボタン様、と言いましたか」

 アーサーはこくん、と無言のままに首を上下に動かした。

「あの子、いつも無表情か、泣きそうな顔してるだけで、全然ちっとも笑わないんだ。何をしても何を話しかけても笑わないししゃべらないんだ」

 最初は、言葉が通じないだけなのかと思った。

 けれど、あそこまで表情を変えないのは、さすがに少しおかしい。

「なぁヨハン。どうすればあの子、笑ってくれるかなぁ?」

――笑った顔が見てみたいんだ。

 いつも不安そうな、悲しそうな顔してるから。泣かせたから。俺じゃぁ、やっぱりだめなのかなぁ?

「坊ちゃまは」

「え……?」

「ボタンさまと、仲良くなりたいのですね」

 ヨハンは感慨深げにそういうと、ゆっくりと立ち上がり泥の付いた軍手を置いた。

 それからズボンのポケットに手を入れると、手の平サイズの小包を取り出した。ビスケットだった。

「日本のレディーは、とても控えめで恥ずかしがり屋と聞きました。けれど――」

 ヨハンはアーサーの金色に右手を置き、左手を口元に当てウインクをした。

「レディーが甘いものを好きだというのは、どこの国でも皆同じでしょう」

 ――ねぇ、坊ちゃま?

 あまり乱暴なことをいってはいけませんよ。異国のお嬢様は、シャイな方が多いようですからね。

 その時、庭園の手入れをしていたはずのヨハンがなぜビスケットの袋を持っていたのかわからない。けれど、アーサーにとってそんなことはどうでもよかった。

「――っつ! ありがとう!」

 高々とそう叫ぶと、アーサーは土が荒れることも気にせずに走り出した。

 ヨハンは、飛ぶように走る金色を微笑ましげに眺めていた。


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