第一章 太陽の少年と異国の姫君 3

「え……と……」

 茂みを抜けたそこにあったのは、父の――父が「自分の場所」として定め、特に徹底的に管理をしている庭園だった。他の場所よりもひときわ広く、また花の種類も数も多い。

 アーサーはその庭園の、茂みの間から腰から上を突き出して、完璧に整えられているはずの庭園に佇む少女のことをみつめていた。

 見たことのない少女だった。黒々とした、腰ほどもあるストレートヘアー。漆黒の瞳は丸く大きく、今にもこぼれて飛び出てしまいそうだ。肌の色が違う。自身のものよりいくらか濃い――それでも、黒人のような色ではない。朝食と共に出される、バターの色にもよく似ていた。

 不思議な服を着ていた。赤と青の中間のような色――それを紅色ということを少年は知らない――を何枚も羽織ったかのような上着と、やたらと長く余裕のある袖は、ぶかぶかとして頼りない。やたらと重そうな、藍色のスカートなのかキュロットなのか。こちらもまた、やたらと動きつらそうな代物だった。

 全体を総じて、見覚えも見たこともない人間だった。少年はまだ知ることがなかったのだ。その着物の名前が袴という名前ということ、少女の手の中にある布製のボールが、お手玉という名前であるということも。

(妖精か?)

 それが、アーサーの中における彼女に対しての第一印象であった。少しばかり――いや、かなり発想も唐突で、飛びすぎていた。しかし、見たこともないような服装に身を包んだ見知らぬ少女は、少年にとってそれほどまでの衝撃を与えていた。

 少女は、アーサーと目があった状態で数秒立ち尽くし、それからその黒い瞳に動揺を浮かべ、手中の手毬を胸の中に抱きこんだ。ぎゅ、と細い肩を縮こめて、助けを求めるようにして周囲を見渡した。首を動かすと同時に、漆黒の髪がサラサラ揺れる。

(違う、人間だ)

 アーサーはがさがさと茂みから全身を抜けだすと、立ち上がり体中についた泥や草を叩き払った。ずきずきというのは先ほどガウェインに付けられた手の傷だけれど、騎士はこれくらいでは泣きはしない。

 アーサーは髪の毛についた木の葉を落とすと、目の前に佇む少女に声をかけた。

「おい、お前、誰だ」

『坊ちゃまは、少しばかり言葉使いが悪いですね』というのはバッカス教師の言葉だった。教師だけではない。言葉の注意は両親共に受けていたし、ヨハンにまで注意を受けることもたびたびあった。

 言葉使いが荒いのは、彼の性格のせいである。けれど、威圧感と刺は別だ。

 その言葉に隠された圧力に、少女がびくりと体を震わす。近寄ってみると、見た目よりも更に小さい。顔も小さく首も細い。

「誰だっていってんだよ!」

 二回目の怒涛――

 少女は更にきつく手毬を抱え、肩を小さく縮込めた。『お前は誰だ』――返答はない。

 彼女はうなだれて、下を向き、一直線に揃えられた前髪をだらりと垂らす。白いふっくらした頬に、黒い睫毛が影を落とした。黒い瞳がゆらゆらと波を作る。

 返ってこない返答にしびれを切らし、再度声を荒げようとした瞬間に――

「こら、アーサー!」

「わっ!」

 口を大きく開こうとした少年の言葉を遮ったのは、彼の父親の声だった。

 いきなり発せられたその声に、アーサーは思い切り肩を跳ね上がらせた。それとほぼ同に首根っこを掴まれて、地上から30センチ浮上する。

「お前、父さんがいないことをいいことに、好き放題をしまくっているそうじゃないか! まったく、この腕白坊主のきかん坊め!」 まるで猫のように引き上げたままぽかん、と一発、拳で息子の頭を叩く。

「うわぁぁぁ! ごめんなさぁぁい!」

「本当にお前は暴れん坊だな! バッカス先生やヨハンに迷惑をかけるだけじゃなく、お客様にまで迷惑をかけるとは!」

「ごめんなぁぁぁい! ――って、」

 吊るされた状態で頭を抱えるアーサー少年。半泣きで謝罪の言葉を述べるが、ひとつの単語に反応し、ぱっ、と表情を切り替える。

「お客様?」

「ああ、そうだ!父さんのお客様の、大事な大事なお嬢様だ! ほらみろ!泣いているじゃないか!」

 と言う父の指先では、「父さんのお客様」に抱きついてぐしぐしと涙を流している、黒髪の少女が存在していた。


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