道経 蜂屋邦夫釈概要
ここには原文、及び「蜂屋邦夫氏の解釈を 0516 なりに解釈したもの」をひとところにまとめておきます。「蜂屋邦夫氏の解釈そのもの」が載っているわけではないことにご注意ください。
1章
ここで語る道は、道路や聖人としての道徳、を語るわけではない。道に対し、無欲で接すればその奥深い境地がわかるが、欲を抱いて接すれば表向きしかわからない。奥深いものも表向きのものも、共に道から生まれたものだが、それぞれ別の名がついている。奥深いものの、さらに奥底から、あらゆる物は生まれてくる。
道可道,非常道。名可名,非常名。無名天地之始;有名萬物之母。故常無欲,以觀其妙;常有欲,以觀其徼。此兩者,同出而異名,同謂之玄。玄之又玄,衆妙之門。
2章
世の中の人々が感じる評価は、信ずるに足りない。様々な要素は、比較されるからこそ生まれている、相対的なものである。道という絶対的なものは評価しようがないため、道を知るものはことさらに道について伝えようとはしない。聖人は知らず知らずの内に功績を成し遂げるが、その功績に寄りかからない。だから、その功績はなくならない。
天下皆知美之為美,斯惡已。皆知善之為善,斯不善已。故有無相生,難易相成,長短相較,高下相傾,音聲相和,前後相隨。是以聖人處無為之事,行不言之教;萬物作焉而不辭,生而不有。為而不恃,功成而弗居。夫唯弗居,是以不去。
3章
人君が多くの欲望を持たなければ、人民は乱れなくなる。聖人の政治は、心を単純にさせて腹をいっぱいにさせ、こころざしを弱めて筋骨を丈夫にさせる。小賢しさを寄せつけないようにする。民を、常に無為の境地に置くのである。
不尚賢,使民不爭;不貴難得之貨,使民不為盜;不見可欲,使心不亂。是以聖人之治,虛其心,實其腹,弱其志,強其骨。常使民無知無欲。使夫知者不敢為也。為無為,則無不治。
4章
道は空っぽのように見えて、尽きせることなく働き続けている。無限大の世界における働きは、一見静まり返った水面を見るかのようだ。その働きは万物の根源につながっている。世間で万物の根源と呼ばれている天帝ですら、道の子孫であるとしか思えないのだ。
道沖而用之或不盈。淵兮似萬物之宗。挫其銳,解其紛,和其光,同其塵。湛兮似或存。吾不知誰之子,象帝之先。
5章
天地はあらゆる物をただそこにあるものとしてのみ扱い、ことさらに特別扱いはしない。聖人も同様である。天と地との間には、何もない。しかし、尽き果てることもない。それらは動き、万物を生み出す。間隔、余白の確保が重要である。詰め込もうとすれば遊びがなく、思考も、動作も、しばしば鈍ってしまう。
天地不仁,以萬物為芻狗;聖人不仁,以百姓為芻狗。天地之間,其猶橐籥乎?虛而不屈,動而愈出。多言數窮,不如守中。
6章
道、すなわち天地の根源は女性の陰門に似ている。いつまでも尽きせぬ泉のようであるためである。
谷神不死,是謂玄牝。玄牝之門,是謂天地根。綿綿若存,用之不勤。
7章
長らくに身を保つには、ことさらに我が身を貴ぼうとしないことだ。我が身を尊ばないからこそ、結果として尊ばれることとなる。
天長地久。天地所以能長且久者,以其不自生,故能長生。是以聖人後其身而身先;外其身而身存。非以其無私耶?故能成其私。
8章
道のありようは水に似ている。分け隔てなく与え続け、争わず、低くに居場所を定め、静かにたたずまい、人に思いやりを持って接し、実直に語り、事態は成り行きに任せる。水のように振る舞えば、トラブルはない。
上善若水。水善利萬物而不爭,處衆人之所惡,故幾於道。居善地,心善淵,與善仁,言善信,正善治,事善能,動善時。夫唯不爭,故無尤。
9章
多くのものを持てる状態をキープしようとは思わないこと。それを守るためには驕慢になったりもする。そうすれば、その身に災いが降りかかる恐れもあるだろう。成し遂げたら、すぐに身を引く。それが処方というものだ。
持而盈之,不如其已;揣而銳之,不可長保。金玉滿堂,莫之能守;富貴而驕,自遺其咎。功遂身退天之道。
10章
心を落ち着かせ、柔軟で、澄み渡った心持ちを確保する。そのうえで、あたらさかしらに振る舞おうとはしない。それが道と合一化したものが抱く、徳というものだ。
載營魄抱一,能無離乎?專氣致柔,能嬰兒乎?滌除玄覽,能無疵乎?愛民治國,能無知乎?天門開闔,能為雌乎?明白四達,能無知乎?生之、畜之,生而不有,為而不恃,長而不宰,是謂玄德。
11章
空白や余白は、何もないがために「そこにあるもの」の働きの源となる。車輪のシャフトを徹す穴であるとか、皿や鉢のくぼみ、部屋という空間。すべて空白ありきの存在だ。これが無を以て有為をなす、の、最も卑近な例である。
三十輻,共一轂,當其無,有車之用。埏埴以為器,當其無,有器之用。鑿戶牖以為室,當其無,有室之用。故有之以為利,無之以為用。
12章
華美なもの、射幸心を煽るもの、財宝などはひとの心や耳目を狂わせる。これらから縁遠いところにあるよう努めるのが、聖人の有り様であり、指導である。
五色令人目盲;五音令人耳聾;五味令人口爽;馳騁田獵,令人心發狂;難得之貨,令人行妨。是以聖人為腹不為目,故去彼取此。
13章
世間の評判に一喜一憂せぬようにせよ。良い評判も、悪い評判も、こだわれば振り回される。そこから縁遠くあれば、なんの災いがあるだろうか。
寵辱若驚,貴大患若身。何謂寵辱若驚?寵為下,得之若驚,失之若驚,是謂寵辱若驚。何謂貴大患若身?吾所以有大患者,為吾有身,及吾無身,吾有何患?故貴以身為天下,若可寄天下;愛以身為天下,若可託天下。
14章
道は知覚出来ないものであるから、そのありようを語ることはできない。ただ道に従ってなされた過去の諸々ごとを知り、いまを治めるべきである。
視之不見,名曰夷;聽之不聞,名曰希;搏之不得,名曰微。此三者不可致詰,故混而為一。其上不皦,其下不昧。繩繩不可名,復歸於無物。是謂無狀之狀,無物之象,是謂惚恍。迎之不見其首,隨之不見其後。執古之道,以御今之有。能知古始,是謂道紀。
15章
道と合致したものとは、素朴であり、内心を見せることはない。その思いを探るのは、言うなれば、泥水を眺めてその底に何が沈んでいるのかを探るのに似る。果たしてどのようにすればそれを探り当てられるというのだろうか。
古之善為士者,微妙玄通,深不可識。夫唯不可識,故強為之容。豫兮若冬涉川;猶兮若畏四鄰;儼兮其若容;渙兮若冰之將釋;敦兮其若樸;曠兮其若谷;混兮其若濁;孰能濁以靜之徐清?孰能安以久動之徐生?保此道者,不欲盈。夫唯不盈,故能蔽不新成。
16章
心をできるだけ穏やかに、空虚であるべく努める。そうすると変遷するあらゆるものが道に回帰していくのを見出すことができるだろう。そうした根源的なものに回帰することを知るのが明知である。そこに気付かず迂闊に動けば災いを招く。明知さえ抱くことができればあらゆるものを受け入れられ、公平であることができ、地上の王がごとくあることができ、天と接続し、ついには道に至る。そうなれば危険なことなどない。
致虛極,守靜篤。萬物並作,吾以觀復。夫物芸芸,各復歸其根。歸根曰靜,是謂復命。復命曰常,知常曰明。不知常,妄作凶。知常容,容乃公,公乃王,王乃天,天乃道,道乃久,沒身不殆。
17章
政治は民に「それがある」とだけ認識されているのがよく、次いで敬い讃えられ、次いで恐れられ、最悪が侮られる、となる。信義無き政治を民は信じない。為政者が殊更に言葉を発さず、黙々と施政をすることで、民は彼らの地力によって暮らしていけているのだ、と認識する。それが最良のありようである。
太上,下知有之;其次,親而譽之;其次,畏之;其次,侮之。信不足,焉有不信焉。悠兮,其貴言。功成事遂,百姓皆謂我自然。
18章
(十七章からの接続とする)そのため、大いなる道が廃れてから仁義が語られるようになった。知恵が働きだしてから虚偽が横行した。親族が不和となって孝行息子や慈父がもてはやされた。国が混乱したら忠臣が現れた。
大道廢,有仁義;智慧出,有大偽;六親不和,有孝慈;國家昏亂,有忠臣。
19章
聖なる教え、さかしらな考え、仁愛や正義、技巧や理屈。そういったものから切り離されれば、世の中は良くなる。しかしこれらをルールとするには足りない。そこで拠り所を作るのだ。素朴なる心持ちと、私利私欲の少ないことと。
絕聖棄智,民利百倍;絕仁棄義,民復孝慈;絕巧棄利,盜賊無有。此三者以為文不足。故令有所屬:見素抱樸,少私寡欲。
20章
さまざまな学びを断てば、憂いはなくなる、と説いた。だが、それでも他の人々が送るきらびやかな暮らし向きに心動かされることも少なくはない。そして彼らに比べ、なんと自分は沈み込んでいるのだろうか、とも。だが、これこそが道に、すべての大本につながっている証であることを、忘れはならないのだ。
絕學無憂,唯之與阿,相去幾何?善之與惡,相去若何?人之所畏,不可不畏。荒兮其未央哉!衆人熙熙,如享太牢,如春登臺。我獨怕兮其未兆;如嬰兒之未孩;儽儽兮若無所歸。衆人皆有餘,而我獨若遺。我愚人之心也哉!沌沌兮,俗人昭昭,我獨若昏。俗人察察,我獨悶悶。澹兮其若海,飂兮若無止,衆人皆有以,而我獨頑似鄙。我獨異於人,而貴食母。
21章
徳ある人は、道のありように従う。道はおぼろげであるが、その奥にある何か確かなものの存在に、かれは従っている。それは古来より全く変わらないものである。何故私が物事の始まりを見出せるかと言えば、それは道が古よりあらゆるものを生み出している、と知っているからだ。
孔德之容,唯道是從。道之為物,唯恍唯惚。忽兮恍兮,其中有象;恍兮忽兮,其中有物。窈兮冥兮,其中有精;其精甚真,其中有信。自古及今,其名不去,以閱衆甫。吾何以知衆甫之狀哉?以此。
22章
完全であろうとしないからこそ、人は生を全うできる。ものを多く持たないからこそ新たに得られるが、それらを抱えたままでおれば、いたずらに思い悩み続けるだけであろう。「曲則ち全」という昔ながらの言葉は、どうして虚言と言えるだろう。我が身を全うし、天に帰還せよ。
曲則全,枉則直,窪則盈,弊則新,少則得,多則惑。是以聖人抱一為天下式。不自見,故明;不自是,故彰;不自伐,故有功;不自矜,故長。夫唯不爭,故天下莫能與之爭。古之所謂曲則全者,豈虛言哉!誠全而歸之。
23章
道の発する言葉はいくら耳を澄ましても聞こえないものである。嵐や大雨もずっと続くわけではない。天地ですら大声を上げ続けられないのだ、まして人間であれば。故に道に従うものは道と一体になり、徳に従うものは徳と一体になり、失に従うものは失と一体になる。信義無きものは他者より信頼されない。
希言自然,故飄風不終朝,驟雨不終日。孰為此者?天地。天地尚不能久,而況於人乎?故從事於道者,道者,同於道;德者,同於德;失者,同於失。同於道者,道亦樂得之;同於德者,德亦樂得之;同於失者,失亦樂得之。信不足,焉有不信焉。
24章
爪先立つものはいつまでも立ち続けられず、大股歩きのものは遠くまで行けない。同じように、必要以上に自分を大きく見せようとする目論みはムダである。道の観点からは「余り物の飯、無駄な贅沢」というべきもので、忌避されている。故に道にあるものがこれらの行為をすることはない。
企者不立;跨者不行;自見者不明;自是者不彰;自伐者無功;自矜者不長。其在道也,曰:餘食贅行。物或惡之,故有道者不處。
25章
天地より先に生まれた何か、万物の母とも言うべきもの。それが何かわからないが、いまは仮に道とあだ名し、仮に大であると呼ぶ。大なるものは遥か遠くにまで去り、遠くなれば近づく。なので道も大、天も大、地も大、王も大である。しかし王は大の中でも最小。地に従わねばならぬ。地は天に、天は道に従わねばならぬ。道のみが、ただ自ずから有ろうとして有るのである。
有物混成,先天地生。寂兮寥兮,獨立不改,周行而不殆,可以為天下母。吾不知其名,字之曰道,強為之名曰大。大曰逝,逝曰遠,遠曰反。故道大,天大,地大,王亦大。域中有四大,而王居其一焉。人法地,地法天,天法道,道法自然。
26章
重いものは軽いものの根本。故に静かなものは騒がしきものを統べる。行軍の肝は輜重にあるから、君主はどのような長旅であっても輜重車から離れることはない。どれだけ騒がしい場所にあっても、自宅でくつろぐかのように超然としている。大国の国の主であるならば、どうして我が身を天下より軽く扱えようか。軽はずみな行動をとれば身を失うし、みだりに行動すれば君主の地位を失おう。
重為輕根,靜為躁君。是以聖人終日行不離輜重。雖有榮觀,燕處超然。奈何萬乘之主,而以身輕天下?輕則失本,躁則失君。
27章
良き業績を残す人は、ことさらなしわざを残さないものである。無駄なく物事を生かすために、ものを見捨てる、という事がない。これを明知に従う、という。そうしてみると良き人は良からざる人の師と言う事になり、良からざる人は良き人の手助けとなる、と言えよう。師を貴ばず、手助けを大事にしないのであれば、いくら知恵があっても大いに迷う事となる。これが玄妙なる要諦である。
善行無轍迹,善言無瑕讁;善數不用籌策;善閉無關楗而不可開,善結無繩約而不可解。是以聖人常善救人,故無棄人;常善救物,故無棄物。是謂襲明。故善人者,不善人之師;不善人者,善人之資。不貴其師,不愛其資,雖智大迷,是謂要妙。
28章
自らを研ぎ澄まし、高めておきながら、なおも弱者の立場にあることを貫き通す。このような素朴な者をこそ、人は敬い、頼る。そして聖人は、このあらきのような者たちによって世を治める。故に、役割分担だとか言った煩瑣なものは生じない。
知其雄,守其雌,為天下谿。為天下谿,常德不離,復歸於嬰兒。知其白,守其黑,為天下式。為天下式,常德不忒,復歸於無極。知其榮,守其辱,為天下谷。為天下谷,常德乃足,復歸於樸。樸散則為器,聖人用之,則為官長,故大制不割。
29章
天下を治めようとするものが、さかしらな知恵で制御しようとあくせくしようとするのを見てきた。だが天下とは無理に抑え込もうとして、できるものではない。治められる対象であるひとの有りようからして千差万別なのだから、操りきれるはずがないのだ。故に大いなる統治者はさかしらな知恵から離れ、素朴な統治を旨とした。
將欲取天下而為之,吾見其不得已。天下神器,不可為也,為者敗之,執者失之。故物或行或隨;或歔或吹;或強或羸;或挫或隳。是以聖人去甚,去奢,去泰。
30章
よく君主を助けるものは、武力をあくまで目的達成の手段とする。ことさらに誇示することはない。いたずらに強化、誇示を求めれば、やがて衰えを免れることはできぬ。それは道に沿ったふるまいではない。道に沿っておらねば、衰退もまた、早い。
以道佐人主者,不以兵強天下。其事好還。師之所處,荊棘生焉。大軍之後,必有凶年。善有果而已,不敢以取強。果而勿矜,果而勿伐,果而勿驕。果而不得已,果而勿強。物壯則老,是謂不道,不道早已。
31章
戦争とは災いである。故に君子はこれを最低限に用いるものとする。通常の礼は右を尊んでおきながら、戦時に左を尊ぶようになるのは、戦争によって人が死ぬことを悲しむ、すなわち葬礼に従うからである。葬儀を喜ぶようなものを、果たして君子と呼べようか。
夫佳兵者,不祥之器,物或惡之,故有道者不處。君子居則貴左,用兵則貴右。兵者不祥之器,非君子之器,不得已而用之,恬淡為上。勝而不美,而美之者,是樂殺人。夫樂殺人者,則不可以得志於天下矣。吉事尚左,凶事尚右。偏將軍居左,上將軍居右,言以喪禮處之。殺人之衆,以哀悲泣之,戰勝以喪禮處之。
32章
道を支配できるものなどいはしない。王侯がこのことを良くわきまえれば、民はおのずと治まろう。道に基づいて何かをことさらにしようとするには限界がある。その限界をよく弁え、物事をなすがままにしておくのが良いのである。
道常無名。樸雖小,天下莫能臣也。侯王若能守之,萬物將自賓。天地相合,以降甘露,民莫之令而自均。始制有名,名亦既有,夫亦將知止,知止所以不殆。譬道之在天下,猶川谷之與江海。
33章
他者よりも、己を深く知ることに務めよ。そうであってこそ長生きが叶い、死してもまた人の記憶に残り続けよう。
知人者智,自知者明。勝人者有力,自勝者強。知足者富。強行者有志。不失其所者久。死而不亡者壽。
34章
道はあらゆるところにあり、万物は道より生まれ、道に帰っていく。しかし、だからといって道が万物の主人というわけではない。聖人もまた同じようであるから、偉大なのである。
大道汎兮,其可左右。萬物恃之而生而不辭,功成不名有。衣養萬物而不為主,常無欲,可名於小;萬物歸焉,而不為主,可名為大。以其終不自為大,故能成其大。
35章
道に則った暮らしぶりであれば、人々は思いを寄せるようになる。道を守る人はその人たちを損ねるようなこともなく、こうして世は安泰となる。音楽や美食に人は足を止めるものであるが、もとより道が語るものは淡々として味が無い。見よう、聴こうと思っても叶うことはないが、その働きが尽き果てることもない。
執大象,天下往。往而不害,安平大。樂與餌,過客止。道之出口,淡乎其無味,視之不足見,聽之不足聞,用之不足既。
36章
相手を倒したいのであれば、まずは増長させるのが良い。そうすれば自壊する。このような顛末をもたらす観察力を微明と言う。魚を水から出してはならないように、民を治める重要な考え方は、やはりひと目にさらしてはならない。
將欲歙之,必固張之;將欲弱之,必固強之;將欲廢之,必固興之;將欲奪之,必固與之。是謂微明。柔弱勝剛強。魚不可脫於淵,國之利器不可以示人。
37章
道は何もしていないが、常に作用し続けている。統治者がこのような振る舞いをわきまえれば、国は統治されよう。それでもなお民に欲が生じるようであれば、初めて道の理念でもって教化すべきである。
道常無為而無不為。侯王若能守之,萬物將自化。化而欲作,吾將鎮之以無名之樸。無名之樸,夫亦將無欲。不欲以靜,天下將自定。
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