崔浩先生の「老子」ごっこ

ヘツポツ斎

はじめに         

読者諸氏よ、ごきげんよう。

我は崔浩と申す。


此度は、








……老子道徳経?

正気か?



いや、申し訳ない。

とびきりのキチガイ発言を

聞いてしまったものでな。


これまでにも作者は無謀&無謀な超訳を

提示してきたが、ことここに至って、

いよいよおかしくなったようである。



老子道徳経。

一般には「老子」とのみ呼ばれる。


中国の思想といえば、儒の次には

大体登場する系統、老荘思想。

いわゆる道家、道教というやつであるが、

その源流となっているのが、老子である。


万物の源となるナニカを仮に定め、それを

「よくわからんけどとにかくすごいアレ」

として扱い、どうにかアレを感じ取ろうぜ、

と語る。


そのアレを「道」と呼ぶ。

故に「道」家である。



さて、今回作者が何故

この書と遊ぼうと期したか。

短いから、だそうである。


アホか。くたばれ。


この書が短い理由は

いろいろありそうだが、

ここでは「飲茶」氏が

提唱なされた説を採用する。


以下は飲茶氏が著された

「史上最強の哲学入門

 東洋の哲人たち 10 荘子」

よりの引用である。

(※改行は作者の独断である)


 初学者が老子の哲学を

 学びたければ、老子よりも

 荘子から先に学んだ方が

 良かったりする。


 なぜ荘子は、老子より

 わかりやすいのか?

 それはすごく端的に言えば、

「老子は書く気がなかったが、

 荘子には書く気があったから」

 である。


引用以上。すなわち、老子という書物の

短さの理由を言い換えれば、


「いくら言葉を尽くしたところで

 言葉じゃ道について伝わんねーし

 なら最低限の言葉で書くわ(笑)」


となろうか。

ひどい。

すき。



なので、もとより言葉たちの向こう、

「道」との合一を考えてみたところで、

このことわざに帰結しよう。


バカの考え、休むに似たり。


よって道との合一については端から諦め、

言葉たちを、自己に合一させると

どのようになるのか、と考えることにした。



ゆえに、当作品は、

老子「講座」ではない。

老子「ごっこ」である。


ひとりのアホ 0516 が、

老子道徳経のことばを通じて

何を妄想したか、の記録である。


ただし、その遊び方が

少々度を越しておるため、

さすがにこれを

「当ごっここそが真の老子理解だ!」

的に主張していると思われては堪らぬ。


よって各章原文には、併せて

蜂屋邦夫氏釈の概要を

掲載させて頂くこととした。


他先生方の見解は載せぬ。

あくまで、蜂屋氏おひと方のみである。


と言うのも、先賢のお言葉を

マッシュアップし、

より妥当性のある解釈にするなど、

作者のクソ頭では不可能だからである。

ならば下手に多様な解釈を紹介するより、

お一方についてきっちり紹介したほうが

良いであろう。


まぁ、鉢屋氏釈への解釈からして

作者が厳密なせているかどうか、

既に怪しいのであるがな。


実際の老子像については、

やはり、諸氏が直接書物へと

リーチしていただくのが良かろう。


以上を踏まえ、

お付き合いくだされば幸いである。




原文:中國哲學書電子化計劃

https://ctext.org/dao-de-jing/zh


参考文献:

蜂屋邦夫「老子」岩波文庫

金谷治「老子」講談社学術文庫

池田和久「老子 全訳注」講談社学術文庫

小川環樹「老子」中公文庫

福永光司「老子」ちくま学芸文庫

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