道経12 道を感じること
ピカチュウ事件を
諸氏は覚えておろうか。
ド派手な色彩は、却って諸氏の
色覚を奪う。
下手をすれば、意識すら。
ピークリミッターを振り切った音を、
我らが耳は拾えぬ。
ただ、謎の衝撃波を食らうのみである。
ペロッ……これは五石散!
やつは、服用者に万華鏡の世界を提じる。
千変万化の味覚は、味なきにも等しい。
おわかりいただけようか。
過剰なる感覚に曝さるらば、
その感覚は無きにも等しきものとなる。
馬を駆り立て、狩猟に興ずらば、
ターゲットの虐殺に
楽しみを見出すこととなろう。
これは果たして、正気保てる人物の
ふるまいと言えようか。
珍宝の蒐集に目がくらまば、
あらゆるド汚い手段に手を染める。
これは君子のふるまいと言えようか。
道者は、あくまでおのが身体の
充足をのみ至上と見なす。
腹八分目のキープこそが命題、である。
誰かに認められるかどうかは、
さして重要ではない。
誰か、すなわち、
他者の感覚、である。
道との合一は、もとより人為の外。
他者よりの評価なぞ、その一切たりとて
道との合一を保証せぬのである。
○道経12
五色令人目盲
五音令人耳聾
五味令人口爽
五色は人が目をして盲えしむ
五音は人が耳をして聾ぜしむ
五味は人が口をして爽ぜしむ
馳騁田獵 令人心發狂
難得之貨 令人行妨
騁を馳せ田獵せば
人心をして狂なるを發せしむ
得難きの貨 人をして
行きたるを妨がしむ
是以聖人為腹不為目
故去彼取此
是れを以ちて聖人は
腹したるを為し
目したるを為さず
故に
彼を去りて
此を取りたるなり
○蜂屋邦夫釈 概要
華美なもの、射幸心を煽るもの、財宝などはひとの心や耳目を狂わせる。これらから縁遠いところにあるよう努めるのが、聖人の有り様であり、指導である。
○ 0516 おぼえがき
儒教的価値観、というよりも、孫子の言葉にすら五色五音五味があったことを考えれば、もっと根源的な「感覚」に対する評価を語った章と言える、気がする。つまり道経一章に接続する話。
誰が何を語ってみたところで、そいつが道との合一を保証する、はずがない。だって道を表現しうる手段など、この世には存在し得ないのだから。
だから、とりあえず自分という存在=「道から枝分かれしてごろりとそのへんに転がったケシツブ」が、確かにこの世に実在している、という事実をのみ重視するべきである、となるだろうか。
人間は考える葦である、に通じる思考だとは思うのだが、ここに「神」という最強の拠り所を認めないぶん、この思考は残酷だしドSである。こんなん民草が受け入れられるはずもないし、のちの章で「おれの思想はシンプルなはずなのに理解できないやつが多すぎて吊りたい」とかほざいてるのを見ると、やっぱり老子の弟子の隠者氏は道との合一の境地から縁遠すぎる気がしてならない。
そして、こんなことを書けば書くほど、俺自身もまた道から遠ざかっていくのを感じもするのだ。
クソが、この本について語れば語るほど、道から遠ざかる気がして仕方ねえぞ?
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