道経10 玄徳      

心身を研ぎ澄まし、

同一のものとして抱えおく。

その境地に留まったままでおれようか。


常に気持ちを柔軟なものとし、

赤子のようなありようを保てようか。


この世を映す鏡を丹念に洗い置き、

傷をつけぬまま保ち置けようか。


民を愛し、国を治めるのに、

さかしらさを捨て、向かい合えようか。


あらゆる感覚を開放し、感じ取るのに、

玄牝のごとく豊かに受け取れようか。


世の中について知悉しながらも、

無闇な口出しをこらえきれようか。



我が生を生き、我が身を養う。


その上で、不要なものを持たず、

成し遂げた業績に寄りかからず、

偉人となっても、人を導こうとせぬ。


以上の如きありさまが、

奥深き徳、と呼ばれるものである。




○道経10


載營魄抱一 能無離乎

專氣致柔 能嬰兒乎

滌除玄覽 能無疵乎

 營魄を載せ一を抱く

 能く離るる無からんか

 氣を專らに柔と致す

 能く嬰兒たらんか

 滌除し玄覽す

 能く疵無からんか


愛民治國 能無知乎

天門開闔 能為雌乎

明白四達 能無知乎

 民を愛し國を治む

 能く知無からんか

 天門を開闔す

 能く雌たらんか

 明白なるを四達す

 能く知無からんか


生之畜之

生而不有 為而不恃 長而不宰

是謂玄德

 之に生き之を畜う

 生きて有さず

 為して恃まず

 長じて宰さず

 是れを玄德と謂う



○蜂屋邦夫釈 概要


心を落ち着かせ、柔軟で、澄み渡った心持ちを確保する。そのうえで、あたらさかしらに振る舞おうとはしない。それが道と合一化したものが抱く、徳というものだ。



○0516 おぼえがき

崔浩先生が語りながら血管ピクピクさせてました(挨拶)


いやー、これはさー! マジで「弟子の隠者視点の言葉」感全開な感じですよ! 民を愛し國を治む 能く知無からんかとか、こんなん人間の性状知ってりゃ絶対に言えないだろってゆう。「本当の人間はもっと素晴らしいはずだ」じゃねんだよ、お前が素晴らしくできるのはお前以外にないわけでありアンダスタン?


国を治めるのに、っていう比喩が出てくるのに、長じても主宰しません、とか、一瞬にして矛盾してくる。あるいは知なくして治めるのであるから、主宰、つまり先頭に立ってリードするのは違う、ということになるだろうか。あくまでボトムアップ的な状況こそが理想という感じ? よくわからんが。


この辺は何人かの筆が入り乱れてるんじゃないかやあという印象にもなるが、この観点でばっかり見ても、それはそれで大事なものを見失う気はする。なにせこの書のキーは「この本読んだからと言って道のこと理解したと思っちゃうとか(笑)」である。全文を読み、学び、咀嚼し、その上で捨てる。そんな感じの枠組みなわけだ。なら、逆にこれを一人の人間が通して書いた、と認識することも必要になってくる。


人間意識の外の存在は、人間意識ベースで語れば矛盾が否応なく発生する。……気が、する。人間意識の枠から出られない人間が枠の外について考えるのって、改めて思うけど無茶だよなあ。よくそんなこと考えようって発想に至るもんだ。そういう発想にたどり着けるような思考がほしい。

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