道経9  功に居座らず  

ものを抱え込むのは、

止しておくべきである。


鋭く研いだ刀剣が

いつまでも鋭きままでおれようか。

うず高く積もる宝玉を

どうすれば守りきれようか。


富を得たからと、富を誇示せば、

結局はその富を狙われ、

心休まりもすまい。


功が成ったところで、

功績に居座り続けない。

これが、自然の道である。



○道経9


持而盈之 不如其已

 持して之を盈たしたるは

 其を已むに如かず


揣而銳之 不可長保

金玉滿堂 莫之能守

富貴而驕 自遺其咎

 揣えて之を銳くせば

 長く保つべからず

 金玉の堂に滿つらば

 之を能く守る莫し

 富貴にして驕らば

 自ら其の咎を遺る


功遂身退天之道

 功を遂げ身を退くが

 天の道なり



○蜂屋邦夫釈 概要


多くのものを持てる状態をキープしようとは思わないこと。それを守るためには驕慢になったりもする。そうすれば、その身に災いが降りかかる恐れもあるだろう。成し遂げたら、すぐに身を引く。それが処方というものだ。



○0516おぼえがき


崔浩先生、意外とこの章好きな気がする。 というのも、あの人がなぜ他人を蹴落とすかといえば、たぶん単純に「他人がバカにしか見えない」からだと思うんだよね。金玉を堂に満たしちゃならんが、そもそも玉と石とで石ばかりにしか見えてなかったんじゃなかろか。


内容としては二章のラスト

功成而弗居

夫唯弗居 是以不去

と合致してくる内容である。しかし、ここで言う「功」って何なんだろうね。さらりと書かれてるけど、いまいち実態が掴みづらい。俺の中の老子なら「そもそも功なんぞ挙げるな」って言い出してきかねないからなー。


老子の教えって究極まで突き詰めちゃうと「社会性動物としての人間から脱皮しろ」になってくるような気がするのだ。そこまでに行っちゃうのではなく、人間社会の間をゆるゆると流れゆく水のごとき存在感の人物、そんな感じになるのかなあ。


例えば、おしごとでおちんぎんを頂くのも「功」ゆえではあったりする。ここに居座り続けない、って言われると、ジコケーハツショに載ってるよーな話になってくる。それはそれでいい気もしないではないが、ううむ?


「功」って字については、もっと踏み込んで考えねばである。

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