道経6  人体と、道   

実は、人体の器官にも、

ありながらにして既に

道に合致しておるものがある。


玄牝の門。

すなわち、お○んこである。


……これ、石を投げるな。

こちらはガチで言っておるぞ。



良いか。

母の股ぐらにつくそれからは、

いつ果てるともなく、

多くの子供が生まれ落ちてきた。


一人の母は、やがて死ぬ。

が、別なる母が、また子を生む。


これは、谷神、と呼ばれる神が

すべての母のもとに宿っているため、

と言われている。


甘い。

道だ。

(いつものパターン)



子は、いつ果てるともなく、

お○んこという谷間から現れる。


道が万物の淵源であるのと同じく、

お○んこもまた、万物の故郷。



考えてもみるがいい。

それは、そこにあれば良いのだ。

いちいち分け入って動かねばならぬ、

男の不便なお○んことは、まるで違う。


そこにあり、受け入れる。

その周辺物がどうあれ、

お○んこそのものの存在は、

まさに道のありようのようではないか。




○道経6


谷神不死 是謂玄牝

玄牝之門 是謂天地根

 谷神は死なず

 是れを玄牝と謂う

 玄牝の門は

 是れ天地の根と謂う


綿綿若存 用之不勤。

 綿綿と存せるが若し

 之を用いて勤めず。



○蜂屋邦夫釈 概要


道、すなわち天地の根源は女性の陰門に似ている。いつまでも尽きせぬ泉のようであるためである。



○0516おぼえがき


いや言っとくけど学者センセーがたとおんなじことしか言ってないからね!? 多少ストレートだけど!


で、この理屈については、なるほど、と思わざるを得ないのですよ。


ちょっと話が脇道にそれますが、俺、「創作」って言葉が使えません。なにせそこには聖書に言う神の開幕宣言「光あれ」レベルの「無から有の誕生」をイメージしてしまうから。これに匹敵するのは生命の誕生、つまり、出産くらいだと思ってます。


生命の起源を受精着床に置くか、はじめの分裂に置くか、心臓の始動、脳の分化、……どこに置くかはヤヤコシイので立ち入りませんが、ともあれそんな解剖生理学的見地がない時代なら、お○んこから赤子が生まれ落ちる、ここが「生命の始まり」、すなわち「創造」である、と言えるでしょう。


言い換えれば、女性しか「創造」はできない(俺の言語感覚で言うところの「創造」であり、世間一般で言う言葉であるところの創造ではないですよ、カギカッコつき留保にしてるのはそう言う理由です)。故に道におけるレトリックのひとつは、いきおい女性詞となる。みたいな感じかしら。そうすると地母神信仰ともあっさりリンクしてきますわね。


セクシャリティが女性に向いている男が言うと盛大なセクハラにしかならんけど、あえていう。すげえぜ玄牝の門!


まあほんとは「峻厳たるかな、玄牡の門」とかイケメンに言わせてゲラゲラ笑いたいんですけどね!(本日のオチ)

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