道経5  無い、の効用  

世界は人間をアゴで使う。

慈しみなどはせぬ。


道者もまた周囲をアゴで使う。

慈しみなどはせぬ。



世界は、何もないが、ある。

その何もないの動きは、

浮き輪に空気を入れる、

ポンプのようである。


空っぽであるのに、

潰れることがない。

しかも、動けば動いただけ、

空気をもたらす。



下手に多くの言葉にて

やり取りをなそうとしても、

言葉には、限界がある。


重要なのは、その存在にて

道との合致を示すこと。


自らの存在そのものが、

道の作用そのものとなるよう、

目指すのである。




○道経5


天地不仁

以萬物為芻狗

 天地は仁ならず

 萬物を以て芻狗と為す


聖人不仁

以百姓為芻狗

 聖人は仁ならず

 百姓を以て芻狗と為す


天地之間

其猶橐籥乎?

 天地の間

 其れ猶お橐籥か


虛而不屈

動而愈出

 虛にして屈さず

 動きて愈よ出づ


多言數窮

不如守中

 多言は數しば窮す

 守中に如かず



○蜂屋邦夫釈 概要


天地はあらゆる物をただそこにあるものとしてのみ扱い、ことさらに特別扱いはしない。聖人も同様である。

天と地との間には、何もない。しかし、尽き果てることもない。それらは動き、万物を生み出す。

間隔、余白の確保が重要である。詰め込もうとすれば遊びがなく、思考も、動作も、しばしば鈍ってしまう。



○0516おぼえがき


道者の振る舞いについての話になってるわけだが、まあなんつーか、「形から入れ」って大切だけど、ほとんどの人間はそのまま形に拘泥すんのよね。形の向こうにある理由に達しない。「空気のごとくあれ」ってのは前章にもハマってくる言葉ではあるが、ここでクソなのは「空気のごとくあろうとする」だとアウトなこと。そいつには意図がまじる。いやどないせいっちゅうねん。


謎の気づきを経て、存在が空気となる。そういう到達点が描かれている印象。そうすると冒頭の句も結果であり、目指すべきところの話をしているわけじゃないことになる。つーかこの到達点のこと考えたら、どう考えても「統治者」にはなれない気がするんですよねええええ。

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