幻想(イリュージョン)

祭りの後のように静まり返った広間。

広間へなだれ込んで来た人々は憔悴し項垂れ、徒労の溜息を次々に吐いていた。


滅茶苦茶になった西洋護摩壇の周りでは、尾花を始めとした数人が何とか元の様に戻す作業をしている。


「……まぁ、こんなところか。」


尾花は額の汗を拭いながら、取り繕った護摩壇を見渡した。

どうしても直せなかった物、未だヒビの入ったところもあるが……致し方ない。


「これで何とかなりますか?マスター・オバナ。」


尾花の作業を手伝っていた商館の女性職員がおずおずと不安そうな顔で尋ねてきた。

外では教会の魔術師達が総出で嵐の拡大を抑えているようだが、風は未だ強いままである。

護摩壇が無茶苦茶になったこともあり不安になるのも致し方ない。


「何とかなる、と言うよりもこれで何とかせねばならぬな。」


「……。」


申し訳無さそうに俯く女性職員。

そこで尾花は堪らず顔顰めた。

こちらの世界に来てから人付き合いもだいぶ増えたが、思ったことをそのまま口にする癖だけはどうにもならぬな。


「あ、いや、この件はこの場にいる誰が悪いという物ではない。悪いのは……。」


そこで、尾花は一瞬言葉に詰まった。

だが、この名前を出さぜる得ない。


「あの、デビット・カッパーフィールドが悪いのだ……。」


これで良いのだ。

この名前を出すことで全てが丸く収まるのだ。

尾花はそこで深くため息を吐いた。





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大広間の天井を蹴って跳び回る脱走者。

広間に集まった人々は、手を伸ばしても届かぬ位置で何時までも翻弄されていては埒が明かぬと、何段にも重なった肩車を拵えてみたり、挙句挑発・罵倒を繰り返した。


そのうち、たまりかねた何人かが手に持った物を投げ始める。

こうなると、大変なのはその周りの人間達である。


網や比較的柔らかい物ならまだ良い。

硬い棍棒や槍などを投げられた時など、もし対象に当たらずに落ちてきた場合、次にその標的に選ばれるのは自分になる可能性もあるのだ。


人々は逃げ惑い、押し合いへし合いを繰り返す。


その混乱の中、ただ一人、逃げ惑うことなく事態に屹然と対応する姿があった。

その人物は、宙を舞う狂気の凶器が重力の従うことによって生まれる悲劇を、寸での処で我が手に収めていく。

何時しかその人物の手にはいっぱいの凶器が抱えられていた。


その人物とは、他でもない皆が追いかけている逃亡者だった。

人々はその姿を見て口々に叫んだ。


「逃亡者が凶器をかき集め始めました!」


「拙いぞ!物を投げるのを止めろ、奴の思う壺だ!」


逃亡者の目には元から涙は流れていた。

何時までも止まらぬ我が足から来る恐怖故だ。

しかし、このときの逃亡者はそれとは別の涙を流した事だろう。


だが、これで人々が物を投げることを止める……。

そう思った矢先、棍棒の一つが逃亡者の手から零れ落ちた!


その先には、ギルド商館の職員と思しき女性。

鮨詰め状態の中、苦しそうに悶えている。

天井など見ている様子は無さそうである。


拙い!


「上!気をつけて!」


逃亡者は思わず声を上げた。


皆が一斉に天井を見た。

そして、上から落ちてくる棍棒のことに気が付き、慌て始める。


良かった……これヴぇ!?







逃亡者を捕らえることが出来た。


正確には勝手に壁へぶつかって落ちてきたのだが。

どうやら、余所見をしていて前方に壁が近づいていることに気が付かなかったらしい。

逃亡者が抱えていた凶器は一斉に床へと落ちていったが、幸いと天上へ顔を向けていたのでその付近の人間達は避けることが出来た。


怪我人は一名、件の逃亡者だけである。

凶器と一緒に天上から落ちてきたところを数人で捕らえた。


よく分からないが、一応事態の解決が出来たらしい。

一同の顔に安堵が広がり、少しずつ場が落ち着きを取り戻していった。


「なんにせよ、再び捕らえることが出来ましたね。」


「ローブをひん剥いて、どんな間抜け面してるかみんなに見てもらえ!」


警備兵が逃亡者のローブをひん剥いたその時。



広間に集まった人々は唖然とした。



現れたのは、白目を剥いて泡食った乙女。

バートのお気に入り、政子が鼻血を出して気を失っていたからである。


しかもそのバートに至っては、人々に踏まれ、蹴られ、押しつぶされて、ぼろ雑巾のように部屋の隅に追いやられていたところを発見された。


非常に気まずい空気の中、誰とも無く皆々が顔を伏せ、這う這うの体で担がれ運ばれていくバートを見送った。




そして、それら一部始終の脇では、護摩壇の上で震えて過ごす人物が一人いた。

久住尾花である。


周りの人間達より頭二つは小さい尾花。

雪崩の様に迫ってくる一個の大群を前にして、早々に自身の無力を悟った。

魔術用具アーティファクトも持っていない正味丸裸の状態で何が出来るというのだ。

政子を止めるどころの話ではない。

何より自身の命が止まらぬことをひたすら祈り続ける他なかった。





「……高天原たかまのはらに神留かみづまり坐ます。皇すめらが親神漏岐命むつかみろぎのみこと神漏美命かむろみのみこと以もちて八百万神等やおよろずのかみたちを神集かむつどえに集つどえ賜たまい神議かむはかりに議はか賜たまいてって……止んだ?止んだ!?止んだか!?」


般若心経も粗方唱え終わり、いよいよどうしようもなくなって"大祓詞"を奏上していた手が止まった。


見れば人々は落ち着きを取り戻している。

般若心経の効力が今頃効いてきたのか、それとも大祓詞に切り替えたのが良かったのか。

ともかく皆が落ち着いていることに尾花は安堵した。


後は国衛が無事に脱出していてくれていれば何も問題は無い。

まさか国衛がその辺の地面に転がっていないかと辺りを見回していた時である。


まさか政子が転がっているとは予想だにしなった。


「も、もし、こ、これはどういう……」


何故、政子が白目を剥いて倒れている?

大捕り物の様に苦しそうな苦い顔をして、ふん縛られているとかならわかる。

だが、白目を剥いているというのであれば話が違ってくる。


どこの強者が政子をこのような目に。

軽く見ただけだが、顔以外ほかに外傷は見当たらない。

であれば、政子の顔に狙い済ました強烈な一発を食らわせ気絶させたことになるのだろう。


人の身で魔術も使わずに、あの超高速度の政子へそんな事が出来るのか?


「マスター・オバナ!ちょうど良いところにおられた!これはどういうことでしょうか?」


政子を見下ろして頭を捻っていた兵士が、尾花の方を振り向いた。

その兵士の顔はひどく困惑しており、何故政子が逃亡者が着ていたローブを羽織っているのか皆目見当もついていない様子である。


尾花はその真実を知っている。

兵士の疑問にも答えることができるだろう。


が、しかし。

後のことを考えたとき、ここでホイホイと真相を話してしまうのは如何なものだろうか。

その時は大変に面倒になること請け合いだ。


で、あればここは自分の疑問と一切合財含めて全てをうやむやにしてしまうが賢い対応である。


尾花の目つきが鋭く光る。

悪いが、これから後の会話のイニシアチブは私がもらうぞ!


「……その尋常ならざる体躯と風格。貴殿、よほどの兵つわものお見受けするが御名と階級は?」


「は!ヘルマン・ケンペル、階級は十人長でございます!……私の様な駆け出しの若輩に対して光栄なお言葉、恐悦にございます。」


突然の尾花の問いに十人長は佇まいを直し直立した。

階級という言葉を出せば途端に態度が締まる。

礼を重んずるは兵つわものの性、それはどこの世界も一緒か。


尾花はその様子を務めてにこやかに眺める。


「いやいや、十人長殿の器量に階級が追い付いていないだけのこと。貴殿ならば後から百人でも二百人でもついてくるだろう。して……一つお聞きしたいことがあるが宜しいか?」


「は!いかなる事でしょうか?」


尾花に顔を覗かれたヘルマン十人長の顔に若干の緊張が走る。


その様子を見て尾花は、内心でほくそ笑んだ。

あのクソジジイの威を借りるのは癪だが、十人長の目には自分の背後にバートの名が未だ見え隠れしているらしい。

これは大変に都合がよい。


明日にはもう借りれるかも分からぬ威だ、今だけ存分に使わせてもらう。


「十人長という階級についてだが、これはつまり戦時下において貴殿は自身の他十名の命の面倒を見ると……そういう事で宜しいか?」


「は!戦闘の規模や状況にもよりますが、概ねその通りでございます!」


「という事はだ、特に戦闘中や今回の様な非常時において貴殿は自身の行動だけでなく、他十名の兵士達の行動も把握しておかねばならぬわけだ。此度はどうだった?状況は把握出来ていたのか?」


尾花の鋭く突き刺さる視線。

その責任を追及する固い物言いと相まって、鎖のように十人長の身体を締め上げ硬直させた。


「……申し訳ございません。状況を的確に把握しておらぬは私の努力と能力の不足が招いた事。さらにはマスター・オバナへ状況の次第を尋ねる愚考を重ねてしまいとんだ失礼を」


深々と頭を下げるヘルマン十人長。

今回の件に関して彼に責められるべき咎など何もない。

このような事態など、彼の責任の管轄外の話であり、そのことは何より彼自身が一番良く知っている。


しかし尾花の機嫌を損ね、それがバートに伝わった場合、彼の将来には分厚い暗雲が立ち込める、と彼は思っているのだ。

だから、ヘルマン十人長は痛くも無い腹を敢えて下し、尾花に頭を下げている。


だが、彼は尾花の腹積もりの核を捉えてはいなかった。

別に尾花は彼を責める気など毛頭にないのだ。

しかし、ヘルマン十人長がこのような態度に出ることは予測していた。


その様子を尾花は表情こそ苦笑するように見ていたが、内心のほくそ笑みは今や高笑いとなって自分の頭の中に響いている。


「待て待て待て。私は貴殿を責めているのではない。先ほども言っただろう?私は貴殿の器量を認めている。だが、貴殿がそこまで卑屈では、私の目が節穴だったと暗に言っているようなものだ。私の目利きの保証人のような態度でいてもらわねば困るぞ?」


「は!失礼致しました!」


ヘルマン十人長の心の冷や汗は、尾花から差し出されたハンカチのような一言で綺麗に拭われた。

そもそもその冷や汗をかかせたのが、他でもないハンカチを差し出した人間だという事も忘れ、安堵と安心の表情を尾花に向けている。

緊張と緩和、飴と鞭、これは洗脳の定石である。


もう一押しだ、十人長をやりこむことが出来れば、政子のこと、国衛のこと、全てのことが有耶無耶に出来る。


「それでだ!十人長の貴殿であれば、本来人が入り乱れる非常の最中でも最低十人ほどの様子が分かる視野と認識力があるはずなのだ!いや、先ほども言ったように貴殿であれば百人や二百人の行動の把握などまるで天を遊泳する鷹の如しだろう!だが、その貴殿が今回起きたことについて皆目理解が出来ていない。であれば、十人どころか自分一人の身さえ面倒を見れるか怪しい私がこの件に関して状況を把握出来ているはずもあるまい?」


「それは……そう言ったものでしょうか?マスター・オバナは非才なる私では計り知れぬ尋常ならざるお方というのが噂より見聞き知った印象でして……」


ヘルマン十人長はそれなりに慎重な性格だった。

彼が疑問を口にしたことで、思わぬブレーキを踏まされた尾花。


全く、博学多才と言うのも困りものだ。

なまじ噂が事実なだけに始末が悪い

否定するにも否定しようがないではないか。


などと考えていた際のやけた顔を尾花は咳払いで取り繕った。


「無論。私なんぞ、普段は日がな一日碌に外にも出ずに自分の好きな事に没頭する事だけで生きている人間だぞ?貴殿らの様に過酷な環境に身を置くことなど無かったし、今後も無いだろうし、なんなら置こうとも思わない。そんな人間があのような非常時に何が出来ると思う?精々死なぬように何かに祈るくらいだ、私も魔術師だからな。」


「はぁ」


ヘルマン十人長は曖昧な表情で尾花を見た。

それに構わず尾花は続ける。


「だが、魔術師故に少々面白い発想や知見を不意に思いついたりもするのだ。いや、このあたりの魔術師がどうかは知らんぞ?私の知る限り大方が生まれたときに頭と石を間違えたような……失礼。まぁ、私が思う魔術師とは並はずれた洞察力と柔軟な思考、そして基づく斬新かつ革新的な発想力を持つ物なのだ。」


「並はずれた洞察力をお持ちであれば、なぜマサコ殿が倒れていたのかを知っておられるのでは……」


「いいや、知らん!わからん!皆目見当もつかない!私に分かるのは、”私は何も知らない”といことだけ!これについては”良く知っている”!」


尾花は食い気味に言葉を被せ、慌てて話の主導権をもぎ取った。


「だが、考えてもみるといい。貴殿の様な優秀な兵士つわものであっても状況が把握出来ず、私のような最優秀な魔術師の洞察力を持ってしても理解が出来ない。であれば、そもそも貴殿や私に落ち度はなく、この騒動を引き起こした要因が状況の正確な理解と判断を妨げているとは考えられないか?」


「それは一体どういう……」


ヘルマン十人長の困惑した顔に対して、尾花は不適に笑った。


「デビット・カッパーフィールド」


「あぁ、あのローブを纏った御仁ですか、話ではマスター・オバナとマサコ殿のお知り合いだとかで……。」


ヘルマン十人長の言葉を尾花は手で遮った。

そして彼の前で人差し指を振る。


「今回の一件、外の大嵐から商館内での大騒動、これら全て奴が見せた幻想イリュージョンなのだ!」


そう宣言した尾花の声は広間いっぱいに響き渡った。


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後はもう全てのことをデビット・カッパーフィールドとその架空の第三者が扱う奇術マジックのせいにして押し付けた。


この大嵐も「奴の仕業である。」

国衛が重要参考人として囚われたのも「奴に罪を擦り付けられた。」

マサコが修道士のローブを着て走り回っていたのも「奴に不埒な幻術イリュージョンにかけられた。」

皆が広間にすし詰めになったのも「奴の集団心理を利用した高度な幻術イリュージョンによって一種の多数は同調性バイアスが働いて云々かんぬん。」


皆の理解が追いついていない事など全部含めて一切合財、デビット・カッパーフィールドのせいにしたのである。


「何せ、最優秀の魔術師たる私が先ほどまで奴のことを昔なじみだと思わされていたのだから、奴が相当な技量を持った魔術師たるは明白。このような騒動一つを起こす事など造作も無いだろう!」


と、のたまってヘルマン十人長を始めとした広間にいる皆々に、"デビット・カッパーフィールド"なる大魔術師の幻想イリュージョンを抱かせることに成功、したと尾花は思っている。


実際は皆が何処まで納得しているのかは知らない。

だが、皆が半信半疑だろうとしても、誰もそれを口にしない辺り納得はしていないが了承はしているのだろう。

存外、誰が黒幕などどうでも良く、非難を浴びせ責任を擦り付ける分かりやすい対象があればよいだけなのかも知れない。


しかし、我ながら口から出任せで事態の収拾を図るなど魔術師としては下策も下策である。

本来ならばインテリジェンスな魔術用具アーティファクトを使用して、スタイリッシュに、アクロバティックに、エレガントに、こうビシッと!バシッと!シュバッと!……。


「あの、マスター・オバナ、何かございましたか?ため息を吐かれたと思ったら、突然物思いに耽られ、それでうなされている様な動作を……。」


先ほどの女性職員が、心配そうに尾花の顔を覗き込んでいた。

尾花はちょうど振り下ろそうとした手刀をしまい、咳払いをする。


「いやなに、カッパーフィールドのことを思い出して、少しな」


「準備が全て整ったようですので、マスター・オバナもご準備をお願い致します。」


かような下策を用いることになったのも、国衛に原因の一端がある。

そのツケを払って貰わねばならぬゆえ、自分のやるべきことをやるまでだ。


「分かった、至急"迦楼羅天かるらてん止雨法"に取り掛かろう。」

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