ライブモッシュ

息苦しい。

声が出ない。


意識は跳んじゃいないのに、目だってばっちりあいているのに視界がブラックアウトしている。


上から圧のっかるそれと、下に敷いているそれを確かめるため身体を動かすと急に視界が開けて呼吸が軽くなった。


「……お前、なにしてんの?」


「……お兄が無事脱出できるように走り回ってたんだけど」


上から圧のっかるそれの正体は政子だった。

俺の腹に顎を乗せて涙目でこちらを見ている。


「ってか、お兄こそなにしてんの?」


「聞いて驚くなよ、ここから脱出しようとしてるんだ」


とりあえず身体を起こそうと床に手を着くと、何か柔らかいに手が触れ慌てて手を放した。

その時、俺が下に敷いているものの正体がエルマだということに気が付いた。


先ほど触れた柔らかい物はエルマの……言わなくても良いか。


そのエルマは、アスファルトに落ちたアイスクリームのように伸びている。


禍転じて福来たる?

ともかくエルマをどうにかすることができたらしい。


政子に手を貸して何とか起き上がらせると、何故ここに来たのか、その事情を問いただした。


「分かんない」


「いや、この世界に来た時の俺じゃねぇんだから、そこは」


「だって!お兄に言われて、あのへんな紐足首に巻いて走り始めたら、勝手に足が動き始めて、それで、止まれな、く、て……!」


そこで、政子は火が付いた様に泣きじゃくった。


どうも、あの尾花から渡された紐は付けて走ったが最後、何かの切っ掛けが無ければ延々と走り続ける代物だったらしい。

それもただ壁があるだとか障害物がある程度では、壁を見れば三角跳びに壁を蹴り、人を見れば跳びあがって錐揉みし、着地は揃って五段着地と、ジャパニーズニンジャのような立ち振る舞いを見せ止まることを知らない。


政子自身は走るに身を任せることしかできず、自分が一体誰から何人に追われていて、一体どこを走っているのかすらわかっていなかったらしい。

ジェットコースターがいかに気楽な乗り物だったのか、政子は嫌にでも体験したことだろう。


俺より2歳も歳上になった政子が子供の様に泣いている様を、しかし俺は馬鹿には出来ないと思った。

怖い思いをしたんだろうなぁ……。


と言うか、アレを俺が付けていた場合を想像すると今になって恐ろしくなってきた。

俺は渋い目を尾花へと向けたが、


「”自慢できるほどに足が速くなった”のは事実だろう?」


とばかりに、両掌を天井に向けてしらばっくれていた。

人が憂うほどに寿命まで加速するなら始めからちゃんと書いておけ。



そんなこんなで商館内をひたすらに走り回っていた政子は、いつの間にかこの広間へとやって来た。

そして、俺の”フィカ”の魔術に捕まって何とか止まることが出来たというわけである。


尾花の魔術で屋台にぶつかったと思ったら、今度は政子にぶつかられて。

ここまで来ると”呪い返し”とやらが来ても案外と平気でいられるかもしれない、そんな気さえしてきた。


しかし、未だ目を朱くし鼻を啜っている政子を見ると、やはり脱出してやらないと怖い思いをした政子の立つ瀬が無いだろう。


俺はバートの方を見た。


「って、ことでおっさん、俺は失礼するよ。」


バートは徒労を示す溜息を鼻で吐くと頭を振った。


「道中、気を気を付けずに走るといい。君が転んで頭でも打ってくれる事を祈るよ。」


バートの余計なひと言を聞いて、政子が不安そうな顔を浮かべながらローブの袖を引っ張ってくる。


「……どういう事?何かあったの?」


「山師の才能では私より君の方が冴えていたということだよ、政子。」


様子を見守っていた尾花がこちらに近づいてくる。

俺と政子、双方が無事だと分かったとたんにしれっとしているあたり現金な人である。


「だからそれはどういうって、あー!マスター、なにその格好!かわいい!!」


政子は、尾花の格好を見て目を輝かせた。

強制ランナーズハイだった恐怖も、バートの一言に対する不安も一瞬で吹き飛んだようだ。

手を取り、頭を撫で、首を傾げさせ、まるで尾花を一分の一スケールの着せ替え人形のよう扱い始めた。


政子に玩具にされ不機嫌な猫のようになっている尾花が、その仏頂面を俺へと向ける。


「国衛、急げよ。政子がここに来たと言うことは……。」


最初は風の音だと思った。

外の風がいよいよ強くなってきたのか。


しかし、その音は強い振動とともに徐々に大きくなっていく。

この非常時に、さらに地震かと思った矢先である。


「脱走者を発見致しました!」


広間の入口に人が数人立っていた。

その手には、槍のような柄の長い得物や網。


その背格好からして、もしかしなくても兵隊と分かる人たち。

まさかじゃなくても、政子を追ってきた警備兵だろう。


政子がここにいるってことは、当然陽動に釣られた人たちも続々とこちらに来るわけで……。


「こっちだ!」


「脱走者を追い込んだそうです!!」


「場所は!?」


「大会議室、大広間になります!!」


地鳴りの正体はその釣られた人達だった。

ものの数十秒で広間の入口は人という人であふれかえる。

さらにその後ろにもまだまだ人の波が続いている様だった。


巣に帰るアリの行列ほどに規則も均衡も順序も整っていない、獲物にたかるピラニアのようなカオスである。


「……お前、ずいぶんと人気者だったみたいだな」


俺は入口に立ちふさがる人の壁を見ながら呟いた。

こうなると、もはや脱出どころではなくなる。


政子と尾花の方を見ると、その人の多さに絶句している様子だった。

その中で一人笑い声を上げる人物。


ほかでも無い、バートである。


「まったく、先ほどから今はの際まで喜劇のような愉快な時間をありがとう、クニエ。いや、実に愉快だったよ、人生でここまで笑える日もそうそう無かった。」


実に可笑しそうに愉快に笑うバート。

俺の睨む視線など意に介していない様子がなおのこと腹が立つ。


だが、しかしこの状況は……。


「観自在菩薩かんじざいぼさつ行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみったじ照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう度一切苦厄どいっさいくやく舎利子しゃりし色不異空しきふいくう

……」


尾花は手を合わせて何か呪まじないのような物をぶつぶつと唱えている。

いや、これは聞いたことがあるぞ!

あれだ、般若心経だ。


「そりゃ、俺への手向けかい?」


「……空即是色くうそくぜしき受想行識じゅそうぎょうしき亦復如是やくぶにょぜ舎しゃぁ……ここまで来ると、流石の私でも何に祈れば良いのかわからんのでな、汎用性の高そうなところを選んでみた。神仏分離以前に倣って敢えて”仏説”を抜いたから”胎蔵界”も”金剛界”も通り越して”高天原”辺りまで届くかも知れんぞ?」


なるほど、これ以上無い「神様、仏様!」だ。

どうやら尾花もこの状況を前に半分やけっぱちらしい。


しかし、やけっぱちだろうが、自暴自棄だろうが、開き直りだろうがを起こしたところでこの状況は変えられまい。

……いい加減年貢を納めないと、政子と尾花にも迷惑がかかるな。


「皆様、ご協力感謝致します。此度の一連の騒動の重要参考人にして、皆様のお手を煩わせた件の脱走者は今ここに追い詰められました!」


俺の覚悟が決まるより先に、バートが仰々しく大々的に声を上げた。

この爺は数秒でも早く俺の寿命を縮めたいらしい、金持ちの秘訣はそのケチさか。

俺は一度深く息を吸い、呼吸を整える。


ビビッて声を震わせるなんてダサい真似だけはしたくない。


「あー、お集まりの皆さん。お目当ての脱走者はここにおりますので、どうか慌てず、落ち着いて順番に並んでいただけると……」


「バート様に、マスター・オバナ!そして、カッパーフィールド殿まで!!遂に彼奴を追い詰めたのですな!!」


群衆の何処かから声が上がった。

その声に呼応するように節々から歓喜と、賞賛と、労いの声が至る所から聞こえてきた。

皆が好き勝手に声を上げ、腕を上げ、身体をぶつけ合う。

それは何時しか個々の無秩序を群として束ね、そして1個の音となって広間中へと響き渡った。


それは、紛れも無く勘違いから起こった中身の無い狂喜だった。

群集は未だ、俺をカッパーフィールドと名乗るどこぞの魔術師、政子を件の脱走者だと思っている。


「皆様!落ち着いてください!まずは全ての真相をお話致します!」


一番最初に動いたのはバートだった。

バートが声を上げて、群衆の前と歩みでる。


しまった!


バートはこの勘違いに速く収集をつけねば、自身に利するどころか最後の最後で降りてきたチャンスを不意にする事をいち早く理解したのだろう。


そして、それは俺にとっても同じである。

この勘違い、上手く乗じることが出来れば!


「皆様がカッパーフィールドと呼ぶこの男こそ……はぁ!!」


バートが突如として盛大にすっ転んだ。

段差も凹凸も角の出っ張りも無い床である。

濡れたりでもしていなければ滑ることも無い。


誰かに外部から力を加えられない限りは。


見れば、政子が片足を上げたまま固まっている。

いや、よく見ると小刻みに震えていた。


その表情は青ざめ、冷や汗をかきながら、引きつっている。


「お、お兄、私、や、や、やっちゃった……」


「……もう、やらかしてるから問題ないよ」


この群集を連れてきたのは他でもないお前だ。


「あ、あのさ、お兄が無事生きてたら……今度はこ、この街から、に、逃げる方法、一緒にか、考えてね?」


発作のように声を出す政子はぎこちなく首をこちらへ向け、引き攣った笑みを浮かべている。


「あい、すまなんだ!カッパーフィールド殿!どうやら、私のかけた術が甘かったらしい!狼藉人めが術を解いて再び暴れだしてきよった!」


突如芝居がかった声が聞こえた。

他でもない、尾花がこちらを見て笑っている。

どうやら、この街から逃げ出す方法をこの人も一緒に考えてくれるみたいだ。


「この狼藉人、素行の悪さと足癖の悪さは皆々の知るところ!」


尾花の掛け声と同時に政子が一気に駆け出した!

まるで速度の単位にでもなったかのような政子は、部屋の角から角、上から下までを駆けては跳ねる!


「ほれ見たこと!ご覧のとおりの東奔西走!跳梁跋扈!ささぁ、皆の衆!出合え!出合え!」


尾花の一声に広間の入り口で様子を見ていた群集は、せっかく追い詰めた脱走者が再び逃げ出すことを食い止めるため、我先にと広間へ雪崩れ込んでくる。


「国衛、この混乱に乗じて逃げろ!」



俺は混沌の中へと身を投げ出した。



そこは個人の意志と熱が狂乱を帯び、無軌道に散らばっては固まってを繰り返す。

天と地の境目も曖昧で、硬さを帯びた何かを踏めばそこが一応の地面なのだろうと憶測するしかない。

見知らぬ人の怒鳴り声が遠くから聞こえ、見知らぬ人の肩が顔に当たった。


誰かと誰かは互いに喧嘩しあい、誰かと誰かは互いに庇いあう。

集まっているのが個人であるが故に、集合となった個人の意志が無秩序に主張しぶつかり合っていた。


尾花と政子は無事なのだろうか?

いや、この混沌が収まったとき、果たして何人が無事でいられるのだろうか。

そもそも、俺は無事にこの広間から出る事が叶うのか。


人に背中を押され、手を引かれ、顔をつぶされながら最早流れに身を任せるほか無いと思った矢先。


俺は誰かに腕を取られて、芋のように引っ張られた。


「あ痛だだだだだだ!ごめんない!一旦、一旦落ち着きましょう!どなたか知りませんが!一旦、いったぁあ痛だだだだ!」


誰がこんな無茶しやがる!と痛みのあまり見開いたままの眼で自身の手を見ると、四つの手が俺の腕を引っ張っているらしい。

どうやら引っ張っているのは二人、一人は男で、一人は女性らしい。


俺が空いている片方の手でなまっ白ちろい比較的解くことが容易そうな手を引き剥がそうとした時だった。


もう片方の男の手が空いていた俺の手を掴み、一気に引っ張りやがったのである。

もはや痛みで声も上げることが出来ない。

このままいくと痛みで何かを漏らしかねない、そう思った矢先。


硬いコルク栓が一気に抜けるように、勢いよく人の坩堝から抜け出た

そしてそのままの勢いで前方へと飛び出し、何かに覆いかぶさるようにして地面へと倒れこむ。


「あの、無事でしたか……?」


声のした方向を見ると、仰向けに倒れるヘリーの顔があった。


「あ、スイマセン、失礼しました……。」


俺は緊張と焦りで勢い良く身体を起こす。

そして、ヘリーの手を取ると身体を起こすのを手伝った。


……この人、男なんだよな?

だから何に緊張しなくても良いはずなのだが……やはり美少女然とした顔と佇まいが良くないのか。


「私には詫び無しか?」


ヘリーと反対の方を見ると、アルノルドが同じく仰向けでこちらを見ていた。


「アンタ、暇なんだな。」


アルノルドは恨めしげに俺を見ながら上体を起こした。

どうやら、床に倒れたときに頭を打ったらしい。


「急に商館の中が騒がしくなったかと思い、エルマを呼んだのですが応答が無かったので、騒ぎのするほうをたどって行ったらここに着いたんです。アルノルドさんとはその途中で。」


ヘリーは広間の中の騒ぎを心配そうに見つめていた。


「あの、ひょっとして父と何かあったのですか?」


ヘリーの問いになんと答えたら良いものか。

何か助け舟はとアルノルドの方を見たが、しらばっくれる様に明後日のほうを見ている。

この人の有ること無いこと全部ヘリーにばらしちまおうか。


「……ちょっとした意見の食い違いというか。まぁ、そこまで気にすることは無いですよ。」


まさか、アンタの親父とその召使に殺されかけたなんて言えない。


「いや、でも助かりました。良く俺の姿が分かりましたね。」


俺はそれとなく話題を逸らした。


「マサコが部屋中を飛び跳ねているのを眺めていたら、お前が人の波の中で顔を出しているのが見えたんだよ。」


俺の意図を察したのか、アルノルドが反応してくれた。

アルノルドが指差す先には、政子と思しき陰が壁を蹴って未だ広間を跳び回っている。

今頃、アイツ泣いてんだろうな。


「クニエさんは急いでこの街の外に出ないといけないのに、このような騒動に巻き込まれていたら大変だと思って。その、差し出がましいとは思ったんですが……。」


少女のようにいじらしく顔を伏せて謝辞を告げるヘリー。

この世界の神様は、何故この人を男として生まれさせたのだろうか?。


「ともかく、貸し”二"だな」


あくまで現金なアルノルド。

この世界の神様は、何故この人を手元に置いておくのだろうか?


ともかく、二人のおかげであの人の波から抜け出すことが出来た。


「二人ともありがとうございます、もし、生きてたらそんときはまたよろしく。」


「生きてまた会いましょう」


「生きて必ず借りは返せよ」


俺は二人に手を振ると、勢いよく駆け出した。

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