無駄足
―時間は少し遡り―
「じゃあアンタは、そこに寝っころがっといてくれよ。あ、あとローブも貸して」
「修道院からの支給品だぞ!?おいそれと渡せるか」
「んな襤褸切れ一枚でけち臭いこと言いっこなしだぜ、今更。事が済んだら、コイツと交換してやっても良いからさ。」
俺は自分が羽織っているエリーから貰ったローブの襟を掴んで、見張りに見せた。
「……コイツは貸しだからな」
そう言うと見張りは、不承不承といった具合に自分のローブを脱いで俺に渡した。
「おう、頭の中の帳簿にしっかり書き付けときなよ、そんで請求先はあのバートっておっさんに頼む。ホント恩に着るよ、えぇと……見張りさん。」
「……アルノルドだ、借りを作った相手の名前くらいちゃんと覚えておけ。」
俺は不貞腐れた表情を浮かべるアルノルドに努めて笑顔で対応する。
アルノルドは鼻を鳴らして俺から視線を外すと、部屋の外へと出て行く。
そして自分の親指を、持っていたナイフで少し切り滲んだ血を鼻の下に擦り当てる。
「こんな感じか?」
「おー!どうみても、不覚を取った間抜けな見張りだよ!最高だ!」
アルノルドは舌打ちをすると、そのまま扉の前辺りで不貞寝した。
俺は賞賛したつもりだったが、彼は素直な人間ではないらしい。
だが、これで一応の準備が整った。
後は……。
「お兄……これでホント大丈夫なの?」
政子の不安がる声が聞こえた。
「さぁ、わかんねぇ」
「分かんないって……」
「けど、お前だってあのおっさんの事どっかで疑ってんだろ?」
俺は政子にアルノルドが着ていたローブを押し付ける。
まだ何処か割り切れてない政子は渡されたローブを見つめながら首を傾げている。
「違ってたら違ってた時、みんなで頭下げれば良いんだよ。」
尖塔の部屋中で俺と政子、そしてアルノルドの三人は脱出の下準備をしていた。
アルノルドは当初、バートから託った脱出の段取りを狂わすことに難色を示した。
しかし、俺としてはそれが目的なのだ。
多分、おそらく、大方の予想は、このままバートの脱出案に乗れば待っているのは死である可能性が高い。
……確かな核心など無いのだ、ただあの人が胡散臭くて信用できないだけである。
あとは、政子がなんとなくあの人にビビッている、それだけ理由があれば充分だ。
全部俺の責任にして良いとか、アンタは寝転がってるだけで良いからとか、そんな感じのことを言ってどうにか渋るアルノルドを説得し、商館からの脱出Bルートの準備へと漕ぎ着けたわけである。
やり方は簡単。
俺がヘリーから貰ったローブを着て、「尖塔から脱走者が出たぞ!」だとか「見張りがやられてるぞ」だとかを大声で叫ぶ。
その際に、政子は陽動部隊としてアルノルドのローブを着て商館内を走り回る。
アルノルドは寝転がっているだけでよい。
そうすると商館内は大混乱の大騒動。
そのカオスの中を抜けて、俺は無事に商館を脱出すると言う算段である。
……反芻してみると、自分でも成功するのか分からなくなってくる。
「……今のうちに頭下げる準備しといた方がいいかもな」
「ちょっと、言い出しっぺがそれ言うのだけはやめてよね」
政子はもぞもぞと芋虫のように身体を動かし、胸の辺りでつっかえているローブから何とか顔を出すと怪訝そうな顔を俺に向けた。
まぁ、予想はしていたけどやっぱりそうなったか……。
「あのさ、ホントはこんな事言いたかないんだけどさ……」
「ちょっと今更自信ないとか、止めるとか言わないでよ!?」
「いや、その胸さ、取れとまでは言わないけど畳んだり萎ませたりくらいは出来ないもんかね?それじゃあまりにも……」
「は!?ちょ!?最低!馬鹿!ホント馬鹿!お兄ってそこまで馬鹿だった!?ホントいっそここで死ねば!?」
政子は目を見開き顔を赤らめて俺を面罵する。
「いい加減早くしてくれないか、床が冷えていて寒いんだが」
熱くなった政子とは対照的に、床に寝そべっていたアルノルドが身体を震わせて俺達を恨めしげに睨んでいた。
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「後は狼少年ばりに大声上げながら走り回ってここまで来たってわけ。いやぁ、ホント良いローブを貰ったよ、なまじ材質が良いからみんな俺のこと神父だか牧師だかのお偉方だと思ってやんの。」
「この騒動は君の仕業と言うわけか。」
「そういう事。」
尾花は「全く君と言う奴は」と呆れながら頭を振った。
しかし、その表情はどこか楽しそうである。
「てっきり、そこの爺二人、どちらかの仕業と思っていたんだがな。」
尾花の見据える先、そこにはバートとあの件の司教がいた。
司教の方は、可笑しそうに肩を震わせている。
「……想像以上にダメージは出掛かったみたいだよ。ほら、アンタも見てみな。」
バートの表情は口元こそ口角が上がり笑っているように見えるが、目は鷹のように炯炯としてこちらを睨んでいる。
「あのおっかねぇ顔、政子を思い出すからやめてくんねぇかな。」
俺は微動だにせず、睨み返す。
政子を思い出すが、あのときの政子ほどに恐いものでもない。
「……大人しくしていれば良かったものを」
「大人しくしてたら、後でご褒美に菓子でも買ってくれんのかい?」
だが、生憎とそんな言葉に釣られる歳でも無いのだ。
あのバートの表情からして、どうやらこの騒動を起こして正解だったようだ。
おそらく俺は秘密裏に殺される予定だったのだろう。
秘密裏に殺る方法など幾らでもある。
アルノルドに脱出の手引きをさせて、その先で待ち伏せしてグサリ。
あるいはアルノルド共々殺ってしまって尖塔の中に放り込んでおくのも良いかも知れない。
そうすれば脱出するのにしくじって揉み合いの末、相打ち。
どちらにせよ、尾花や政子に対しては尽力した姿を見せながら俺を秘密裏に殺す。
そうすれば尾花達も諦めがつくし、教会の機嫌も取れれば、街の住民の機嫌も取れるわけだ。
俺がくちなしの死人になってしまえば、俺に罪をおっ被せることについても尾花と政子を説得できると思ったのかも知れない。
「彼の死を無駄にしない為にも」って、な具合だろうか?
人の死まで無駄にしないくらい、この街はリサイクルなエコに取り組んでるのか、クソッタレ。
だが、俺がこの騒動を起こしたことによって全ての計画はご破算になったのだろう。
「……尾花、アンタなんか話聞いてる?」
「あの爺の片割れが君を下手人に仕立て上げるつもりだった事を、もう一人の爺から聞いたが、その事か?」
尾花が指差す方向、司教は先ほどから肩を震わせていたがいよいよ耐え切れなくなったのか、盛大に噴出すと声を上げて笑い始めた。
「これはしたり!いや、バート殿、私もてっきりこの動員は貴方の仕業とばかりに思っていたが、そうかそうか!」
司教は荒くなった息を何とか整えると、俺を視線を投げて口元を緩ます。
「最初は何処の野良犬と思っていたが、中々どうしてやるものだ。ここで死なすには惜しいかも知れぬ。」
「今更、惜しまれても。元から俺は自分の命を大盤振る舞いしてるつもりは無いですよ。」
先ほどのこともあったので憎まれ口を叩いてやったつもりだが、司教は何処か満足げに頷くと次いで尾花を見た。
「"異端的不可触階級ワイルドカード"よ、精々彼を死なすなよ。」
「最初からそう言っているのを忘れたか?痴呆の世話なら余所へ頼め」
尾花は刺々しく司教を睨む。
司教は尾花の態度を鼻で笑い一蹴すると、バートを仰ぎ見た。
「吉報を期待しておりますよ。私も、サスキア師の様子を見てくるので。」
バートは目が笑っていない笑顔を司教へと向ける。
「外は荒れておりますので、"精々"お風邪を召しませぬよう」
司教は、後ろでに手を上げてその場から立ち去っていく。
さて、この場に残されたのは、俺と尾花、そしてバート。
尾花は味方だから端から除外するとして、バート。
見る限り、育ち盛りの俺と徒競走して勝てる歳は当に過ぎている。
このまま俺が走り去ればそれで脱出は完了だ。
だが、万全を期すために……。
「尾花、さっきくれたミサンガみたいなの」
「あぁ、穢積金剛法禁百変法えしゃくこんごうほうきんひゃくへんほうにある万里日行霊符ばんりにっこうれいふを参考に編みこんだ紐だ。中々のものだろ?」
「あれ、陽動で走り回る政子にやっちまったからさ。もう一本くれよ。」
ここは確実に逃げ切るために、アレをもう一本貰っておきたい。
あのミサンガの効力は政子が証明済みである。
何せ、陽動で走り出したと思ったらもう政子の姿は見えなくなった。
一瞬見た感じでは、アレは走ると言うより跳ぶに近かったな。
あんなものを見かけたら、獣か何かと見間違えて脱走者云々関係なく皆が追っかけるだろう。
陽動としては充分以上、いや異常である。
バートが応援を呼ぶかも分からず、またどこで警備兵と鉢合わせするかも分からない。
しかしアレがあれば、脱出どころか街の外まで逃げ出すこともたやすい筈だ。
「……無いぞ。」
尾花の丸い瞳が俺を見上げる。
「ローブにいくつか魔術器具アーティファクトは仕込んでいたが、今はこの格好だしな」
「そういや、アンタ凄い格好だな。」
せっかくのおめかしも、出かけるには天気が悪すぎるだろうにって……。
「おい!それじゃどうすりゃ良いんだよ!?俺、アレを貰いにここまできたんぞ!?」
「そんな事、私が知るか!君が勝手にやったことだろ!?」
じゃあこの寄り道は全くの無駄足、とっとと脱出すれば良かったという事か。
無駄にバートに姿を見られただけではないか。
俺が、慌てて扉に駆けて戻ろうとした時だった。
「エルマ!」
バートの声に俺は思わず振り向いた。
見ると、バートの隣に霧のような靄がかかり、それが濃くなっていくと中から人影が現れる。
それはあのエルマと呼ばれた男装の麗人……ではなくなっている。
エルマの格好は、フードの付いたポンチョの様な衣類を羽織り、その下からは胸元辺りを覆い隠す袖の切れた黒い装束が覗いている。
政子ほどではないが胸部がいやにでも強調され、エルマが女性であることを如実に知らしめている。
下は黒いタイツ、それに若干のスリットが入っているのかエルマの褐色の肌が見え隠れする。
如何にも足の速そうな格好である。
アレで実は遅いのであれば、冗談もしくは嘘の類の話だ。
そして、極め付けが腕に取り付けられたアレ。
猫科動物の爪だってアレよりは謙虚だろう。
片腕五本あるうちの一本あれば、充分に人が殺せるような刃渡りの鉤爪。
それが左右で計十本である。
エルマがこちらを静かに見据えて、ただずんでいる。
「なるほど……その姉さんに俺を始末させる算段だったか。」
さっき俺のことをじろじろ見てたのは、殺す相手の顔を確かめてたってわけだ。
「随分と算段を狂わされた。マスター・オバナへの申し開きもこれではどうしようもならない。」
エルマは鉤爪を、指差すように俺へと向ける。
「だから、せめて君だけは確実に死んでくれ。」
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