黒幕

強く激しく風に打たれる窓から外を眺め、尾花は独り気持ちを落ち着けていた。


古来より暴風強雨の類は、悪龍や毒蛇の類が引き起こすものと言われていた。

この度行う解呪の法は、迦楼羅天かるらてん止雨法と呼ばれる護摩儀だ。

迦楼羅天とは、インド神話のガルーダを元とする仏教の守護神であり、悪龍や毒蛇を食し人に益をもたらす。

つまり、今回のシチュエーションにはうってつけの仏閣。


止雨法、つまり息災の護摩儀において行者は白い衣類を着用せねばならない。

尾花も今しがた着替えたところが、上は白いフリルの付いたブラウスに下は花嫁衣裳の様なロングスカート。

どこぞのお嬢様がパーティにでも出かける出で立ちだ。


それを箒の様に毛羽立った黒い髪の尾花が、目の下に隈を作って着ている。

包帯でも巻いていればまさにゴシック・ロリータな雰囲気を帯びるわけだが、誰もこの格好でまさか東洋的な仏教儀式を行うとは思うまい。

有り合わせでも問題ないと言った尾花でも、最初にこれを見せられたときには一瞬言葉を失った。


しかし、袈裟や僧衣がこの世界にあるわけもなく、全てが間に合わせになるのは致しかたない。

礼の尽くし方一つにしても文化・習慣によって様々である。

その方法が何であれ、益を請う神仏にこちらの礼が伝われば良い。


そもそも魔術とは森羅万象の理を読み取り、そこから自身の望む答えを導き出す作業である。

最終的に求める解さえ同じであれば、万物に対してのアプローチは幾万通りあってよいのだ。


これから行う解呪の儀についての不安は無い。

そこには絶対の自信がある。


気がかりなのはそこでは無い。


「あの二人は上手くやっているだろうか……」


そんな言葉のおりが思わずこぼれた事に、尾花は自嘲気味に鼻で笑った


元いた世界で誰かを心配することなど、さて幾許とあった事か。

政子と出会ってからは多少なりともあったかも知れない。

しかし、こちらの世界で過ごした五年の毎日と比べれば微々たる物である。


そして、極めつけてが政子の拾ってきたアレだ。


政子が国衛を家まで運んできた時、尾花は締め付け競り上がるような罪悪感を胸に覚えた。


政子の幼馴染がこの世界にやって来た。

その理由は言うまでも無い。

政子を追ってここまでやって来たのだろう。


考えてみればすぐに分かる事だ。

誰が鑑みる事も無い自分とは違い、政子には家族も知り合いもいるのだ。

その事に至らない自身の浅慮を恥じた。


だが……これは自分の悪い部分だと常々思っている所なのだが。


政子から、その幼馴染の姿が元いた世界で最後に見た姿と変わっていない事を聞いた時、感情が湧きたち底知れぬ興奮に酔いしれた。

胸を締め付ける罪悪感は、いつの間にか胸中の端のそのまた角へと追いやってしまったのだからどうしようもない。


そして、目を覚ました国衛の体たらくっぷりが、止めとばかりに角へ追いやった罪悪感を塵取りですくってしまったのだ。


政子の手前、言葉にこそしなかったがアレはどうしようもないロクデナシである。


口を開けば文句と憎まれ口、こちらが言い返せば屁理屈である。

典型的な理屈っぽい思春期の子供、いやこの場合はガキと言うべきか。

ともかくそれが国衛である。

……まぁ、時折見せる気骨と言うには青臭い無鉄砲は、いかにも若者らしくて嫌いではないが。


だが、アレにだって御両親並びに親類縁者はおられるのだろうし、向こうの世界での付き合いもままあるのだろう。


だから、アレをここで死なせるわけにもいかないのだ。

政子については言わずもがなだ。


このような惨事に見舞われ、心配事の種は増えたというのに小さく笑みをこぼしている自分が可笑しくてたまらない。


それもようやく事態の解決に目途が付きかけている安堵感からだろうか。

今朝から今の時間まで、まるで嵐の中を目的も行方も分からぬまま船を出しているような物だったな。


しかしまだ余韻に浸る時ではない。

まずは、自分は自分のするべき事に集中しろ。

尾花が大きく息を吸うと力強く吐いた、その時。



ギルド商館全体へとけたたましく鳴り響く警鐘。



その途端、解呪の儀の準備が終わり静かになっていた広間も慌ただしく人々が駆け巡る。


「尖塔に隔離していた奴が脱走した!」


「まだ商館にいるはずだ、各自散開して発見を急げ!」


「現場報告の頻度は密に!奴は今回の件の重要参考人だ、必ず見つけ出せ!!」


「マサコ様は何処におられる!?彼女は参考人の関係者だぞ!」


商館職員や警備兵が入り乱れて声を荒げる。

この慌ただしさは準備の時の比ではない。


「……どいうことだ?」


何故、国衛の脱出が部外者たちにばれた!?


尾花が国衛への手紙を書く際に、バートからは商館からの脱出についての記載は不要と聞いていた。

万事、秘密裏に上手くやるとの事だった。


尾花も筆記に時間を余り割けなかったので、その提案に乗っかるような形で筆を執った。

あの年寄りの事は信頼していない、しかしその能力を信用はしている。


そして、この有様である。


大方、見張りへの懐柔をしくじったのだろう。

奴も肝心な時に使えない。

そして、国衛と政子が強硬手段に出たという事か。


だが、問題はそこでは無い。

何時、どのタイミングで情報が漏れたかだ。


国衛が既に脱出しているのであれば問題ない。

しかし、そうであれば政子はここへ戻ってくるはずだ。


であれば、今なおこの商館の中で二人、息を顰めて脱出の機会を伺っているはずだ。

しかし、これだけの人間を動員されては見つかるのも時間の問題か……。


いや!そもそも動員させなければ良いだけの話だ。


バートにはギルド商館にいる職員や警備兵に対して総動員命令が出せる立場である。

そして、その逆も然りである。


つまり、バートの命令によって今の動員はなされている事になる。

教会への要請もしくは義理立てか?

いや、そもそも見張りが教会の息がかかった者であり懐柔に失敗したとして、教会関係者より先に国衛の脱出の情報を掴めばそれをそのまま握りつぶせば良いだけである。

そうすれば、教会関係者に露呈することなどあり得ない


何故ならば、教会関係者はサスキアへの対応に人員を割かれている。

商館内部にいる教会関係者はあの嫌味な司教くらいのものだ。


それゆえ、バートが先に国衛脱出の情報を掴む可能性は非常に高いともいえる。


であれば、なにゆえ……。


「野良犬相手に随分と賑やかだな」


聞き覚えのある嫌味な声に尾花は殺気立つ感情を抑えた。

ただでさえ苛立っている所に来られては、本当に殺してしまいかねない。


「貴様は犬追いに参加しないのか」


尾花は司教を睨み上げる。


「貴様が主催した余興なのだろう?貴様こそ参加しなくても良いのか」


尾花の一言を司教は鼻で一笑に付す。


「貴女の為に申し上げているのだ”異端的不可触階級ワイルドカード”、先を越されると彼は殺されるぞ」


「……まさか」


「貴女も薄々勘付いているのだろう?マサコ女史が懸念していたこと、それが図らずも当たってしまったという事に」


尾花はローブ越しから自身の薄い胸を掴んだ。

それは胸中にあった違和感の正体を見ぬままに握りつぶすようであった。


司教は尾花の動揺を見て取ると、皮肉交じりの笑みを浮かべた。


「当初我々がクライフ殿に要求したのは、いわば痛み分けの提案についてだった。事態収拾の協力と住民への説明責任を共同発表と言う形で果たす、その2点だけなのだよ。そこにクライフ殿自らが彼の身柄を我々に引き渡すよう"提案"してきたのだ」


「"提案"だと?」


おかしな話である。

教会側がバートに取付けた担保として、国衛の身柄を要求するなら分かる。

しかし、何故バート自らが教会へ担保を渡す必要がある?


「そうだ、我々が彼の身柄を要求したという事にすれば貴女方への言い訳も立つ。」


尾花の疑問を汲み取った司教はゆっくりと頷いた。

司教からの一言は、尾花の胸中にあった違和感の正体を輪郭まではっきりと浮かび上がらせた。


「彼を、貴女とサスキア師の過失も背負わせた生贄に仕立て上げるつもりらしい。彼の犠牲は他でも無い貴女を守る糧となるのだ。そして今回の件について、住民達への説明責任も彼一人の仕業として処理するのだろう、まったく大した商売人だよ、あの御仁は。」


自身の思惑と教会の思惑、そして街の住民達の安心と街の安定。

それら全てをたった一人の少年ロクデナシの命で買ったのだ。


尾花は歯を鳴らして司教をさらに睨み上げる。

本来、睨むべき人間は別にいるのは承知の上だ。

しかし、司教の嫌味な表情と皮肉を込めた笑みは感情をぶつけるサンドバックには充分である。


司教の嘲笑は尾花の殺気に満ちた表情をまるで望んでいたかのようだった。


「それとも貴女が代わりに生贄になるか?我々としては喜ばしい限りだがあの御仁がそれを許すまいて、ならば最初からあの少年の身柄など取引材料にもならんのだ、何せ彼の命は失って初めてその価値が出るのだからな」


「それで貴様達はあの高慢ちきを救うべくその提案を受けたと?」


「……我々とてこの街では彼の"提案"を拒むことは出来ないのだ。そして私は言ったはずだ、誰も犠牲にならなければそれに越したことは無い、とな」


「少々、口が過ぎますな、ソーメルス司教」


静かに足音も無く近づいてきた人物。

尾花はその人物を見て、怒りの余り声を失った。

獣の様に目を見開き、身体を震わせる。


「マスター・オバナ、申し訳ありません。バート・フリーゲン・クライフ"個人"としては、最大限貴女方の力になれるよう尽力いたしましたが……このような事態になってしまい面目も無い次第で。」


バートは丁寧且つ神妙な面持ちで尾花に頭を下げた。


魔術師プロスペロー気取りめ、大したものだ。

何時からこの絵図を描いていた?


「その最大限とは、自分の子息を国衛の下に向かわせる見え透いたパフォーマンスの事か?最初は貴様の正気を疑ったが、一番疑るべきは私の目と頭だったらしい。」


尾花はバートの傍まで近寄ると、その腹に拳をぶつけた。


「この余興を今すぐやめさせろ」


「それは……出来かねます」


「何故だ?」


「それが街の安定を望む市民の総意だからです。」


尾花は震える身体を必死で抑える様に強く拳を握る。


「総意だと?なるほど、人一人に罪を被せその命一つ分で街の平穏が買えるならば皆こぞって買いたがるだろうな。だが覚えておけ、貴様は安い買い物をしたと思っているだろうが、その買い物は私の怒りと政子の不興とを抱き合わせで買ってもらうぞ?高い買い物をしたといつか後悔すれば良い。」


尾花は血が上り熱くなった頭の片隅、未だ冷静を保っている部分で自身の言葉を反芻した。

国衛に危害が及べば確実に政子と尾花の不興を買う、そのことが分からぬバートではないだろう。

果たして、バートにとってそれは安い買い物だったのか?


……不興を買ってなお、自身の手の中に尾花や政子を留めておく手段があるという事か?

そうであれば、なおさらに腹が立つ。

頭の冷静だった部分も、いつの間にか冷めることのない熱にさらされた。


「ご気性が優れぬ事は重々承知致しております。もし私”個人”で間に合うのであれば一も二も無くご協力したいと思っておりますが……」


バートは腹にある尾花の拳にそっと優しく手を添える。

警戒する獣が毛を逆立てるように尾花は体を一瞬震わせた。

そして、その瞳に収まり切らない殺意でバートを睨みあげる。


「そうか、ならば一つ思いついたぞ?今すぐ、この場で死n」


「急げ!愚図愚図するな!」


「こっちだ!!」


尾花の言葉を遮るように、怒声や大きな足音が聞こえてきた。

開け放たれた広間の扉から警備兵たちが足早に通り過ぎ行く。


そして、雪崩の様な大軍の最後尾には、教会の関係者だろうか、上質なローブを身に纏った人物が続いて走って来た。

フードを深くかぶっておりその表情は伺えない。


ローブを纏った人物は広間に駆け足で入室してくると、バートへと詰め寄った。


「……教会の方々は皆、サスキア師の対応に追われていると思っておりましたが?」


バートの問いかけに、ローブの人物は一瞬身体を震わせた。


「は!先程、私が見張りの交代で尖塔に行った際、先に見張りについていた修道士が扉の前で伸びているのを目撃致しまして、状況から察するに脱走者は修道士の衣類を奪い逃亡している可能性が……」


「見張りの交代があったとは初耳でしたな、ソーメルス司教が手配されたので?」


バートは司教へ話を振ったが、司教は頭を振る。

バートは珍妙な物を見るような目つきでフードの人物を見やると、数歩近づいた。


「ちなみに貴方の所属はどちらで?」


「へ?所属?」


ローブの人物から、明らかな動揺が見て取れる。


「この街の聖職者であれば、いずれかの教会もしくは修道院に所属しているはずですよ?どちらに、籍を置いておられるのですか?」


「あ、アー……おれ、じゃない、私はその、流れの者でして、どこに籍を置くとか、レーベルは何処とか良く分からないんですよ?」


話を聴いていた司教が怪訝そうな顔を浮かべながらこめかみを掻いた。


「…お名前を聞かせて頂いても?教会の関係者であれば、以前どこかで拝聴したお名前かも知れない」


「……フィールド」


「はい?」


「デビット・カッパ―フィールド」


バートと司教は互いに怪訝そうな顔を見合わせる。

一瞬間の沈黙の後、尾花の小さな笑い声が広間に鳴った。


「なるほど、脱出するならばその名前にあやかりたくもなるか」


尾花はローブの人物の顔を覗き見ると、にやりと口角を上げた。


「やるじゃないか、国衛め」

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