疑り
「ちょっと!お兄に明日があるかなんて分かんないだから、早く起きてよ!」
突然目の前で幼馴染が日向にいる猫の様に腑抜け寝転がってしまった。
政子は慌てて声を掛け腕を掴んで起き上がらせようとするが、国衛は政子に抵抗もしくは重力に努めて従順な態度で起き上がろうとしない。
その様子を無表情に眺めていた尾花だったが、どうあっても起き上がろうとしない国衛に見切りをつけると視線を司教へと移した。
「よくもあの生意気な鼻っ柱のアレをあそこまで腑抜けに出来たものだ。コレも”偉大なる御身グレイト・オブ・ドゥ”の恩恵とやらか?」」
「私も生意気な野良犬だと思ったが存外折れるべきところはしっかり折れる物の分かった少年ではないか、貴女も見習ったどうかね?”異端的不可触階級ワイルドカード”?」
「私に折れるべき機会があればそうさせて貰うさ」
尾花は司教へ手が届くところまで歩み寄る。
そして司教のローブの脇の辺りを強く握った。
その様子を見ていた政子が止めに入るより先に、尾花は司教を睨みあげる。
「貴様、私の身内に手を出したのは、それなりの理由があっての事なのだろうな?」
「例えばその理由は、御身に仕えたる敬虔なる聖職者であり、私の身内でもある人物が得体の知れない魔術師もどきに害されたというので納得出来るのか?」
「貴様……。」
尾花は司教のローブから手を離すと、数歩分素早く距離を取って自身のローブの懐へ手を伸ばす。
尾花の尖った意志を跳ね返すかの如く、司教は尾花へと右手の平を向けた。
「駄目、マスター!」
政子は両者の間で交わされる言葉無き殺気の応酬を肌で感じ、国衛の手を離して尾花の元へと駆け寄った。
「ちょっとマスター、何考えてるの!?今はこんな事している場合じゃないでしょ!?早くお兄をなんとかしないと!」
「国衛を早くなんとかさせる為に奴を一撫でしてやるのだ、それが一番手っ取り早いだろう。」
「馬鹿!そんな事したら嵐より先にマスターのせいで街が壊れちゃうでしょ!」
「ぬ……。」
返す言葉が見当たらず不貞腐ながら唇を尖らす尾花。
それを尻目に政子は司教の方へと体を向ける。
「司教様のご不興を買ってしまった事については、尾花共々陳謝致します。ですが私共も取り込んでいる身でして……。」
司教は喉を鳴らして皮肉に笑う。
「えぇ、そのことは存じておりますよ、ですが私は他でもない彼に用があるのです。」
「あの、それはどういう……。」
「彼の身柄を一時預からせて貰うのですよ。」
政子は目を丸くして司教を見た。
司教の言った言葉の意味を頭が理解する事を拒む。
しかし、それでも深い影を落とすような予感が政子の心臓を激しく叩く。
「何を驚く必要がありますか?そもそも彼の身元についてはどうも怪しいところが多い、一時期出没していた怪しげな浮浪者と特徴が似ていたり、この街にいながら商業ギルドや冒険者ギルドへの登録が無い。そのような人物がサスキア師との間に問題を抱え、あまつさえこの街全体にも及ぶ被害を与えたともなれば、こちらもその身柄を早急に確保したいと思うのは当然ではないですか?」
理路整然と事もなげに説明をする司教。
そして、その視線は尾花へと向いた。
「もっとも彼に限らず不穏な人物はもう一人該当するわけだが……こちらについてはバート殿からの強い意向もあり私達も泣く泣く手を引く事にした。」
「……バート様が。」
オセルのタリスマンは既に政子の元には無い。
しかし、政子は再びバートへの不信感が足元から痺れの様に這い上がってきていた。
尾花の身代わりとして国衛を教会へと差し出したということか。
「ソーメルス司教も人が悪いですな。彼の身柄を引き渡すと言っても一時的な事、この件にケリが付けば即時解放するという条件だったはずですよ。」
その時、広間へバートが姿を現した。
司教とバートとの間でどのような取引がなされたのか分からない。
しかし、その岩の様な険しい表情から察するにその場にいれば胃の痛くなるような会話が繰り広げられたのだろう。
その機嫌も気性も著しくないバートに対して、しかし、政子は意を決して早足で詰め寄った。
「国衛の身柄を引き渡すというのはどういう事なんですか!?」
政子が自分に詰め寄ってきたのが意外だったのかバートは少し目を見開いた。
すぐに落ち着きを取り戻すと政子に苦慮している表情を見せた。
「ソーメルス司教が仰られた通りだ。今回の件に関して彼は重要参考人でありながら、ギルドへの登録が無くこの街の市民として認められていない。それゆえ、身柄を教会預かりとする事が決定した」
街の中心組織である商業ギルドとそこから仕事を斡旋してもらっている冒険者ギルド。
街で働く以上はそれらのギルドに登録することになり、働くという事はつまり街中の労働者は誰であろうと商業ギルドの管理下に置かれているといことになる。
そして、街で暮らす以上は街で働く事と同義になる。
つまり、街の市民として認められるには商業ギルドへの監視下に置かれなければならない。
バートには市民を守る力があり、その責任もある。
しかし反せばバートには市民以外を守る力も無ければ、責任も無い。
つまり市民では無い国衛はバートにとっては管轄外の人間なのだ。
いや、寧ろ尾花の代わりに立てる都合の良い人柱として国衛以上に格好の人間もいない。
例えば事情を全て説明したとすれば、バートは国衛を解放してくれるだろうか?
では、国衛の代わりを求められたら?
……考えるまでもない。
政子は緊張と怒りと興奮の強熱によって頭が熱い血によって圧迫されるのを感じた。
鼻にツンとした痛みが走り、目頭に涙が溜まる。
「私が身代わりになります!とにかくお兄を解放して下さい!」
「おや、彼は貴女の幼馴染と聞いていましたが……お兄ということはひょっとして彼は貴女の肉親でしたか?」
バートへとさらに詰め寄った政子を見て司教が笑う。
政子は司教の笑い声を聞いて我に返った。
「あ、いや、その、アレは兄弟みたいな何某で、えぇとそう、そう言って差しさわりの無い関係ですが、だからといってそれ以上の関係というわけでもなくですね」
興奮のあまり、国衛の事をそのままお兄と言ってしまった。
頭に上った血がそのまま顔まで下りた様に政子は赤面する。
血が頭から降りた分だけ政子の突発的な勢いは収束していく。
「あの、ともかく、私が代わりになりますから国衛については……。」
萎れながら上目づかいにバートを伺う政子。
いつもであれば、慌てて取り繕うとする政子に対して愉快に笑顔を向けるバート。
しかし、今回は未だ険しい表情のままだった。
「この街での彼は素性の知れないならず者だ。もし再び彼が何かをしでかした場合、私はお前になんからの処罰を下さねばならない。言っただろう?お前は私の娘同然だと、後生だから親である私にそんな悲しいことをさせないでくれ。」
「……私を娘だと思ってくださるのであれば、私が国衛を実の兄だと思う気持ちも汲んではいただけませんか?」
政子は顔を伏せたまま静かにバートへ尋ねた。
しかし、バートは首を横に振る。
「彼の身柄の確保は、私の一存ではないのだよ。」
それ以上政子は何も言わず、いや言えなかった。
そして、未だ丘に上がった海月のようになっている幼馴染を見た。
結局救えぬのであれば、いっそこのままにしていた方が……。
「この街では読み書きもできぬ小僧一人、貴様の勝手に出来ぬとは商業ギルドの元締めが聞いて呆れる。」
それまで黙っていた尾花が不意に言葉を発した。
そしてバートを黙って睨むと、鼻を鳴らし広間の扉へと歩を進める。
「……マスター、何処に行くの?」
「腹が減ったのだ、解呪を行うにも体力がいる。」
尾花はそのまま広間を後にする。
尾花を勝ち誇った目で見送った司教は視線をバートへと移した。
「それでは、彼の身柄はこちらで預からせて頂きますよ。」
国衛の元へと司教が近寄ろうとする。
政子はほぼ衝動的にそれを阻止しようと身体を動かした。
しかし、政子の肩にそれを制止する手が突然伸びた。
誰の手なのか、それは見ずとも分かっている。
ほとんど睨む様に後ろを振り返る政子。
やはり、政子を制止していたのはバートだった。
しかし、その表情はあの岩の様に険しく厳かな物では無く、余裕を蓄えて笑っていた。
呆気にとられて目を弛緩させる政子の顔の前で人差し指を振る。、
政子を優しく後ろへ引かせると、司教の前へ躍り出た。
「ですが外はあの様子ですし……。そちらもサスキア師への対応で人員を割かれておられるのでしょう?取り急ぎ商館の尖塔……今は物置になっていますが、そちらへ預けられては?」
バートの突然の提案に司教は値踏みするように目を細める。
「……信用して宜しいので?」
「信用して良いかと言われれば私としても無論とお答えするより他は御座いません、それ以上の身の証を立てるにも少々時間が押しているようですし……時に政子」
バートは振り返ると政子を見た。
「彼はこの街で字を書くことも出来ねば読むこともままならぬ、そうだったな?」
「……おそらくは。」
未だ状況がつかめていない政子はたどたどしく探りながらバートの問いに答えた。
バートは政子の問いに満足げに頷くと、再び司教へと視線を投げる。
「この様な輩ですので、某かが脱出の手助けを企んだとしても連絡手段が無いのです。見張りの1人でも置いておけば事が足るでしょう」
司教は黙って思案していたが、やがて広間の入口へと歩みを進める。
「その辺りは貴方にお任せ致します。私としてはただこれ以上に何も起こらず円滑に事が運べば良いのですよ。無論誰も犠牲にならぬであればそれに越したことは……おや?」
司教は広間の入口の裾あたりに視線を落とした。
「食事に出たのでは無かったのか?」
「迷ったから戻ってきた、それだけだ。」
入口の外からは尾花の不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「私の身内をいつまであのままにしておくつもりだ?貴様がどこへ行くのも勝手、いやむしろ喜ばしいがアレをあのままにしておくのはこちらも困るのでな」
「放っておけば時期に戻ると思うが、不安ならば貴女の魔術もどきで何とかしてみればいい。」
司教は鼻で笑うと、声がした方とは逆の方向へ歩いて行く。
「政子、用が済んだのなら早くしてくれ!今の私は腹は減るのにストレスは溜まる一方なのだ、寝起きの赤ん坊より性質が悪いぞ!」
尾花の声を聞いた政子は慌てて広間を出ようとした。
しかし、バートの事が気になりそちらを見る。
バートはやはり余裕の笑みを湛えて政子に行くように促す。
険しい顔つきから一転、今の余裕はどういうことなのだろうか?
バートの真意が読み取れず、政子はしこりの様な疑問を引きづりながら尾花の元へと駆け寄った。
政子の姿を確認した尾花は、司教がいなくなったことを確認すると政子を見て笑った。
「君があの場で”お兄”などと言うから、こちらは笑いを堪えるの必死だったぞ。」
「いや、あれはいつもの癖で、私も慌ててたから……って」
不機嫌そうにしていた尾花だったが、今見る限りだとそうこまで機嫌が悪そうでも無い。
司教の存在がそこまで嫌だったのか?
しかし、国衛を取り巻く状況は悪くなる一方であり、笑っていられるような余裕もないはずだ。
「だが、あれでクライフの爺も事情が変わったことを察しただろう、早く行動に移るぞ。」
尾花は足早に政子の先を歩いて行く。
政子は慌てて尾花の後ろへとついて行く。
「あの、マスターどういうこと?」
政子は尾花の後ろをついて歩きながら色々と事情が呑み込めない部分について尋ねた。
国衛を取り巻く状況はどんどん悪くなっている。
しかし、バートが何故突然表情を変化させたのか、尾花が比較的余裕のある態度でいるのか。
司教が広間を離れてから二人とも薄情とも思えるほどに態度に余裕を見せ始めているのだ。
「君が思っている通り恐らくクライフの爺は私の身代わりに国衛を立てた、それは間違いあるまい。」
政子は黙って頷いた。
バートにとって、そしてこの街にとって尾花と国衛、どちらがよりこの街にとっての益となり得るか。
二人の命を天秤にかけた時、岩より重い尾花によって羽より軽く持ちあがるのが国衛である。
「しかしだ、国衛の事情が変わったことについてはクライフの爺も知らなかったはずだ。」
「あ……」
そうだった。
政子は自分が興奮していたのとバートがあまりに状況にすぐさま対応したために有ることを失念していた。
あの時のバートは、尾花が解呪を行っても国衛はソーンのタリスマンによって助かると思っていた筈だ。
だから国衛の身柄について引き渡しに応じた。
解呪を行うために必要な尾花、ほっといても助かるはずの国衛、優先すべきは言うまでもない。
しかし、尾花と司教の只ならぬ雰囲気と政子の慌てようを見て事態が変化したことに気が付いたのだ。
「国衛の身柄の引き渡しと言うのも、教会からの負け惜しみから出た行動だったのかもしれん。クライフの爺が言っていたろ?教会なんぞ聖堂改築の融資を止めればどうとでもなると、最初から弱みを握られている教会もだから私にまで手が及ばなかったのだろう。」
尾花と司教、というよりもサスキアの例も挙げれば尾花と教会自体かなり折り合いが悪い。
それは教会の持つ既得権益が尾花の魔術によって侵させる可能性もあり、またバートが尾花を重視するのもそれが理由なのだが。
それはまた別の話である。
ともかく、教会としては今回の件で尾花の身柄を拘束そして糾弾できるチャンスであったが、バートが尾花に懇意しており教会もバートに弱みを握られている手前、負惜しみで国衛の身柄を確保したのだろう。
しかし、政子はそこで再び自分が軽率な行動を取ったのだと思い至った。
自分が取り乱したせいで司教も国衛が自分の手札になり得ると気が付いただろう。
国衛を取り巻く状況は変化しており、負惜しみは一転、教会にとって交渉のカードになった。
政子のそれが無ければ、バートが上手く国衛の拘束について白紙に戻せた可能性もあったのではないか?
落ちる政子の表情を尾花は振り向いて見上げた。
「どの道、国衛は拘束させられたのだ。クライフの爺に状況を理解させることが出来た分、結果として上手くいったのではないか?何せ街の重鎮を前にお兄!とのたまったのだからな、その真に迫る必死さは……」
「お褒めに預かり光栄なところ恐縮なんだけど、つまり私は何かを気に病む必要は無いって事でよろしいのかしら!?」
おどけて顔を顰める尾花に対して、政子は照れを隠すように視線を逸らす。
その様子を見た尾花は政子をからかう様に笑った。
「そもそも、クライフの爺が私の身代わりに国衛を立てたのも、アレがギルドにも登録せず、惰眠を貪り、市民として認められなかった結果、いわば身から出た錆だ。何せクライフの爺には市民以外を守る力も責任も無いのだからな。無論、君が責任を感じる必要も無いだろう。」
「ってことは、全部元はといえばお兄が悪いってこと?」
「という事にしておけば、私も君も気が楽だろう。」
今回の件について全てが国衛のせいというのも少々気が引けるが……そういう事にしておけば次からは真面目に働くだろう。
そう、だから必ず次を作らなければならないのだ、そのために絶対に国衛を死なせることは出来ない。
「絶対になんとしても助けてやるんだから……。」
政子の呟きに尾花は小さく微笑んだ。
「だが国衛は拘留される、これは決定事項だ。そのままにしておけばおそらく死ぬ、これも曲げようのない事実」
「うん。」
「ならばここから脱出させればいいだけの事、元より私はそのつもりだったのでな。」
司教が広間に入ってくる前、尾花が言っていたこと。
国衛が助かるには、国衛が全力疾走で街の外に出るというアレのことか。
どういう理屈かは分からないが、国衛が全力で街の外に出るには国衛をこのギルド商館から脱出させる、そしてさらにその前に腑抜けた国衛をどうにかしなければならない。
「しかし……食堂は遠いな、そこで国衛の正気を戻す物を作ろうと思っていのだが。」
「あのさ、マスター。」
「どうした?食堂で何を作るか着になるのか?簡単に言えば気付け薬だ、ナツシロギクをベースに、クミン、カンゾウ、ナツメグ、本来ならバンウコンもあれば良いが……。なければホップで代用しよう、これをオートムギの粥に」
「いや、食堂は来た道の反対にあるんだけど」
つまりは司教の歩いていった方向にある。
それを聞いた尾花はしばらく地蔵のように固まっていたが、その後極めて平素に何事も無かったように自然に元来た道を戻っていく。
やはり、今回の件を国衛だけのせいと断ずるには国衛に対して気が引ける。
政子はそう思いながら尾花の前を歩くため、駆け足で尾花の元へと向かった。
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