サスピシャス・マインド

開け放たれ扉からは一人の男性が現れた。


歳の感じはバートよりもさらに一回りは上だろうか。

頭の上にいくらか残された頼りなさげな白く薄い髪と、世界地図の様にところどこに点在している染みがより年齢を感じさせる。

目は無愛想で細く、見た物を全て嫌味にとらえているようだった。

なにより老人の羽織っているローブがサスキアのそれと同じ物、または蔓の様に施された金刺繍の絢爛さはそれ以上である。


老人はゆっくりと広間へ入室すると、品定めするように周囲を見渡す。

そして、その嫌味な目で俺達の方を見ると小さく鼻でため息を吐いた。


「何事と思って来てみれば、この様な物を設えて……。」


西洋風護摩壇について言っているのだろう。

不可思議で理解出来ない事は察するが、しかし言葉から見える排他的な棘々しさ。

それに尾花の険しい表情と、政子の苦々しい顔からも老人がどのような人物かうかがい知ることが出来る。


「おたくが設えている箱モノに比べれば随分慎ましいと思うがな。」


尾花はわざとらしく尊大に老人へと歩み寄り負けじと応戦する。

箱物とつまり改築途中の聖堂の事だろう。


「あれでも”偉大なる御身グレイト・オブ・ドゥ”の威光からすれば随分と慎ましいのだ。”異端的不可触階級ワイルドカード”にはそれも分からぬか」


「他人に懐を痛めさせておいて”慎ましい”とは御大層な事だな」


「”偉大なる御身グレイト・オブ・ドゥ”は森羅万象の親である、いわば自然そのものだ。ならば、その恵みを享受する者が等しく親へ孝行するは当然ではないか」


「それなら山を称え海に拝め、”慎ましい箱物”よりもいっそう雄大かつ有意義だろうに。」


「マスター、その辺にして。」


そこでようやく政子が止めに入った。


「あの司教様、うちの尾花がとんだご無礼を……。」


尾花を自分の後ろにやり恭しく頭を下げる政子。

態度こそ従順そして沈痛な様子であるが、それが本心ならばもっと早くに尾花を引っ込めているはずだ。


「これはこれはマサコ女史、息災でございますかな。」


司教と呼ばれた老人も政子へ礼を尽くし頭を下げる。

"女史"などという言葉で政子を必要以上に飾っている辺りがなんとも嫌味である。


政子は引きつりながらぎこちない笑みを浮かべた。


「まぁ、その、ほどほどに……あの、こちらに来られた御用向きは?」


「御用向きも何も、この事態に我が中央教区の俊英であるサスキア師が巻き込まれているのですよ?しかるべき対策をギルドと協議し、彼女の身の安全を確保しなければならない。」


そこで司教は鼻でため息を吐き、首を回して倦怠感を露にした。

その態度は面倒ごとに巻き込まれた疲労というよりは、察しの悪い間抜けの付き合うことに対する徒労のように見える。


しかし、察しが悪いのは司教だって同じである。

俺たちは巻き込まれたのではない、奴が人を巻き込んでいるのだ。


「それならギルドに頼まずともそれこそ”偉大なる御身グレイト・オブ・ドゥ”にでも頼めばいいだろう」


尾花が呟いた一言に俺は噴出しそうになるのをこらえ、尾花を軽く肘で小突いた。


(誰なのさ?)


(確か中央教区の司教様のはずだ、簡単に言えば司祭殿の上司だ。)


(へぇ、それで名前は?)


(さぁ?アレだっておそらく人間だろうし名前くらいあるんじゃないか?)


(……だろうね、俺もそう思ってたよ。)


この人に郵便配達だけはやらしちゃ駄目だな。


しかし、あのサスキアあってこの司教というか、サスキアの関係者だとと予想はついていたのだが。

そうなると誠にタイミングが悪い。

何せ尾花が俺の命が助かる方法を説明しようとした矢先である。


これがただの知り合い程度であれば、急ぎの用だと場を閉める事も出来る。

だが、あの司教様に対してそんなことをすれば延々と嫌味を言われそうである。


やきもきしながら政子と司教が話をしているのを眺めていると、一瞬間の隙を縫って政子が視線をこちらに移した。


その視線を受け取った俺は、再び尾花を小突いた。


(私は何も言ってないぞ?)


(違うって、政子があの爺さんを引き付けてる間にここから立ち去ろう。)


尾花は俺を見上げ次いで政子の方を見ると、小さく頷いた。



ゆっくり慎重に尾花の肩を押して歩を進めていく。

司教の関心は未だ政子にある。

良いぞ、そのまま司教の気を引き付けてくれ。

なんなら乳の一つでも揉ませてやれば良い。


「そうそう、私共もここへ来るまで遊んでいたわけでは無いのですよ。」


そのとき、司教の目がゆっくりと移動している俺と尾花を見据えた!

政子!なにをやってやがる早く乳を……!


「なぜ今回のような嵐が起こったのか、そしてそこになぜサスキア師が巻き込まれたのか私共も独自に調査していたのです。」


「そ、ソレハタイヘンキョウミブカイデスネー……。」


政子の身体が立て付けの悪い襖のようにぎこちなく横移動しながら俺と尾花の体を隠そうとする。


「なんでもサスキア師は事が起こる前に誰かしらと口論していたとか……例えばそれは汚いローブを羽織った気味の悪い少女だったり。」


しかし、司教の眼は得物を睨む蛇のように尾花を捉える。


「何処を切り取っても平凡の域を出ない甲斐性の無さそうな少年だったり……。」


そして、ゆっくりと視線を上げ俺と視線をぶつける。


「政子女史は、そのような人物に心当たりはございませんか?」


「えぇと、そのー、知り合いにはそんなのばかりなんで……小汚い少年とか甲斐性の無い少女とか、さてどれの事を言ってるのかがさっぱり……。」


これ以上はどうにもならないだろう。

なおも、しどろもどろに取り繕うとする政子が不憫で仕方ない。


「どうも小汚い甲斐性無しこと国衛っていいますが、拝み屋さんがなんの御用で?」


「ちょっと、お兄……!」


「良いから、お前は下がってなよ」


政子を引き下がらせた俺は司教へと歩み寄った。


「サスキア師を打ち負かした相手がどのような者と思っていたが……このような野良犬に遅れを取るとは彼女もやはり若い。」


司教の侮蔑の篭った視線が刺さる。


「あのおっかないねーちゃんが、俺に遅れを取るなんて一度も無かったですよ。それどころか今だって街の人間相手に大立ち回りじゃないですか」


俺は未だ大きく小刻みに震える窓を指差した。


「それでもなんか気に障ることがあったんなら俺も頭下げますし、なんならもう一人の小汚いのにも頭下げさせます。だから、ここは一端引いちゃくれませんか?」


俺は司教に頭を下げ返答を待った。

この程度の屈辱など死ぬことを思えばなんてこと無い。


司教の侮りで腹を満たし満足げな鼻笑いが頭の上から聞こえてきた。

そして司教は手を俺の頭に翳す。

正直この歳で誰かに頭をなでられるなど屈辱でしかない。


しかも相手は嫌味な老人……。


「汝、我を視よ我を想見し我を感じよ、我を見据える猜疑の瞳は己が猜疑の呪縛と知れ"サスピシャス・マインド"」


あぁ……心地よい。


何か、晴れ晴れとした太陽の下で南風を感じているようだ。

俺は、何を慌てていたのだろう。


それに政子も尾花も、大きな声を出して何を叫んでいるんだ。


そんなに俺の名前を呼んだって、目の前に俺はいるってのに。


司教様はこんなにも満足気な顔をしていらっしゃるのだ。

それで良いじゃないか。


それよりなんだか今は無性にその辺に寝転びたいんだ。


もう、今日は良いだろ色々頑張ったからさ、全てはまた明日だよ。

それじゃお休み。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る