振り出し

君に渡した札、あれは修験道の”遊蝶帰華呪ゆうちょうきがじゅ”という術に用いる札だ」


俺たちはギルド商館の中、大応接室と呼ばれる広間へと通された。

広間の窓は強風によって強く揺さぶられ不安を煽る音がしているが、それ以上に広間の中の喧騒が大きく、そこまで気になる物でも無かった。


広間に入って早々バートの指揮の元、商館の職員や街の職人たちが大慌てで広間の転換を行っている。

それは全て解呪の儀を行うための準備であり、本来なら尾花が率先して陣頭指揮を執らねばならいないはずだが、尾花はバートにちょこちょこと要望を伝えるのみで特に忙しそうな様子も無い。


それでも尾花が特に不満を言っていない辺り、概ね滞りなく準備が進んでいるのだろう。

それはバートの能力がなせる技なのか、案外と尾花が陣頭指揮を執るよりもそちらの方が仕事がスムーズに進むのかも知れない。


なので時間が余ってそうな尾花に、先ほど俺と政子を帰還せしめた魔術の様な物について質問してみた。

自分の命を救って見せた魔術である、関心の一つでも抱かないと却って罰でも当たりそうだ。


「愛染明王の霊験にあやかったこの術だが、本来は蝶が花に戻るように浮気性の夫や異性が自分の元に帰ってくるよう祈願する術だ。しかし、この世界であればあのような使い方もできる。」


「気持ちどころか身体が浮いたからね、俺」


愛染明王由来の妙技、その効き目の程は痛いほどに身体で体感した。


愛染明王は特に密教や修験道に関わりの強い仏尊の一柱であり、大日如来の左右に不動明王と並んで鎮座する、仏教会の……三人官女の一人みたいなものなのだろうか?良く分からん。

この愛染明王だが、その霊験は無病息災、増益、敬愛、降伏、鈎招、延命と多岐に渡る。

特に結婚成就など恋愛面においては仏教神の中でも最強の神格らしい。

その万能ぷりと恋愛諸事への桁外れたステータスはまるでネット小説の主人公、出来る事なら術による手助けだけと言わず俺と立場を変わって欲しい物である。

その手に持っている得物も弓と矢で、アジア版恋のキューピットのような存在だそうだ。

しかし、その全身は炎の様に赤く三目で六本の腕を持っており、憤怒の形相でこちらを睨みつけ、大よそイメージされるようなキューピットからはかけ離れている。

一応鬼のような形相で邪気を払ってくれるのが理由らしいが……女子高生が旅行先のお土産で買うには些かデフォルメし辛い気もする。



「司祭殿の竜巻が炎を上げたのを見て、すぐに術を発動させたのに君たちが返って来ないので心配もしたのだが……なるほどソーンのタリスマンが弊害となっていたか」


本来なら竜巻に炎が灯った瞬間”遊蝶帰華呪ゆうちょうきがじゅ”によって俺の体は尾花の元へと引き寄せられるはずだった。

しかしそこは北欧神話の叡智ルーン文字である、仏教界のファンタジスタ愛染明王の妙技を見事防ぎ切りった為、当初はゆっくりとした効果しか顕さなかった。

そして俺が政子にタリスマンを渡した際に、それまでピッチに堂々と立ちふさがっていた名ストッパーが突然いなくなった”遊蝶帰華呪ゆうちょうきがじゅ”は見事俺を放置された屋台へと叩きこんだわけである。


「だが君の言うとおりあのタリスマンがあれば、恐らく君に跳ね返ってくる呪詛返しもしのぎ切る事ができるだろう。全く私は天才だな。」


その天災のような呪詛返しとやらもその天才様の仕業なのだが、そこは良いのだろうか?


疑念は尽きないが、しかしそれでもまずは何より無事生き延びる事が出来そうな事を喜びたい。

ソーンのタリスマンが有るのだから、何も呪詛返しに怯えずとも良かったわけである。

誰かがもっと早くに気が付くべきだった、バートに政子はタリスマンの事を知らないからそもそも除外、すると俺か尾花が残るわけだが尾花は……この人を一般的な正論で責めるのは酷な気がする。


つまり俺がもっと早く気が付くべきだった。


しかしそんなすったもんだはあったが、後はのんびりと解呪の準備を待つだけである。


「しっかし解呪ってのも大変だな、こんなもんまでこしらえなきゃならないとは。」


広間の中央には1m角程で高さが膝上丈程度の正方形の台と、その前方には人が一人座れそうな台、そしてコンパクトな台の横には脇机の様な物が左右二つ設えられている。

正方形の大きな台の上には前方に鳥居の様に高く囲った門の様な物があり、台の四隅には柱が立てられ門と四隅の柱を一筆で結ぶように一本の縄が張ってあった。


「護摩壇は見たことが無いか?寺なんかで釜に火をくべて、色々投げ込みながら何かを唱えているヤツがあるだろ?アレを設置している。」


ぼんやりとした記憶の中でそういった物があったような気がしないでもない。

しかし仏事も神事も良く区別がつかない俺には、記憶の中にあるイメージが果たして、空海伝来の密教系秘術の光景なのか年始にやっていた近所のとんど焼きの光景だったかは判然としないわけである。


「それもあながち間違いではないぞ。左義長は地域によって様々な呼び方があるが、神奈川の方ではさいと焼きと呼ばれ修験道の柴燈大護摩供さいとおおごまくと関連があると言われている。まぁ陰陽道にしろ修験道にしろ多くの儀式法要が民間に払い下げられているから、そこから小正月の終わりにやる左義長が出来たのかも知れん」


まるでネットの記事をそのまま引用したかのように、すらすらと極東の正月行事について語る尾花。

北欧から極東までペラペラと魔術の薀蓄が出る物だ。


だが、仮にこれが東洋の宗教的儀式を行う空間だと言われれば少し疑問である。


何と言うか、オリエンタルな荘厳さが無いのだ。


と言うのも、まず中央に置かれた大きな正方形の台は赤レンガを積み上げた物であり釜を置く台と言うより西洋かまどに近い。

そして脇机の足が長く猫科動物の腰の様に湾曲している辺りに上品さと気品は十二分に感じられるが、東洋独特の物静かな威圧感は無い


細々と置いてある器や燭台などを見ても、日頃仏壇の前で線香の匂いを嗅いでいた身としてはどこか違和感がぬぐえないのだ。


「この世界には無い道具もあればそもそも全てが急ごしらえ、見た目がそれらしくないのは致し方ない。だが見た目の事を言えば、護摩という祈祷儀式自体その大元をバラモン教のホーマまで辿るのだ。ならばこれだって、そこから派生した西洋風護摩壇と言ってしまえばそう見えんでもないだろ?」


そして尾花はその西洋風護摩壇の傍まで近寄ると、正方形の台を正面にして右手にあるベルを指差した。



「それに見てみろ!素晴らしいとは思わんか!?磬台に下がっているこのドアベルを!護摩に使う磬ケイなどこの世界に有るわけがない。しかし見た事も無い道具を私からの口授と想像によってドアベルで代用しようというこの世界の住人達の知恵と努力!実に素晴らしい。」


光悦とした表情でドアベルをつつく尾花。

そもそもそのケイなるものがなにを指すのか分からない。

それに今つついているドアベルを仏事の道具と思っているなら、そんなことをすれば罰当たりだとは思わないのだろうか。


だが、俺は何か文句を言える立場ではない。

むしろ、自身の命に関わる出来事ですら結局は他人任せになっているのだ。

今朝政子から指摘された一件と言い、その暇を持て余して起こった今回の出来事言い、自身の無力を思い知るというのは、まるで時間に「今までお前は何をやってきたのか」と責められているようで中々に惨めでやり切れない。


「君も早いとこ政子からタリスマンを返して貰ってきた方が良いぞ。忘れてましたはシャレにならんからな」


俺に出来る事と言えば、解呪の際の万が一に備えて覚悟する事くらいである。


「そのついでに、君の幼馴染に声でもかけてやるといい」


それは尾花なりの気遣いなのか体の良い厄介払いか、ともかく政子の処へ行って来いとの事である。


「アンタは、自分の友人に何か声かけてやらないのかよ。」


「ならばついでに私の分まで上手くフォローしてくれると助かる。」


……どうやら面倒を押し付けられただけのようである。



仕方がないので俺一人で政子の元まで行くことにした、そしてその姿は探すまでも無い。

広間の隅で正座して萎れている。


この広間に入って早々、先程の無茶をバートが咎められ、尾花からは呆れられてた。

その事がだいぶ堪えたようである。


「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と言う美しい女性の佇まいを形容した言葉があるが、今の政子は立てど座れどましてや歩いたところで枯れた朝顔の域を出な。

例え寝転がっても同じだろう。


「正座するの辛いなら足崩せば?」


俺の一声に、政子は重たげに顔を上げた。

乱れた前髪が砂浜に上がった海藻の様に顔に張り付いている。

その沈んだ表情と相まってお盆の海に出てくる亡霊の様であった。


「……お兄か、皆の手伝いしなくて良いの?」


「手伝いってもなにすりゃ良いか分かんないし、下手な事して足引っ張ってもいけないって尾花からやんわりと戦力外通告されたよ。」


「なにそれ。」


政子はそこで小さく笑った。

この広間にやって来て初めて見せる政子のポジティブな表情に少し安堵している自分がいる。



「……なんか、色々とごめん。」


「良いよ、別に。」


しばしの沈黙が流れた。

そう言えば前にもこんなシチュエーションがあったな。

前回はあえて何も言わなかったのだが、今回は何を言えば良いのか分からない。


正直言うと俺だって政子へ文句の一つでも言ってやろうと思った。

しかし、バートにつけ尾花につけ俺の言いたかったことを全部言ってしまったのだ。

それに二人に伸されてすっかり萎れた政子にそれ以上の言葉を投げるとしまいには枯葉の様に散ってしまいそうだった。


だから敢えて何も言わなかった処にフォローしてやれと言われても何も言葉が出てこない。

萎れた他人に対して、水や肥料になりそうな言葉を立て板に水をかける様にスラスラ言えるほど知識や語彙を肥やしてはいない。


「……私ね、バート様が恐いの。」


結局、また会話の火口を切ったのは政子だった。


「あぁ、ありゃおっかなかったな。」


あの目の笑っていない笑い方は政子といい勝負である。

そして、政子を叱責する際も極めて落ち着い調子で相手の言葉を予測し言葉を選びながら、弁明や申し開きの目を一つ一つ潰していく。

その上で相手の 手抜かり、落ち度、思慮不足、不備、不足を上げて行き、相手の反省や自己批判の気持ちを大きくさせる。

そうなると、バートに責められた相手が口に出せるのは謝罪だけである。


説教を受けた事に対しての不満など湧き上がらせない程に完膚なきまでに叩きのめす。


俺は一連の様子を思い出すと、思わず顔を顰めて頭を振った。


俺は政子が叱られているのを端から聞いているだけだったが、身につまされる思いがして聞くことに堪えられなかった。

あの手の説教は本当に辛いのだ。


政子は俺を見ると可笑しそうに笑う。


「それも怖かったんだけどさ。私が言いたいのはバート様に見捨てられたら私はこの街で生きていけなくなるってそういう事。」


「見捨てられるって……お前や尾花は飯誘われてたんだろ?街の最高権力者に良くして貰うなんてどんなコネクションだよ」


現に今だって事の不始末の対応を全力でして貰っているし、先ほどの説教にしたって政子を心配しての事だろう。

勿論、不始末の対応については街の為ってのも大きいだろうが、それを言うなら俺や尾花を揃って牢屋にぶち込んだほうがよっぽど街の為と考えそうである。

俺の疑問に政子は黙ってかぶりを振る。


「そのコネクションだって結局はマスターの魔術有りきの物だし、私のこの街における存在価値は多分マスターの操縦桿ってだけ。バート様は商人で政治家だから、ただ単純な善意で私なんかに良くしてくれるなんて有り得ないよ」


「……操縦桿があったところでどうなる人でもなさそうだけどな、あの人は。」


現にそれでこの様である。

それに個人を別の個人によって制御するなんてやり方には正直嫌悪感を覚える。


「けど、私はそれを期待されているんだからそれに応えないと。そうしなきゃ、私はこの街での存在意義を無くしちゃうからさ。いずれはバート様、ううん、この街から見捨てられちゃう。」


「それで焦ってあの危ないねーちゃん説得しようとしたわけね。」


つまり、政子は尾花を監視し制御できなかったことの責任を取ろうとしたわけである。

友人を監視して制御するなんて随分と業が深い。


「サスキアってなんでか普段から私のこと慕ってくれてるの、それに期待してみたらあの様ってわけ。」


アレは慕う以上の何か別の感情だと思うのだがどうだろう。

もしくは普段はもっと大人しいが、極限状態における火事場のなんとやらでドーパミンだかアドレナリンだかが過剰分泌された副作用的何かであのような興奮状態になったとか。


しかし政子の方はというと、先の一件で自身の至らなさを過剰に受け止めているらしい。

政子の表情がまた枯れた朝顔に戻った。


「そこまで思いつめるくらいなら、いっそこの街出て行ったほうが良いんじゃない?」


政子の表情が一瞬だけ緊張したように張り詰めた、しかしそれもすぐに萎れ塞ぎこんでしまう。


「……私はこの街を出てやって行く自信が無いよ。それに私が大丈夫でも、マスターが付いてきてくれるか分からない。この街には物もお金もいっぱいあるから、マスターが研究するにはこれ以上ないくらいの環境だし、バート様だってそれを理解しているからいずれはマスターを……」


「お前がどんだけ悩んでんのかとか、尾花の魔術がどんだけのもんなのかとか、そこんとこはまだ良くわかんないんだけどさ。」


俺は政子の話を半ば遮るように言葉を発した。

枯れた朝顔どころか、うじうじとかび臭い様子の政子に苛立ったのか。

そんな政子がその後に続けようとした言葉を聞きたくなかったのか。


「尾花については良い事を教えといてやるよ。」


「え?」


「あの人、クライフさんのフルネーム覚えてないんだ。」


政子が口を漫然とあけて信号を発するように数度瞬きする。

俺の言ったことがあまりにも突拍子も無かった事と、一番のパトロンの名前を未だ覚えていない尾花に対する驚き。

丸くなった目からは言葉無くともそれらの驚きが見て取れる。


「少なくともフルネームを覚えるまでは安心して良いんじゃない?」


政子は身体を震わせ笑いの沸点を超えないように必死に耐えている様子だった。

しかし、最初は小さな気泡が煮立てていくとやがて大きく泡立ち沸騰するように、真一文字に結んだ唇からプスプスと息が漏れ、肩をグラグラ震わせると、いよいよ耐え切れなくなったのか顔を真っ赤にして一気に笑い始める。


「ちょっとやめてよ、私真面目な話してるんだけど。」


それまで萎れていた政子が突然大笑いし始めたので、周囲の驚いた視線がこちらへと集まった。

俺は両手を振って周囲に「直ちに影響は無い」ことをアピールし、各々の作業に戻って貰うよう促す。

この人たちに俺の命を預けているのだ、政子の一笑で集中力を欠いてもらっては俺の一生に支障が出る。


「そんだけ大笑いして少しでも心にゆとりが出来たんなら、俺の命の心配してもらいたいなーなんて……私事で申し訳ないけど」


政子は俺の前に「待て」と手をかざし息苦しそうに呼吸を整えている。

だが、発言は出来ずとも俺の言っていることを理解しているのか仕切りに頷いている。


「とりあえず俺の命の心配してくれるってんなら、アレ返してくれよ。」


「ん?」


まだ多少息が荒い政子が、目を赤くしてこちらを向いた。


「いや、ほら俺らの身体が浮いた時だよ、お前に持ってろって渡したろ?アレが大事なんだよ。」


「あー……あ、これかな?」


宙に浮かんだ靄の中から記憶を手繰るように上を見上げ、衣服の袖やポケットを弄る政子。

そして、何かを掴んだのかそれを取り出すと俺の前にかざした。


政子が取り出したそれは、ソーンのタリスマンに使用されていたガーネットのような鮮明かつ透過した紅色ではなく、クリームの混じった朱色と白が帯状にグラデーションの線を描いていた。

描かれている文字も微妙に違っている。


「……体温で色変わったりすんのかな。」


「あ、これ違う、朝出かけに家でひろったやつだ。」


「……」


「……」


俺と政子の周りを無責任な沈黙が流れる。

どちらかが何かを言えば途端に二人の間で言い争いが始まるであろう事を互いに理解していた。


「おー政子、君が持っていたのか!どうりで無いはずだ。」


沈黙はこれまた無責任な調子の声に掻き消される。

尾花はこちらに飄々と近寄って来ると、政子の手に置かれた宝飾品を取った。


「Oオセルのタリスマンだ。鉱石は紅縞瑪瑙サードオニキスを使用している。オセルの文字の意味は土地、故郷、家族、祖先など自身のルーツや不動の存在を表す。しかし転じて古い因習や時代遅れな思考に凝り固まった常識あるいは自身を束縛する某を示すこともありその特性からタリスマンやお守りには使われない文字なのだが……って、どうした二人とも?」


どうした?と聞かれてなんと答えればいいのだろうか。

怒りもその先にある呆れも通り越して薄ら寒さすら覚えてしまう。

運命を司る何某かの存在がいたとして、俺の何が気に入らなかったらここまでの事をしでかすのだろうか。


「……だそうだけど、だいぶ気持ちが楽になったんじゃないか?」


「……うん、今すぐこの街から逃げ出したいくらいには」


俺も一緒に逃げ出したいが、逃げた先に俺の未来は無いのだろう。


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