責任の所在
中央広場からは、人々が織り成す賑やかな喧騒は既に消えていた。
その代わりに、巨人が喉を鳴らしているかのような轟音と、目いっぱい息を吸い込んでいるかのような強風。
それらがサスキアを中心として未だ衰えることなく、それどころかどんどんと強くなっている。
「どうするのさ、これ」
顔を真正面に向けることすら辛い強風の中で、俺は尾花に問いかけた。
元はと言えば、尾花の魔術が事の発端なのである。
責任の所在と事態の対応については、尾花の管轄だろう。
尾花は雨に濡れた灰色のてるてる坊主のようになっている。
強風を迷惑そうに顔で受けとめながら、しかめ面でサスキアのほうを見つめていた。
「どうすると言われてもな、司祭殿が諦めてくれるのを待つより他は……ないわけでないが」
尾花は俺を見ると小さくため息を吐いた。
何か方法があるのであれば試せばよいだけの話だ。
何がそんなに気がかりなのだろうか。
「これはこれは、また凄いことをされておりますな、マスター・オバナ」
そのとき、商館のほうから声が聞こえた。
強風によって視界が悪い中、目を凝らしてみるとこちらに向かってくる人物が二人。
一人は男性で、五十後半から六十代くらいだろうか、白髪を後ろに撫でつけるように整えたナイスミドルと言った雰囲気。
身なりもこの雨風で濡らすには惜しい代物であり、相応の身分だと伺える。
もう一人は、最初はその出で立ちから男性に見えたが、よくよく見るとどうやら女性の様である。
男装の麗人は風から男性を守るように隣に立ち、その様子から二人の関係性が伺える。
尾花はこちらに向かってくる人物達をいぶかしむ様に見ていた。
やがてある程度視認出来る距離にまで向こうが近づいてくると、興が削がれたように視線をサスキアに戻した。
「クライフの爺か、政子がそちらに向かうと言っていたが会ってないのか?」
「先程まで歓談しておりましたよ、昼食を薦めたのでまだ商館に残っていると思いますが。」
男性は努めてにこやかな表情で尾花の隣へと歩を進めた。
目の前の状況を見ても動揺しないとは、大した心臓の持ち主だ。
しかし尾花は、男性の一言を聞くと噛み付くような視線で男性を睨みあげる。
「そのような事を勝手にされては困るぞ!?政子が余所で昼食など取ったら私とそのツレは政子が帰宅するまで腹を空かせて待っていなくてはならんだろう!」
尾花の随分と身勝手な言い分に対して、男性はそれまでにこやかな表情を狼狽させた。
「それは大変失礼致しました!私も中央広場にマスターがおられると聞いた為に昼食のお声掛けしようと参じた次第ではありますが……マスターのご都合をお伺いする前にそのような真似をしてしまい、とんだご迷惑をお掛けしたようで」
男性は、ひとしきり頭を下げ尾花に非礼を詫びている。
男性にとっては、嵐よりも尾花に心を配る必要があるらしい。
尾花は、物言いたげな細めで頭を下げる男性を見て鼻を鳴らす。
「分かれば良いのだ、それで昼食の内容はなんだ?」
すると男性は、勢いよく頭を上げると先程の様ににこやかな表情で尾花を見た。
「ちょうど北の方でニシン漁が解禁されましてな」
「ほぉ、ニシンは生でいくのが良いのだが……」
「獲れ立てでございますから、さぁ商館までご案内致しましょう」
男性が尾花に手を差し出すと尾花はその手を取りギルド商館へと向かって歩いて行く。
男性に付き従っていた男装の女性は俺を一瞥すると、軽く礼をして二人の後へとついて行く。
尾花は昼食を御呼ばれされたらしい。
俺はどうする?一緒について行けば御馳走して貰えるのだろうか?
しかし尾花は良く飯など食べれるな。
俺なんか嵐を前にしてそんな食欲も無いわけで……いやいや、待て待て!
「おい!アンタ達、この事態を放っておいて良く飯なんか食えるな!?」
俺が大声を上げると、尾花と男性、そしてその後ろについて歩く女性が一様にこちらを見た。
「あちらはマスターのお知り合いですかな?」
「アレか?国衛と言ってな、新しいウチの居候だ」
尾花が俺を指差すと、男性は得心がいったように何度か頷く。
尾花へ軽く謝辞を告げた後に、その手を離して俺へと近づいてきた。
「君が政子の幼馴染か。私はバート・フリーゲン・クライフ、この街の……まぁ世話役みたいな者だ、以後宜しく。」
バートと名乗った男性は俺へと手を差し出した。
「はぁ……宜しくお願いします。」
とりあえずその手を握った俺だったが、この嵐を放っておいて飯の算段をする人間をどうも信用出来ない。
「あやうく、マスター・オバナの知り合いに対して失礼をするところだった。エルマ!至急、もう一名分の食事を用意するよう伝えろ」
バートは男装の女性に大声で指示を出す。
女性は一礼した後に文字通り霞の様に消えていった。
尾花は感心したように頷きその様子を眺めている。
アレも魔術の一種だろうか?
俺が驚き口を開けていると、バートが商館の方へ腕を伸ばして催促する。
「ささ、ここでは雨風が酷い、早く中へ。」
どうやら俺も客人として迎え入れてくれるらしい。
「あ、ありがとうございます……じゃなくて!この異常な風通しの良さを何とかしないと飯も喉通らないんですって!」
この人もどこか抜けているらしい。
「何とかと言われても……マスター・オバナ、何とか出来る物なのでしょうか?」
バートは困ったような表情で尾花へと視線を移した。
バートの視線を受けた尾花はバートと同じく困った様に表情を歪め、俺へと視線を移した。
「何もせずとも司祭殿の体力が尽きて防御魔術が解けるのを待つのが一番良いと思うぞ。」
それは先ほど聞いた。
そして、その後に尾花は言ったはずである。
「尾花、それ以外に方法が無いわけじゃないって言ったよな?これ以上被害が出る前に早く……。」
「下手に呪術を解こうとすれば君にも被害が及ぶ。」
尾花は俺の言葉を遮るように強い言葉を発する。
その表情は険しい。
「俺に被害ってどういう事だよ。」
尾花の言葉に多少動揺しつつ、俺は尋ねた。
俺に被害?サスキアが無事だったとして、後で報復にでも来るって事だろうか?
それはお互い様だろうに。
「あれはガンドというドルイド呪術を応用したものだ。一度発現した呪術は、対象にその効果を与えぬ限り決して消える事は無い」
言っている事を俺が呑み込めていないのを察したのか、尾花はゆっくりと言葉を発する。
そして、その口調と合わせる様な歩調でこちらへと近づいてきた。
「もし呪術が何らかの手段で対象から逸れた際、行き場を失った術は術士の元へと却って行く。そして今回の場合その術士と言うのは……」
俺の傍までやって来た尾花は、俺の腹を拳で軽く小突いた。
「国衛、術は確実に君へと却って来るぞ?」
尾花の鋭い視線が俺へと突き刺さる。
それは俺に対して覚悟を問う様な強い物だった。
……いやいやいや。
「ちょっと待てよ、つまり俺があのライフル撃ったから、その呪術ってのは俺に返ってくるって事?」
尾花は黙って頷いた。
「なんてことさせやがったんだ、この野郎!」
俺は思わず尾花の両肩を掴んで大きく揺さぶっていた。
尾花が目を丸くして呻いているがそんな事は知ったことではない、むしろ望むところである。
しかし、バート・クライフが慌てて近寄ってきて俺から尾花を引き剥がそうとする。
「止せ!マスター・オバナは私、いやこの街にとって重要な人物なのだ!その方に危害を加えるとあっては私は君を」
何か耳元でごちゃごちゃと言っているのが、大変鬱陶しい。
俺は、バートの手を払いのけると再び尾花の肩を揺する。
「うるせぇ!!部外者は黙ってろ!アンタやこの街では重要な人間でも、元いた世界じゃ回覧板も回ってこない悪趣味な屋敷に住む社会不適合者なんだよ、この人は!それが健全な高校生の青春にケチ付けやがってぇ!この落とし前はどうつけてくれようか、ヒャヒャヒャヒャヒャ!」
自分でも何を言っているのか分からないが、ただ尾花の驚額とした表情が大変愉快で思わず笑いがこみ上げてくる。
「ややめめ、やややめめめろろろろ、くく国衛えええ、とととももももかかく話をををを。」
尾花が何かを言っていることに気がついたのは、尾花の頭の揺れが16ビートを刻み始めた時だった。
尾花の手が俺の手を掴み、何とか引き剥がそうとして俺は我に帰った。
俺が慌てて尾花から手を離すと、尾花はふらつき尻餅をついて大きく頭を振る。
「尾花……アンタ、大丈夫か?」
「君がそれを言うとは、お笑いだな。」
よろめきながら立ち上がった尾花は、口をへの字に曲げ眉間に皺を寄せていた。
そして俺に詰め寄ると、俺の顔を指差し詰問する。
「そもそも、君があの高慢ちきに絡まれたことが事の発端だろう。私は君に協力を仰がれたから手助けをしてやったまでだ」
あれだけ頭を揺らされてなお、減らず口を叩けるとは、開いた口が塞がらないというかなんと言うか。
向こうはよほど回す口があるようだ、その良く回る口が変な事を滑らす前に蓋をさせた方が良いらしい。
口は災いの元と言うくらいである、これはあくまで善意だ。
「手助けたってもっとやり方あるだろ!?つうか後半なんか完全にアンタに因縁つけてたじゃないかあのねーちゃん。それであんな危険物を押し付けられたら、こちとらいい迷惑だっての。」
「いい迷惑とは随分な言葉じゃないか?日がな一日やることのない体たらくの君に私の貴重な時間を使う、それが人類にとっての如何なる損失であるか君は考えたか?」
「それでこの有様ならアンタの貴重な時間ってのも大したもんだ、なんたって街に嵐だ竜巻だなんて起こすんだもんな?確かにこの街の経済的損失は計り知れないさ。そして、何より俺の貴重な時間をどうしてくれんだよ?」
「君の貴重な時間?そんな物があったとは恐れ入ったぞ。ならば私がその時間を最高値で買ってやるからどんな銘柄か言ってみろ?まぁ、底値を割って紙切れになった株券の方が紙代が掛かっているだけまだ価値はありそうなものだと思うがな」
「お二人とも!その辺りにされたらいかがでしょうか?」
……。
バートの一声に、俺と尾花は同時に口を噤んだ。
いつの間にか、俺と尾花はお互いの鼻先が近づくほどに顔を接近させて言い争っていたらしい。
「悪い……言い過ぎた。」
「私も自分の無力さを認めたくなくてな、すまん。」
お互いが非礼を詫び反省したところで別に事態が好転するわけでもなく、ただ言い争っていた分だけ時間を無駄にしていただけである。
俺は再びサスキアの方へと視線を投げる。
「……例えばさ、あのねーちゃんが気を失うなりして呪術が効いたら、どのくらい吹き飛ぶの?」
「気を失っているのであれば防御魔術で衝撃を抑えることも出来ないだろうから、最悪ぶつかった壁に染みとして残るか……」
「やめてくれよ、ぞっとしない。」
つまり、呪術が跳ね返って来た場合は代わりに俺が壁の染みになるという事である。
「俺も命が惜しいからな、あのねーちゃんには悪いけど命を諦めてもらうしか。」
「言ってるだろ、それが懸命d」
「馬鹿いわないでマスター」
尾花の言葉を遮って中央広場に別の声がこだまする。
巨人の唸り声をかき消して辺りに響く声は、俺と尾花の背筋を震わせる。
「政子!私は先に昼食を取るようにと……。」
バートが慌てて声の主に近寄って行く。
その様子は明らかに狼狽しており、何やらこの事態を声の主に悟られまいとしたバートの思惑が見えている様だった。
「バート様、大変ご迷惑をお掛け致しました。ですがこれは私の身内が引き起した難事ですので、私としても事態の収拾させる責任があります。」
政子は努めて笑顔でバートに接している。
その笑顔の何が恐いって、口角ばかりが吊り上っており目は一点を見据えて笑っていないのだ。
そして、その視線が射止める先は……俺と尾花だった。
「二人とも、ちょっと話聞かせてくれない?」
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