ロクデナシ

政子に拾われてから数日経った。

その間、尾花や政子からこの世界についての話を聞いた。


先ずは、この街”クァドラプル・ホイール”について。


クァドラプルホイールは、レムリア大陸の南部に位置し北の山から流れ出る河川を東西に置き、南には一面に広がる平野。

そして河川と平野は、南に見える大海まで続いている。

また、西に延びるなだらかな街道には、レムリア大陸の最西端のルゾフォニアに行きつくまでに多くの街が点在している。

交通の要所でありレムリア大陸における一大貿易港。



街は商人と職人の集まりである商業ギルドによって自治・運営されており、家系や血筋では無く持っている富の量で個人の発言力が決まる物質主義的な街でもある。

街の持つ冨の量と大陸への影響力は都市の範疇に収まる物では無く、もはや一つの国家だ。


と言うのが、政子から聞いたクァドラプル・ホイールの説明である。



そして、文字言語と音声言語について。

音声言語については基本的には日本語が使用出来る。


しかし、文字については一筋縄でいかないのがこの世界。

俺が茫然として眺めていた看板、そこに書かれていたカタカナをさらに崩したような文字のことである。


文字の種類は全部で二十六音。

なんとこの文字は、音声言語に対応していないのである。


英語で例えるなら、"Apple”と書かれている物は、”林檎”と日本語で発音しないと相手に伝わらない。

”林檎”と書いて見せても伝わらない。


これは実に面倒だ。

頭の中で伝言ゲームをしている気分になる。


音声言語と文字言語の発音がバラバラ、なのにそれが成立し住民はなんの不自由もしていないという。

まぁ、それがこの世界の文化なのだし、むしろ異邦人である俺が郷に従うは当然の事なのだが。


言語の他には俺がいる大地と星について。

これについては尾花が熱心に語ってくれた。


「まず、この星は太陽に似た恒星を概ね10万km/時で平均公転半径1.5億km程度の楕円軌道を描きながら公転しているのだ。そして、自らもおそらくは1700km/時程度で自転しているのだが……。」


「……つまり、なんなわけ?」


俺がげんなりとして問いかけると、尾花はキョトンと拍子抜けした顔を俺に向けた。


「分からんのか?恒星の周りを365日かけて回り、自身も24時間かけて1回転する。そんな星を君だって1つくらいは知っているだろう?」


「それを最初に言ってくれれば、すぐにわかったよ。」


この星は地球と酷似しているそうである。


「マスターの言う恒星ってこの世界でもそのままそっくり太陽って言うんだけどね。あと夜出てくるまん丸の星は月だし」


政子が話に入り、尾花の話を簡単に補足をしてくれた。

特に気にも留めていなかったが確かにこちらの世界で見た月は元々いた世界と一緒だった。


「よくよく考えてみれば凄い偶然だよな、それって。」


人がいる所には太陽やら月が当たり前に有ると思っていたが、元いた世界にだってここまで地球と酷似した惑星があるかは甚だ疑問である。

それが転移させられた異世界の先にあるとは……いや、異世界だからあったというべきか。

俺が何となく呟いた一言に小花は鼻息荒く興奮した。


「国衛、君は良い所に気が付いた!君が言うように人がいる所に太陽と月があるのは当たり前なのだ。古く魔術師達は太陽と月を生命の根源と活力の象徴または神そのものと考えていた。太陽と月失くして人類いや生命の繁栄は有りえん、それは異世界でも変わらんという事だ」


尾花の話はブレーキの利かない自転車が坂道を下っていくかの様に止まることを知らない。


「それに変わらないと言えばその他の天体に関しても我々の世界とほぼ変わらん。変わらんと言ってもトレミーの四十八星座がどうのってレベルの話じゃないぞ。この世界で観れる星々の座標は我々の世界での星表に記載された20万個もある9等級以上の恒星の位置とほぼ一緒と考えられるのだ。いやすまん、実際のところは全てを数えたわけではないし私の記憶している範囲での話なのだが……。ただこの世界では天体の役割がかなり重要になっていてな、月と太陽についても著名なところで言えばプトレマイオスが語るような……」



「……まぁ、この世界でも7月になれば七夕が出来るって事はなんとなくわかったよ。」



話を聞くのは3人が顔を合わせる朝食の時で、朝食の後は各々がそれぞれの行動を始める。

尾花は自室で小難しい研究を、政子は家事全般をこなしつつ尾花の買いだしから研究の助手、それにどこぞの会合だのと忙しそうにしており昼夜問わず一つの場所に留まってはいない。




そして、俺はというと……。




それは、ある日の朝食後だった。


「お兄、この後の予定は?」


政子が朝食の食器を片づけながら俺に話しかけてきた。


政子の一言に、俺は食後の代用コーヒーを飲む手を止める。


これは、非常にまずい。


別に代用コーヒーがまずいのではない……まぁ美味く無いのも事実であるが。

尾花曰く体に良い物で出来ているらしい。

そんなアバウトな代物を飲むおっかなさよりも、皮膚をピリピリと刺激する政子の言葉の方が非常にまずくておっかない。


政子はこちらに背中を向けており、顔の表情は分からない。

しかし背中越しから聞こえる声色は、無感情で抑揚が無い。


向かいの席に座る尾花は政子を気にする様子も無く代用コーヒーを未だにすすっている。


「ねぇ、この後の予定は?」


政子は変わらず容赦ない言葉を無感情に投げかける。

三度目は無い事を暗に告げる静寂が室内に流れた。


「……この後、というか今後とも精一杯生きていく予定だけど」


「それ、本気で言ってんならこっちも本気でぶつよ?」


政子は手に持っていた食器を水の張ったタライに勢いよく入れると振り向いてこちらを見た。


その表情は無感情で抑揚の無いもの……では無かった。

目が、元々吊り上っている政子の目が、さらに吊り上り鈍く光る刃物の様になっている。

表面に見える切れ味のよい冷たさとその奥底で煮えたぎる紅蓮の怒りを端的に表している。


「お兄さ、ウチに来てから何日経ってるか知ってる?」


「……二、さn」


「昨日で丸五日」


政子の声は眼差しと同様、朝食後の朗らかな雰囲気には似つかわしくない。

あえて言えば、冬の早朝の様な身を刺す冷たさを持っていた。


「この五日間、お兄は食事以外で自分の部屋から出て来てないよね、自分の部屋で何してたの?」


いつの間にかすぐ傍まで近寄っていた政子。

俺は椅子に座った状態で、豊満な胸の先にある政子の顔を見上げながら返答に窮する。



この5日間何をしていたのかだって?


何もしていないんだから、答えようがないじゃないか。


政子に拾われてから昨日まで俺は朝食が終わると「まだ朝だ」と二度寝に入った。

そして昼頃に起きると政子の用意した昼食を取る。

そして午後の活力の為に少しばかりの仮眠のつもりで日暮れまで寝て、夕食ゆうげの香りが鼻を擽ぐる時間に目が覚めて夕食を取った。

さて、何かしようかと思った時には陽は落ちており、灯りだってロハでは無いこの世界でこの時間から何かするには気がひける。

だから、「明日こそは」と思いながら寝具に身体を預けていたのだ。


しかし「明日こそは」と思ったところで明日が今日になる頃には具体的に何をしたら良いのだと疑問が頭をもたげるわけである。


仕事をするにしても、では俺に何が出来るのか?

それに俺はギルドで職を探そうとして痛い目を見ているので働く事に及び腰でもある。


勉学をするにしても教材が何処にあるのかも分からない。

よしんばあったとしてもそれを買う金もなく、買う金を作ったところでその教材が俺に読めるかのかは分からない。


ちなみに娯楽もほとんどない、一体ここの住人は何が楽しみで毎日生きているのだろう。


そんな無い無いづくしのこの世界で、何かをしなければ!という焦りは、何をすれば良いのか?という疑問に変わり、俺に何が出来るのか?と思案したところで、何もできないと諦めに変わるわけである。


だから寝ていた、いや、寝るしかなかった。

言い換えれば、何もしなかったのではなく、できなかったのだ。


別に黙って飯が運ばれて来る現状に満足したわけでも無ければ、腹が膨れる代わりに性根が貧しくなったわけでもない。


……それをそのまま政子に言う度胸もないわけである。


だから返答に窮しているのだ。


どの様な言葉を選べば包装された菓子折りの様に政子に謝罪の意を示せるかを必死に思案する。

すると、その様子を見かねたのか政子は呆れた様に表情を崩した。


「あのね、お兄がこっち来て大変だったのは私にも経験あるから分かるし、お兄を巻き込んでしまった負い目があるからホントは強く言いづらいんだけどさ。」


政子は目線を俺の高さにまで下げる様にしゃがむ。

政子と目があった俺はおもわず目を泳がせてしまった。

すると、政子は俺の手を取りすがりつく様に再度俺と視線を合わせる。


「お願いだから何かして!?お兄が今朝食べたご飯、マスターがこっちの世界のことをいっぱい研究して色んなものを作って、それを私が必死で色んなお店に置いてくれって頭下げてきた成果なの!お店だけじゃない、新参者がいきなり商売や魔術の研究なんか始めようとしたらギルドや教会から睨まれるからそっちにだっていい顔しなくちゃいけないし……」


俺の膝に顔を埋め、「後生だから私にお兄をぶたせないで」と泣きつく政子。

俺は助けを求める様に尾花へ視線を移した。


「私は自分の好きなことやっていただけだから気にしなくて良いぞ。」


尾花はカップに口を付けながら首をかしげる。

別にアンタのことは気にしてねぇよ。


必死の救難信号をウミネコの鳴き声と勘違いする様な助け舟に早々見切りをつけた。

どうにか俺一人で政子を宥め、落ち着かせ、ついでに煙に巻く必要がある。


「いや、俺も別にこのままで良いなんて思っちゃいなかったさ。けどほら俺は俺で色々あったんだよ、お前の言うギルドに……門前払い食らったり?」


正確にはギルドに登録するための資金及び手続きに関する知識の不足により、自ら門前立ち退きをしたのだが。

我ながら苦しい言いわけである。


しかし、政子はその言葉を待ってましたと言わんばかりに顔を上げると飛び切りの笑顔を見せた。


「それなら大丈夫だから!」


「情緒不安定か、お前」


政子は何を気にする素振りも無く立ち上がると、揚々と喋り始めた。


「話を聞く限りお兄が行ったのは商人の為の商業ギルド、これから街で商売しますって人用のギルドなの。お兄が行くのは冒険者ギルドの方。」


そこで俺は茫然と口を開けた。


冒険者ギルドだって!?


冒険者ギルドと聞くと俺の中ではRPGで出てくる、欲しい職業の人物に種を食わせて仲間にするあのイメージだ。

じゃあ、俺はそこで仲間でも見繕って旅にでも出ろというのだろうか?

無職の人間に倒せるほどこの世界の魔王だって甘くは無いだろう、そんな存在がいたらの話だが。

それでも旅に出ろと言うのはつまり事実上の勘当宣言という事か?


「あの、それは、その、つまり僕に旅させて、帰ってきた時に多少でも可愛くなってたらまた世話してやるって事ですか?」


俺は恐る恐る問いかける。

すると、政子は笑いながら否定するように手を振った。


「そりゃ冒険者ギルド自体は旅の路銀を稼ぎたい冒険者に仕事を斡旋する目的で設立されたのが始まりだけど、今は低所得者向けの日雇い労働の斡旋なんかが主な仕事。私達もここに来た最初の頃はお世話になってたし。」


そこで俺はようやく自分が間違いを犯していたことに気が付いた。

野垂れ死にそうだった俺は、よくよく話も聞かず職とギルドという単語だけを便りに街の中を彷徨っていたのだ。

そして、彷徨った挙句に辿りついたのは、商業ギルドという縁も無い所だったというわけである。

建物の外観から内装、果ては受付のお姉さんまで綺麗なはずだ。


あの時の苦い思い出を振り払い、俺は興味本位で一つ政子に聞いてみた。


「冒険者……この世界はそんなに旅人が多いの?」


仕事の斡旋に需要が高まるほど外からやってくる人間が街で右往左往しているのなら、例えば俺たちと同じ境遇の人間がいるのかもしれない。

無論、これまで政子や尾花の口からそういった話を聞かない辺り、二人の感知できる範囲ではそのような人物はいなかった可能性が高いが一応の事実確認である。


「物凄い昔には沢山いたらしいけどね。この街は交通の要所になってるから昔はいろんな冒険者がやって来て、中にはそのまま永住する人達がいて、増えた人口に対して仕事を補うために冒険者ギルドがそのまま今の役割にシフトしたってわけ。」


政子の言う沢山いた、と言うのはおそらくこの世界の住人と言う意味だろう。

こちらの世界でも異世界から誰それが来たなどそうそうあることでは無いという事か。


「だが、今の時間だと割の良い仕事は粗方無くなっているんじゃないか?」


今まで静寂を決め込んでいた尾花が言葉を漏らした。

政子の機嫌が戻ったのを察したのか、もしくは元々政子の意図を知っていて敢えて黙っていたのかは分からない。


「あー……この時間だとそうか、多分荷物運搬や普請工事の人足系も大体なくなってるって……やばい!」


政子は燻された豆の様に跳び上がると、慌てて家中を走り回りながら手当たり次第に色々な物を鞄に詰めていく。


「お兄の相手してたら約束の時間に遅れちゃう!マスター、お兄の事宜しく、くれぐれも遊ばせないでね!」


慌ただしく出かける準備をすると政子は玄関から飛び出していった。



「どっちが年上か分からんな。」


尾花が俺を見てクスリと口角を上げる。


「知らない間に五歳も歳食ったアイツが年上に決まってんだろ。」




と、その時だった。

突然玄関が開くと、そこにはブーメランもびっくりするほどのスピードで戻ってきた政子が玄関から顔出して尾花を見た。


「あとマスター、自分が散らかした物くらいはちゃんと片づけておいてねって……あ、ほら、ここにも何か落ちてる!」


そして「昼には戻るからー。」と言うと、再び玄関を締めそれきり戻ってくる様子も無かった。


「アンタとアイツはどっちが年上なんだよ?」


「見た目だけなら向こうが年上だろ、分からんのか。」


俺の言葉を聞いて尾花は鼻を鳴らす。

そしてカップを片づけるために台所に向かっていった。


「しっかし、遊ぶなって言われても何して遊べば良いかも分からんのに遊びようもねぇっての。」


そして、その冒険者ギルドにしたってこの時間からではあまり行く意味も無さそうである。


「やっぱ朝の内は寝r」


「まぁ、待て」


尾花が俺の言葉を遮った。

そして、こちらを振り向くと笑みを浮かべながら近寄ってくる。


「政子にああ言われた手前、私も君を放っておくわけにもいかんのでな」


そして俺の肩を小さい掌で叩くと顔を近づけてきた。


「どうだ?暇なら魔術の一つでも見てみるか?」


「……女子受けしそうな可愛げのあるヤツで頼むよ」


というか、アンタは片づけしなくても良いのかよ。

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