こんにちは異世界

俺は自分が木陰で眠っていたことに気が付いた。


状況も理解出来ず立ち上がって辺りを見渡すと、俺は小高いなだらかな丘の上にいる事が分かった。


北の地平線には山稜が大きく東西に向かって伸びており、山々の麓から南へと平野いっぱいに黄金色の大地が広がっていた。

そして、俺のいる丘の麓には北から流れてくる大きな河がある。

対岸の遙か先には俺のいる丘と同じくらいの丘がもう一つありその下にも河が流れているらしい

二つの河は南で混じり一本の大河となって彼方の水平線まで伸びている。


そして、2つの河が交わって中州の様になったあたりに何か街の様な物が見えた。


ここが何処で遠方に見える街がなんという街かを調べるためスマホのマップ機能を開いてみたが、「ネットワークに接続されていません」という表示が出てきた。


「……このご時世にかよ。」


周りを見れば、広大な大自然が辺りに広がっている以外は民家も見当たらない。

物凄い田舎で電波が入らないのか?

仕方がないので、人が住んでいそうなところまで行って電波が入るか確認してみる事にした。


街道は舗装されておらず、自動車の一台もすれ違う事は無い。

時折時代錯誤な幌付き馬車が街道の真中を通る為、その都度体を街道の端へ避けて歩く。


この周囲一帯だけ時間に置いて行かれた前時代的かつ牧歌的な雰囲気。

非常にのどかで気持ちの良い空気の中で、妙な気持ち悪さを抱えながらひたすら西に向かって歩いていく。


街に着いた時には陽も暮れかかっており、最悪今夜はこの街で寝る事を考えねばと思った時だった。


まず、持っていた財布が無い事に気が付いた。

寝ている間に誰かに盗られたのだろう


その時点で気持ちは、暮れて空を茜に染める陽の明かりよりも先に沈む。


スマホを見てみると圏外と表示されたままである。

今時電波が入らない場所の方が珍しい日本で、人の住むところに電波が入らない。


この時点で嫌な予感がした。

そして河を渡す大きな橋を越して街の中に入った時、その嫌な予感は的中した。


街の中は何処の建物にも道にもコンクリートやアスファルトは使われておらず、それどころかガラス張りの窓すらあまり見かけない。

街並みは石畳の道路と赤レンガの建物が軒を連ね、それはそれで西洋の風情を持つ観光地の様でもあった。

しかし、設置してある看板には俺の知っている文字でのガイドは記載されていない。

ちなみに看板はほとんどが木製だったり石を素材としていて、アルミの複合版の様な看板は全く見かける事が無かった。


使用されている文字は崩れたカタカナとアルファベット中間の様な物で、何が書いてあるのかさっぱりわからない。

せめて最近の看板にあるような英語のガイドも併せて書いてあれば良いのだがそれも無い。


そもそも街の人々は誰も歩きスマホをしていないし、着ている服も良く言えばシンプル、悪く言えば地味な色や形をしている。

真っ黒な学生服を着た俺が目立つほどである。


目立つ服装をしながら道の真ん中で訝しむ表情をする俺を、道行く人たちは訝しむ。


後は街にいる人種。

西洋人の様に肌が白く頭髪もブロンドの人物がいれば、中東の方に住む人々の様に浅黒い肌と堀の深い顔の人物もいる。

逆に俺の様な東洋系の顔は滅多に見かける事が無かった。


それに……特殊メイクのような出で立ちの人物もちらほら見た。

身体の一部が妙に毛深かったり、爬虫類の様に顔と体に鱗を持った人物がいたり。

そんな人々を奇異の目で眺めていると不振がられ睨み返されたり、最悪の場合は殴られた。


ここは日本ではない。

少なくとも俺の知らない土地、聞いたことも無い場所、そしておそらくは……。

頭に浮かんだ可能性を必死で否定しつつも、それを受け入れざる得なかった。

地球がひっくり返りでもしない限り絶対に起こりえない可能性。

だが、今地球がひっくり返ったとしてもひょっとしたら俺には影響ないのかもしれない。


恐らく俺は異世界転移したのだろう。


なぜなら街の人間が喋っている言葉、異世界でのご都合主義に漏れず日本語なのだ。

風土も、文字も、文化も、人種も、様々な要素が日本とかけ離れているこの街で言葉だけがまるきり日本語を使っているなんて、異世界転移物の小説世界でしか有り得ない。



だが、俺にはどうやらその手の話に付き物である特殊な能力や特権などは何も与えられなかったらしい。



そんな能力があれば、残飯を野良犬と奪い争う事も無いだろうし、他の浮浪者に縄張りを荒らすなと殴られることも無い。

残飯一つにしても秩序とルールがあるらしく、新入りの俺は野良犬に対して敬意を払う立場らしい。


知り合いも伝手も無い土地では、食事一つや寝る事すらままならなかった。


殴られて鉄っぽい香りが広がる口の中を水路の水で濯ごうと思ったが、生臭さに口に含むことを躊躇った。

どうやら水路の水は河から街の中に入れているらしく、俺は水路を伝ってなるべく河に近い辺りで口をゆすいだ。

それでも河の水に細菌がいる可能性は大いにあり、果たして濯いだところで消毒効果があるかは甚だ疑問だった。


飲み水も水路を頼ることになった。

街にはいくつか井戸が設置されているのだが、俺が水汲みの列に並ぶと人々は怪訝な顔をし、心無い人間はやはり俺を殴った。



そんな日がしばらく続いた。



知り合いなどいるはずも無く、自宅へ帰ることも叶わず、身の振り方も分からない。


どうする事も出来ず、もはやこのまま死ぬしかないのかと思っていたその時。


こんなところで、まさか探していた幼馴染に出会うとは……。



そうだ、その幼馴染だ。

政子、あいつこんなとこで何やってんだ。

ふざけた話にもほどがある、なんであいつ探してて俺がこんな目にあってんだ。

さっさと帰るぞって、あいつ今度は何処行きやがった。

おい、返事をしろ、おい!




「おい、政子、この野郎!」


「私は政子では無い」


「あ、はい、そうですね……すいません」



……。



俺は、ベッドの上で寝かされていた。

見知らぬ部屋、学生服の行方は分からず代わりに白く肌触りが気になる服を着させられている。


跳ね起きたと同時に声が聞こえたのでそちらを見ると、少女が一人、椅子に腰かけサイドテーブルの上で何かをしていた。


少女はボサボサの黒く長い髪と幽霊のような青白い肌をしている。

着ている服はつぎはぎや汚れが目立つ灰色のローブ。

余り外見に頓着が無い性質なのだろうか、しかしそれにしてもあんまりである。

もっとやりようによってはいくらでも可愛くなれそうなものなのだが。


それにコミュニケーション能力もイマイチらしく、こちらが起きた事にも興味を示さずサイドテーブルの上に視線を落としている。

サイドテーブルにはカードが並べられており、それを見ながら頭を掻いて何かぶつぶつと言葉を発していた。

こちらに話しかける素振りも無いため声を掛けようとした時だった。


少女が手を翳し、言葉を遮った。


「待て!何も言うな、何も聞くな、今、君のエーテル体に残った星霜素体の座標予測をしている。予測精度を高める為に小アルカナも用いているのだが、どのようなスプレットで展開しても同じ結果になるのだ。これだ、これを見てくれ、このダビデスターの太陽の位置、ここのカードなんだが……。」


少女はカードを見ながらぶつくさと俺に語りかけてきた。

いや、語りかけているようでその実、恐らく独り言の類だろう、相手が話を理解していない事に気が付きもしないで延々と喋っている。


「逆位置の死神、ヘキサグラムでも同じ結果が出た。決して恣意的に選んだわけじゃないぞ、

そしてそれに対応した小アルカナのスーツとナンバーを見てみると……」


「あの、俺がここにいる理由、ってかここは何処で君は誰なの?」


いい加減、本題に入ってくれ。


「だから何も喋るなと言っているだろう、全く。」


少女は極めて不満そうに俺を見てくる。


「詳しく説明してくれているのはありがたいけど……寝起きの頭で古文の教科書を読んでいるような気分なんだよ。」


俺はこめかみを叩いて、理解が追い付いていないアピールをした。

少女は、俺を睨むと唾が飛んできそうな勢いで捲し立てる。


「私の話が退屈だというのか?再び眠ってしまうと?全くこれだから最近の若い奴らは駄目なんだ。少しでも理解できない事があるとすぐに興味を無くして他の関心毎に移ってしまう。良いか?もっと一つの事柄を掘り下げる努力をしろ、様々な事に好奇心を持て、いや好奇心を持つ努力では無く好奇心を持つ人間になる努力を」


「一つの事に興味を持つのか、色んなことに興味を持つのかどっちなんだよ。というか、君なんか俺よりずいぶん若」


「マスター、ただいま」


俺の発言を遮るように、部屋のドアが開いた。

言葉の応酬を中断して、俺と少女は一斉にそちらへと視線を移す。

女性が一人、木箱を両手に抱えながら臀部でドアを開けて部屋へと入ってくる。



「マスターの言ってもの買って来たよって……あ、お兄、おはよう。」


見覚えのある女性、幼馴染の政子と顔の雰囲気はそっくりである。

しかし、そのスタイルの良い見た目は俺の知っている政子の年齢をだいぶ追い越している。

俺は掛ける言葉が見つからず、しばらく口を開けて女性を見ていた。


「おつかれさん、頼んだものは私の部屋に運んどいてくれ。」


「へい了解、お兄、お腹減ってない?」


俺は顎の閉じ方を忘れてしまい、口を開けたまま黙って頷くしかなかった。


「……減ってるって事で良いんだよね?とりあえずなんか作ってくる。」


女性が部屋から立ち去ろうと踵を返した。


「政子、さん?」


俺はようやく声を出すことが出来た。

しかし、目の前の女性を何と呼べば良いのか分からず、思わず敬称を付けてしまう。


「そうですけど。」


女性はとぼけたような表情でキョトンと俺の顔を見た。

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