第17話 子供の噂・D

「それじゃあルインちゃん、お店お願いね」

 翌日、小雨の中で丁奈はぬりえと一緒にイーリスの店舗部分で準備を終えて、ルインに出発前の最後の確認を行っていた。

「私は簡単な料理しかできないし、そもそも免許持ってないからね、役所から叩かれたくなかったらさっさと帰って来なさい」

 そう言うルインの姿はイーリスの制服で、普段つけることのないエプロン姿である。

「今日は軽食もお休みの日だから大丈夫よ。それじゃあ龍五郎君と小虎ちゃんが来る前までには戻ってくるつもりだから、ね」

「本当、ご迷惑をお掛けしてごめんなさい……代わりになるとは思いませんが、この近辺に住んでいる子達にはあまり人間にご迷惑をお掛けしないようにと言って周っておきますので……」

 いつもの楽観的な丁奈と、この中で一番格が上のはずなのに一番腰が低いぬりえが対照的の絵に、ルインは仕方がないという気持ちで小さいため息をしてから、ぬりえに向かって。

「いえ、適度に問題が起こらないとお賃金の問題が出ますので……それにマッチポンプみたいな感じもしますので遠慮しておきますよ。私としては丁奈が無事に帰ってきてくれれば、それでいいです」

 収入の問題はルインもだが、いつも世話になっている小林達妖怪事件対策課の面々にも響いてくるため完全になくなってしまっては困るのである。

 だが、どうやらぬりえの貨幣文化の知識はかなり昔の段階で止まっているらしく。

「畑ではダメなのですか?」

「畑を運用するにも、今はお上へ届け出てやらないといけないの。それに土地もタダじゃないから……」

「前に人里に出たときから、だいぶ変わっているのですねぇ……でも、今回のような大規模で被害が大きくなってしまうことはやらないようには言っても大丈夫ですよね?」

「はい、それはむしろ歓迎すべきものです」

 ルインがそう答えるとぬりえは笑顔で「よかった」とつぶやき。

「今回は色々ご迷惑をお掛けしましたから、私の気持ちなのでそこまでかしこまらなくていいですよ。私としては気軽にぬりえ、と呼び捨てにして頂いても良いくらいですし」

 この座敷童子は、恐らく嘘偽りなくそう思っているということはなんとなくだが、ルインにだって気づいていた。

 そもそも相手は神格を持っていて、人との関わりを大切にする座敷童子という存在なのだから、当然のことながら畏怖の感情を向けられることは快くは思わないことだろう。

 とは言え生物というものは自身よりも圧倒的に強大な存在にはそのような畏怖の感情を抱くもので、このぬりえという座敷童子もそのような感情を向けられることには慣れているようにルインには見えた。

「それじゃあ私は……ぬりえちゃん。って呼んじゃおうかしら」

 しかしルインの思いとは裏腹、丁奈はすんなりとぬりえの言葉を受け取って気軽に呼んだ。

 そしてぬりえちゃんとかなり軽い感じに呼ばれた当のぬりえはとても嬉しそうに。

「はい!どうぞです!」

 すごく嬉しそうに、テンションを上げた満面の笑みで見た目通りの子供らしい反応を見せているのを見て、ルインは再びため息をして。

「……まったく、これじゃあ一人かしこまってた私が馬鹿みたいじゃない。それじゃあ丁奈のことはお願いね、ぬりえ」

「はい!」

 呼び捨てだけでここまで喜ぶぬりえを見て、ルインは少し複雑な気持ちになる。

 とは言え丁奈を任せられる相手であることは確かなので、深呼吸を一度行ってから次の言葉を絞り出した。

「それじゃあ、二人とも、行って……らっしゃい」

「もう、ルインちゃん。そんな声で送り出さないの!」

「丁奈……そうね、そうよね、行ってらっしゃい」

「はい、行ってきます」

 その受け答えが終わったところで丁奈とぬりえはイーリスを出発した。

 それを見送ったルインは脱力するようにして椅子に座り。

「ダメね私。昔っから見送る側になるのは苦手というかなんというか……あの時慣れないとって思ったのにね、まったく成長できてないな」

 他に誰もいないイーリスで、ルインは天井を見つめながら自分に向かってそう呟いたのだった。



 イーリスを出た二人はぬりえの案内に従って近くの公園に到着した。

「この公園にいるの?そのーなんて言ったかしら」

「名前はあるはずなんですが、私にお願いしてきた子たちも雨ふり小僧としか言っていませんでしたので、今は雨ふり小僧でいいですよ。ただ捕まえてお仕置きする時にはちゃんと聞かないとですけど」

 座敷童子のお仕置きというものに丁奈は少し見てみたいと思ったが、すぐにその思いを振り払って小脇に抱えるようにして持っているあの本のページを開いて少し中身を確認する。

「学生のときに読んだだけだから……どこにどれが書かれてたか確認しておかないと」

「それは魔法の本ですか?そのような力を感じますけれど」

「……わかっちゃうんだ、これはおばあちゃんからもらったものなんだけどね、なんでも昔は魔法使いの家系だったって言ってたけど……」

「そうですか……その本、触っても?」

「えぇいいわよ」

 丁奈が本をぬりえが触りやすい位置まで降ろすと、ぬりえは表紙に手をかざすようにして触り……。

「……怖いものですね、でも、必要で作られたものが多いですし、破壊するだけじゃないのがわかります。それに……これが良さそうですね」

 ぬりえはそう言って丁奈の持っている本を開き、ひとつの文を指さした。

「これって……」

 丁奈の記憶にはなかったが、ぬりえの指さした文の言葉には聞き覚えがある気がした。

「おばあちゃんが使ってたような……」

「丁奈さん、お話の途中でごめんなさい。雨ふり小僧がきました」

 ぬりえが言葉を遮って指をさした方へと丁奈が視線を向けると、公園の中央にある遊具の上に簔を笠のように被った男の子が腕を組んで立っていた。

「おまえらがおれさまをさがしているれんちゅうか!」

 かなり舌っ足らずで凄んできた。

「雨ふり小僧ちゃん、いい加減に悪戯に雨を降らせるのはやめましょう?皆が迷惑してるんですよー」

 ぬりえはぬりえで子供をあやしているような口調である。

「なんだおめーばかにすんのかー!こどものくせにおれさまをこどもあつかいするなんて!」

「五月蝿いですよ、ちょっと祟って思い知らせましょうか?」

 雨ふり小僧のわかりやすい挑発に、ぬりえが目が笑っていない状態でそんなことを言い出し始めたので、慌てて丁奈が。

「え、えっと……雨ふり小僧君?でいいのかしら、まずはお名前聞かせてもらっていいかしら?」

「なんだおめー、にんげんかー」

「そうよー」

「そうかー」

 どういうやり取りなんだろう。丁奈はそう思ったが子供相手というのはそういうものだろうなと思い笑顔で目線を合わせると雨ふり小僧が。

「おっぱいでけーな!」

 と言って丁奈の胸部を鷲掴みにした。

 それを見たぬりえは神格を持っている座敷童子とは思えないような表情で驚いているが、当の丁奈は。

「あらあら、ギュッとしてあげましょうか?」

 と言って雨ふり小僧を抱きしめると。

「な、なんだよ!」

「よしよし」

 丁奈はあまり自分の子供を持ちたいと思ったことはなかったが、こうして小さい子を抱きしめていると言い知れぬ感情が湧き出てきていることに少し驚いている。

「こどもあつかいすんなよ!」

「あらごめんなさい」

 丁奈が雨ふり小僧を開放すると白いモヤが公園全体を包み込んでいた。

「まったく、予定とは完全に違いましたが……これでゆっくりとお話できますね。それにこちらが失礼なのは当然でした、こちらから名乗るべきだったのだから。私はぬりえ、座敷童子のぬりえで、今ここを閉鎖したのは塗壁のくうちゃんです」

「ざしきわらしぃ?おまえみたいなこどもがか!」

「座敷童子ですからね、子供以外いませんよ。それにあなたも雨ふり小僧で子供しかいませんからね?」

 ぬりえの言葉に場は静寂に包まれた。

「ほんとうだ!おまえてんさいか!」

「……なるほど、分かりました。あなたはもしかしたら名前もないのではないですか。生まれたてでしたら今回のことも理解できますしね」

「よくわかったな、おれ、とうか十日くらいまえにうまれたばかりだ」

 それを聞いたぬりえはため息をついてから丁奈にぬりえが考えた事の顛末を説明し始めた。

 梅雨に入ったことで強い雨が続くと、自然に雨ふり小僧が発生する可能性が高く、今回は先週に発生していた豪雨の影響で力の強めな雨ふり小僧が誕生したが、うまれた直後は特に周囲への影響を与えることはないとのことで、週末の晴天で力が落ちたことがきっかけで今回、ぬりえ達にすんなり捕まったということだという。

 しかし、それを聞いた丁奈はひとつの矛盾に気がついた。

「うーん、でもそれだとぬりえちゃんが依頼された理由がわからないし、別の子が居たりするんじゃないかしら?雨ふり小僧ちゃんに関しては本人もそうだって言っているし合っているとは思うのだけれど」

 丁奈がそう言ったところで、大きな影が三人を覆った。

「まぁ、簡単にはいかんと思うとったがなぁ、座敷童子まで出てきてるんじゃぁ、こうもなるかのぉ」

 図太い男性の老人の声が降ってきた。

 雨ふり小僧と丁奈は動けずにいたが、ぬりえだけはその声に動じることもなく真正面から受けて返す。

「そうですね、でも……なんとなく気配は察することは出来ていたのであまり驚きはしませんね、この子の力が強かったもので少し混乱してしまいましたが……雨降り入道さん、あなたには流石に、お名前があるのでしょう?」

「儂にはそんな大層なもんはありゃぁせん。ただなぁ、去年はぜーんぜん雨ば降らなんだから、ちょいと多めに降らしただけじゃ。こんな坊主が生まれたり、座敷童子まで首を突っ込むことになるとは思うておらんかったんじゃよ。座敷童子ならわかるじゃろ、儂らのような雨がなきゃ生きていけん連中が、干ばつなんぞ起きた日にゃどうなるかっちゅうことを」

「えぇ。ですが今は時代が変わっているのですよ、今回の調子で強い雨を降らし続けてしまえば人間だけではなく、他の妖怪さんたちまで死んでしまいます。何事もやりすぎてはいけないのですよ」

「そりゃお前さん、人間が考えもなしに土を消しちまうのが悪いんでねぇか?」

「それは違うわ入道さん」

 ぬりえと雨降り入道の会話に、丁奈が割り込んだ。

「川が氾濫したりしないように何度も、何度も失敗しながら護岸工事をしたり、山を削るにしても植樹をしたりしているのも人なの」

「だが、破壊するのも人間。違うか?」

 そう言いながら雨降り入道は丁奈に向かって手を伸ばす。

「丁奈さん!」

「大丈夫よぬりえちゃん、入道さんも多分……」

 丁奈がぬりえを静止したところで、雨降り入道が丁奈を掴み持ち上げた。

「だが……お前さんはどこか違うように感じるな。だが誠意ちゅうもんを見せてもらわねば儂以外の連中が納得しやぁせん。まぁ黙らせることもできるが……それはやりたくはねぇしのぉ」

「何をすればいいのかしら」

 丁奈は完全に動けないように持たれているとは思えない落ち着きで質問をすると、雨降り入道は大笑いをして。

「随分肝の据わったお嬢ちゃんじゃのぉ、少しでも儂が力を入れるだけで命を落とす状況でこの態度とは。そうじゃな、その坊主の面倒を暫く見てくれれば儂としては誠意として認めようじゃないか」

「な!なにかってなこといってんだ!」

 雨降り入道がそう言って雨ふり小僧の頭を撫でようとしたとき、雨降り入道の身体が少し揺れて、丁奈は地面に落とされた。

「そうだよ、せっかく僕が色々やっていたのにみーんな君たちが美味しいところ持って行ってさ、勝手に和解されても困るんだけど」

 片膝をついた雨降り入道の肩口から丁奈が見た声の主の姿は、雨ふり小僧と思わしき姿だった。

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