第16話 子供の噂・C
『座敷童子かなんかか?あまり子供の姿をしたやつの話は聞かねぇし、悪さをするやつは殆どいないから調べないとわからねぇぞ。あぁそれと座敷童子は妖怪っていうよりは神格のある存在だから、もしそうだとしたら対応を間違えるなよ』
仕事が終わった丁奈が、自身のスマートフォンに着信した文章を見た。
内容はできるだけ客の話と、自分の目撃情報を主観的ではなく客観的に書いてみたのだが、妖怪対策課でもあまり子供姿の妖怪というものは取り扱う機会がないらしく丁奈の満足できる情報は得られなかった。
「もう、小林さんも大切なところで役に立たないんだから」
「いや、無茶ぶりしたらダメよ。それに小林さんに情報が入ったのなら何かしら調べるはずだから待つことを覚えなさいな」
夜になって熱がそれなりに引いて元気になったルインが、頬を膨らませている丁奈に向かって笑いながら言うと、昼に出されて残っていたサンドイッチを口に運んだ。
辛子マヨネーズが塗られたパンに、既にしなびてしまってはいるものの塩水に軽く漬け込んでおいたのか程よい塩気が熱を出して寝ていたルインにとってはすごく美味しく感じられた。
「ともかく、調べるのは専門家に任せておきなさいな。私が動けないとしても小林さんたちは簡単な異変でも動いてくれるからね、妖怪対策は情報を掴みしだい動かないといけないから」
今回に関しては豪雨の中、傘も刺さずに外を出歩いていた子供という点においてはどのみち警察が動くべき案件なので、小林たち以外の部署も動くことが出来るだろうし、ルインとしては楽ができていい……のだが、梅雨という時期には特に助かるものであった。
「でも子供だからなぁ……どうしても気になっちゃうのよねぇ」
「そのことで私、ひとつ思うことがあるのだけれど……丁奈がそこまで執着するのは少し異常よ。確かにひとつのことにのめり込みやすいタイプではあるけれど、ここまで長続きしたことはイーリスくらいのものでしょう?」
「それは……そうだけれども……」
「お節介にしても、昔迷子を見つけたときはすぐに警察に報告して一緒に探すくらいだったのに、今回は小林さんという連絡の取りやすい本職に連絡を今まで取っていなかったから……私はそこが心配」
流石に幼馴染の親友だな。と丁奈は強く思う。
自分自身でも何故かわからなかったことも、違和感として指摘できるくらいには見ていてもらえているのだから、丁奈はこのルインの言葉は心の深くに染みるようだった。
「それにね、イーリスはご近所ではそれなりに人気ではあるけれど、今日の繁盛は流石にちょっと来店数が多すぎたんじゃないかしらね、丁奈の疲労具合を見れば大体わかるから」
これも言われてみるまで丁奈は気づいていなかった。
確かにルインの言うように長い間続いた雨の間にあった晴れの日ではあったが、今まで似たような状態だとしても満席になるようなことはあまりなかったし、客の回転も今日ほど良くなかった記憶で、龍五郎と小虎も帰る直前にすごく疲れた顔をしていたのだ。
「そういえば、龍五郎君と小虎ちゃんもかなり疲れてる感じだったわ……」
「……丁奈、ここで引いておきなさい。多分あなたが見たのは座敷童子。あなたが喫茶店をしているのを見ていた座敷童子が、何を思ったのか知らないけれどイーリスに千客万来という幸福をもたらしたと考えれば、今日の忙しさは説明できるもの。むしろそうじゃない場合、なんでテレビや雑誌で紹介されたわけでもなく、ネットで話題になったわけでもないのにお客が急に増えたなんて説明できないでしょ」
「もしそうだとしたら、せめて今の従業員で回せるくらいのほうが、私は幸せなんだけどねぇ……」
座敷童子の逸話であるのなら、大抵の場合は座敷童子が去ってしまった後に不幸が訪れるというものがあるが、今回の場合はそもそもイーリスに座敷童子が住み着いたという感じではないので、気まぐれに一回、幸福を持ってきてくれたのだろうというのがルインの見解であった。
そもそも聞いている話では建物の中にすら入っていないのだから当然影響はないはずなのだが、今日のイーリスの様子は、ベッドの上で音を聞いているだけでも凄かったのでルインとしても思うところはある。
「まぁ、今日みたいな繁盛が続くようならバイトを増やすなりしなさいな。後、調理師免許持ちもね。休みを増やすか、人を増やさないと丁奈も倒れるわよ」
「ふふ、心配してくれてありがとう。でもそれならルインちゃんも養生しないとダメよ」
二人がそれで笑いあったところで来客のチャイムが家の中に鳴り響いた。
その音に反応して二人は時計を見ると、時間は二十のアラビア数字を表示しているのを見て。
「こんな時間に誰かしら」
イーリスの営業時間は九時から十八時、閉店から二時間経過している状態でイーリスに訪れることがあるのはルインを除けば忘れ物をした龍五郎や小虎くらいなので、丁奈は特に警戒することもなく玄関に向かおうとするが……。
「丁奈」
ルインが名前を呼ぶだけの短い静止を行った。
「気配が違う。これは私が今まで一度も経験したことのない気配。正直に言うけれど……万全の状態でも私じゃ手も足も出ない相手」
ルインの真剣な表情のその言葉に、丁奈は動きを止めた。
吸血鬼の血を引くルインは、間違いなく強い。
丁奈は何度かルインの祖父とも会ったことがあるが、ルインの尊敬している彼であってもルインのほうが強いと言及していたことも思い出し、少なくとも丁奈が知る限りではなんでもありという条件ではルインはそれこそ、軍隊相手にでも立ち回れるのではないかという信頼を持っていた。
無論ルイン本人は無理だと笑って言っていたが、丁奈がそれだけの信頼を寄せているという事実が、この場では重要だったのだ。
そして、その信頼している相手が手も足も出ないと冗談でもない雰囲気ではっきりと言ったのは丁奈が衝撃を受けるには十分だった。
「でも……悪い雰囲気は感じないんじゃ……」
「だからこそよ。現時点で私が手も足も出ない悪意のない相手なんてのは、最近のあなたの話や出来事を考えればひとつしか答えがないもの。下手に招き入れたら、破滅も招くことになるかもしれないの」
ルインがここまで言う相手は、丁奈も思いついた。
さっきまでその話題で雑談していたのだから当然だ。
「座敷童子……」
丁奈は無意識に呟くと、ルインは首を縦に振る。
「少なくとも、小林さんに連絡。今すぐ来てもらったほうがいい」
「そう……ね」
丁奈がスマートフォンに手を伸ばそうとしたところで……。
ガチャリ。という音が玄関のほうから聞こえてきて、軽めのものが歩いているような足音が部屋に向かって来た。
「入ってきた……わよね」
「神格か……覚悟を決めてね。こうなったらおもてなししないといけないから」
「大丈夫ですよ、今の私にはそれほどの力はありませんから……」
誰も触っていない取っ手が動き扉が開くと、部屋の前にあの豪雨の日に丁奈が目撃した少女が立っていた。
「こんばんわです、私の名前はぬりえ。住む場所を失ってしまったダメな座敷童子です……そしてこの子が塗壁のくうちゃんです。元は、同じお家で暮らしていたのですけど……今は放浪の身ですので、ルインさんが心配されているようなことは起きませんので、安心してください」
ぬりえと名乗った座敷童子の頭の上に白いモヤと三つ目が現れてお辞儀をしたように見えた。
そして信用をしていいものかとルインは悩むが、この座敷童子が嘘をつく理由もないと思い挨拶を返す。
「こんばんわ。私はルイン……」
突然の情報量の多さに気がつかなかったが、自己紹介をしたところでルインは気づいた。
ぬりえは、今自分のことを名前で呼んだということを。
「くうちゃんに聞いたので……ごめんなさい、私はこの力で別の方に間違われることも多いので……」
「考えていることも筒抜け。間違われるというのはサトリのことかしらね」
「はい。それで今日はお詫びと、お願いに参りました」
「お詫び?」
ルインの疑問に答えるようにぬりえはルインに近づき、ルインの額に手のひらをかざすと、ルインは自分の中から熱の気だるさなどの体調不良の原因が取り除かれているのが実感できた。
「力は弱まっているとは言え、私と直接目が合ってしまった人は惹かれてしまうようでして……丁奈さんがその影響にあった時にルインさんが強く雨に打たれてしまったので、これはそのお詫びです。もっと早く来られればよかったのですが、私にも少々用事がありましたので、ごめんなさい」
吸血鬼の発熱をこんなに簡単に治したという出来事に、ルインと丁奈は二人して今目の前で起きていることを見守っていたが……。
「お詫びが終わったってことは……次はお願い?」
丁奈が呟くようにして口を開くと、ぬりえは静かに首を縦に振った。
「私が物質に対して影響を与えられるのは、今の状態では限定的です。そして今この街で強い雨を降らしている元凶の子を捕まえて欲しいのですが……」
「ちょっと待って、雨を降らしている?元凶?」
「はい、人間の方は雨ふり小僧と読んでいる子なのですが……ちょっと雨を集中的に降らしすぎなので現地の子たちから、放浪している私に説得をお願いしてきたのですけれど、くうちゃんにお手伝いを頼んでも逃げられてしまって……」
「神格を持つぬりえさんと、塗壁に捕まえられない相手が人間に捕まえられると?」
ルインが真剣な眼差しをぬりえに向けると、ぬりえも真剣な眼差しで見つめ返して。
「はい、ここ数日協力してくださる人間の方を探していたところ、丁奈さんが最も捕まえられる可能性が高いと思います。これは、私とくうちゃんを含めて考えてもです」
名指しをされた丁奈の表情は少し曇った。
「……冗談はやめて頂戴、丁奈は……」
「いいのルインちゃん、おばあちゃんも必要だと思ったとき、何かを守れるのなら使っていいって言ったのだから。こんなに雨が続いたらルインちゃんがまた体調を崩しちゃうし……」
そう言って丁奈は鍵のついた棚を開けて一冊の本を取り出した。
かなり古い皮の表紙に包まれていて、紙も焼けているものの崩れる様子がなく、不思議な雰囲気を持った本を撫でるようにして丁奈が続ける。
「おばあちゃん、ほんの少しだけ使わせてもらいます」
「それでは追い込むことは私とくうちゃんが行いますので丁奈さん、よろしくお願いします。ルインさんはまた、雨の中で行うことになりますので休んでいてください」
ぬりえは優しい笑みでそう言ったが、ルインの気持ちは楽にはならなかった。
普段ならば吸血鬼としての血は自分の大切な友人を守るために力を貸してくれるのだが、ぬりえの言ったとおりに今回の相手が雨ふり小僧という妖怪だったとしたら雨に弱い自分は何もできることがないことに下唇を噛む思いをしてしまうのだ。
「ルインちゃん。いつもはルインちゃんに頼りすぎてるくらいなんだから、たまには私にも頑張らせて」
「あなたは毎日頑張ってるでしょうが……。ちゃんと、無事に帰ってきなさいよ。それとぬりえ様、丁奈をどうかお守りください」
そう言ってお辞儀をしたルインに対してぬりえは慌てたように。
「い、いえ私は様を付けてもらえるほどの存在ではありませんから。でも……丁奈さんをお守りするという願いは分かりました。ふふ、やっぱり最初に見たときに思った通りにお二人はお互いを思いやっている優しい方で、よかったです」
ぬりえのその笑顔に、ルインはため息しか出なかったが、その顔は優しかった。
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