第9話 塗壁の噂・C

 翌日、ルインと丁奈を眠りから覚醒させたのはルインのスマートフォンから鳴り響く着信音だった。

「……小林さん?何かしら、こんな時間に」

 リビングのソファーで毛布だけで寝ていたルインは鳴り響くスマートフォンを掴み、通話を開始すると。

『ようやく起きたか!おいルイン、お前さん昨日あれから何かやらかしたか!』

 突然のことに寝起きのルインは思考がまとまらない。

「ちょっと待って、やらかしたって何?あの後は私、イーリスまで行って丁奈の麻婆豆腐食べてから寝たのだけど……」

『まだ寝てやがるな……まぁいい、昨日お前が向かったルートで行方不明者が出た』

 その小林の言葉で、ルインの頭は覚醒していく。

「……心当たりはあるけれど、完全に私は無関係……というか被害者一歩手前だったんだけど」

『どういうことだ?』

「私の後を付けていた気配が突然消えた。コートを着ていたのは確認したから多分そういう手合いだと思うのだけど……」

『あー……、まぁ今回はお前がやらかしたわけじゃないことはわかった。それで……いるか?』

 小林が一言『いるか?』と聞いた時はルインにとっては望んだ状況ではある。

 だからこそその答えは二つ返事で。

「もらえるなら欲しい。いくら不審者とは言え被害者が出てるわけだし……今行方不明ということはそういうことでしょう?」

 龍五郎から聞いた話は、簡単にだが小林には伝えてある。

 こうなるとお互いわかっている同士なので話が進む速度は早くなる。

『十中八九、本物だろうな。ただ問題はイーリスのバイトが遭遇したっていう方だ。そっちはすぐに解消されたってことを考えれば、今この街には塗壁関係の、別の奴らがいるってことだからな』

「そうですね。正直本物のほうは楽観してもいいとは思いますが……もう片方との情報の錯綜が面倒なことになりそうで、寝起きの頭には響きますね」

『寝起きじゃないのに頭が痛くなってるのがここにいるんだが。まぁいい、そういうことでルイン、お前さんに警察から正式に調査依頼だ。塗壁の存在調査を頼む』

「了解。交渉はいつもどおり警察に任せますけど……私が最初に調べていた奴のほうは状況次第で個人で進めちゃいますけど、いいですか?」

『自衛は許可されてんだ、そこで許可を求める必要はねぇよ。じゃあ頼んだぞ』

 小林はそう行って通話を切った。

 ルインは通話の切れたスマートフォンを改めて充電器にセットしながら、先ほどから後ろで話を聞いていた丁奈に向かって。

「それじゃあ朝ごはんにしましょうか」

 笑顔でそう言うルインに向かって丁奈は。

「お仕事じゃないの?」

「ハラが減ってはなんとやら。しっかり食べないと足を使った調査なんて途中でグダグダになるからさ」

「あらあら……じゃあルインちゃんのお仕事の前に、ちょっとだけお願いしたいのだけれど……」

「まぁタダ飯になるのもなんだし、少しくらいはいいけど」

 そう言ったルインは、すぐにその言葉を後悔した。

 なぜなら……。

「じゃあついでだし仕込み、手伝って」

 丁奈はそう言いながら大量の野菜が入っているダンボールをルインの前に置いてとてもいい笑顔をしたと、後にルインは龍五郎と小虎に話したのだった。




「ねぇねぇ小虎ー聞いたー?」

 学校の教室、昼食の時間に小虎のクラスメイトが話しかけて来る。

「んー内容聞かないと何かわかんないよ」

「それがねそれがね、なんとこの学校の近くで失踪事件があったんだって!」

「ふーん……美樹にしてはなんというか……微妙な内容だね」

 美樹と呼ばれた女生徒は頬を膨らませて。

「そりゃさー吸血鬼よりはしょっぼいけどさー、そう簡単に妖怪とか怪異の噂が仕入れられるわけないじゃないよー」

「むしろ美樹がなんでそんなゴシップ持ってきたのかってほうが気になってきたよ……何かあるの?」

「やっぱり小虎は聞いてくれるかぁ、さっすが親友!」

 そう言うと美樹は小虎に飛びついてきた。

 急に飛びつかれたことで小虎は少しバランスを崩したが、龍五郎よりも少し小さい美樹の飛びつきには慣れていることもあり、踏みとどまってから美樹の肩を掴んでまずは引き剥がした。

「それはいいから、教えてもらっていいかな」

「むー雲海君とはあんな仲良さそうなのに……女の友情より男か!」

「いや龍五郎とは幼馴染なだけだし」

 お調子者の美樹は毎回こんな感じに小虎のことをからかってくる。

 他のクラスメイトはそのことに鬱陶しさを感じることが多いようで、小虎が初めて美樹と出会った時には少し孤立しているのを感じたので話しかけたら懐かれてしまったのだ。

 最も、小虎としてはこの少々騒がしい少女がいるほうが落ち着けるのでむしろ嬉しいのだが。

「それがねなんでも監視カメラから突然姿を消したんだって。それでも失踪って言える?」

「警察が失踪って言ってるんじゃないの?」

 素人がどう判断しようが、プロがそう判断したとすればそう言う分類に当てはまるんだろう。

 普段超常的な話に執着している小虎は、何故かそういう判断はドライなところがあった。

「それは……そうなんだけどさ、小虎はそういうとこ冷めてるよね」

「そうかな」

「しかも自覚がないって……かーもう小虎はホットなのかクールなのか!ま、いいや、それでさ小虎って超常現象とか調べる部活してるじゃん、何かそういう妖怪とか怪異とか知らないかなって」

 美樹に聞かれて小虎は頭をひねる。

 最近そんな内容の話をどこかで聞いたような、そんな記憶があるため記憶を呼び起こしていると。

「おーい、小虎いるかー」

「お、旦那さんが来てるぞーこっちこっちー」

「「誰が旦那か!」」

 完璧に揃った反論に対して美樹はニヤニヤしていたが、先ほどの会話の一部が聞こえていたのか龍五郎が先ほどの美樹の疑問について答えた。

「くそ……小虎、これおばさんから忘れ物だって何故か俺に渡されたんだよ。それとさっきの話って塗壁じゃないのか」

 龍五郎の言葉に美樹の瞳が輝く。

「なになに、ぬりかべってあのはんぺ……」

「先に言っておくがアニメのじゃないからな?」

「えーじゃあ何よぬりかべって」

「詳しいことは知らんが、バイト先の店主が知ってたんだよ。なんでも三つ目の犬みたいな感じらしい」

 美樹はなにそれって感じの表情をするが、気にせずに龍五郎は続けた。

「まぁそんな知りたいなら直接聞けばいいんじゃないか、俺たちのバイト先は知ってるだろ?」

「喫茶イージスだっけ?」

「イーリスな。まぁそこまでニアピンするなら場所もわかるだろうし、案内は別にいいよな」

「おーけーおーけー、というかどうせ二人は帰宅部と同じ時間に出て、そこの店主さんにお話聞く部活なんだから着いていけばいいし!」

 美樹の表情を見て、龍五郎は思ったことを口にした。

「……奢ったりはしないからな?」

「な、なんで私の考えていることがわかった……お前エスパーか!」

「いやお前が俺たちについてくる時、ほぼ確実に言うことだろ。奢ってって」

 美樹とは実のところ高校からの付き合いではない。

 小虎が中学の時に仲良くなってから小虎と龍五郎と美樹の三人で仲良しグループとして周囲から認識されていたのだが、龍五郎としてはただ絡んできている少々うるさい奴という認識でしかない。

 小虎が美樹と仲がいいことは理解しているため、周囲から見てみれば三人揃っての幼馴染グループに見えるんだろうとも思っているのだが、龍五郎は男だからと事あるごとに奢らされているので最近は言われる前に言葉を封じるようにしているのであった。

「むー小虎ちゃーん……」

「猫なで声してもちょっと無理かなぁ、今月お小遣いの方をカットされちゃったし」

 小虎は先日の野衾事件の時、一人で現場を調べようとしてさらわれて多方面に迷惑をかけてしまったために両親から勝手に行動しないようにお小遣いカットという形で行動制限をかけられているのだ。

「小虎のは自業自得じゃん!」

 そういう美樹も自分の使い込みが原因なので自業自得なのは同じなのだが、この少女にはその言葉も、ブーメランも関係ないのであった。

 そのことを知っている龍五郎は深い、深いため息を漏らしてから。

「まぁ……丁奈さんなら皿洗い一回でコーヒーくらいは奢ってくれると思うけどな」

「嘘!本当!?」

「思うだけだけどな、実際に奢ってもらえるかどうかはわからん」

 龍五郎は今日のバイトのことを思い遠い目になっていたが、小虎と美樹の二人は既に次の話題に移りながら昼ご飯に箸を伸ばしていたのだった。




「それで、消える瞬間の映像って見せてもらえるんです?」

 昼過ぎの時間に警察署を訪れたルインは小林に会い、正式な依頼手続きと共に警察の持っている情報を調べていた。

「おう、というかうちの課で取り扱う案件は基本的にあまりに現実味がなさすぎてCGと思われるってんでネットに流しちまってもお咎めなしだからな、お前さんなら自由に閲覧していいぞ」

 ネット流出に関しては冗談だろうが、毎回事件の調査協力として依頼を受けているルインが自由に閲覧しても良いという部分は本当の事で、他の課どころか管理職に当たる上官にわざと聞こえるような声量で小林が答える。

 これも毎回のことなので「ありがとうございます」と短くお礼の言葉を伝えてから小林に差し出されたノートPCを操作して動画ファイルを再生する。

 動画に撮されているものは定点固定カメラの映像。

 監視カメラであることを考えれば当然なのだが、少々見づらい部分があるのがルインとしては不満がある。

 これが本当に塗壁の仕業であるのなら空間ごと消滅するだろうし、そうでなかったにしても何かしらの動作があるはずである……のだが、定点固定カメラの映像となればその肝心の部分が米粒大であったり、そもそも画面外で少しフラッシュするだけだったりすることが少なくないために、今回のような怪異事件のケースでは首を振っていてくれるカメラのほうが何かを見つけられる可能性は高かったりするからだ。

 最も、わかりやすく美術館とかで発生してくれたのならば定点固定カメラであったとしても、そもそもが死角がなくなるように多数配置されているので、確認に時間がかかるという一点を除けば問題にはならないので、発生場所次第であるとも言うのだが……。

「時間は?」

「二十三時前後」

 小林の返答にルインは頭が痛くなってきた。

 専門部署の刑事が『前後』などという曖昧な表現を使ったということは、単純にこの映像には被害者が消える瞬間が完全に特定できるものは撮影されていないということになるからだ。

「まぁ見てみてくれ、俺たちにゃわからん何かをお前さんなら発見できるかもしれんしな」

「いやあまり変わりませんって、特に録画データともなれば映っているものは変わらないんですから」

「ほれ、その辺りだ」

 小林がそう言いPCモニタを指さしたタイミングで一度映像の中で発光のようなものが起きた。

「二十二時五十八分」

 すぐに時刻を確認したルインは舌打ちをする。

 監視カメラであるにも関わらず秒が表示されていないのだ。

「もどかしいだろその映像」

「必要なところは映ってないし、発生時刻を確認しようとして秒が見れないってのは監視カメラとして失格でしょ」

「まぁ今回の事件を撮ろうとしたカメラじゃねぇからな、最初のは仕方ねぇ。時刻に関しては店にアドバイスしといたよ。それよりほれ、次だ」

 事前に前後と伝えられていたこともあり、今の小林の言葉がなくともルインは画面を注視していた。

 特に映像に変化がないのでまずは時刻を確認する。

「二十三時二分」

 ルインが時刻を口にした瞬間、映像の右上部分に白いものが少し映り、すぐに消えた。

「今のが全部だ、わかるか?」

「正直この映像だと難しいと思うわ、発光の時点で塗壁とは別のもののような気がするし、最後の白い影は塗壁のようにも思える。つまり情報過多」

「ま、捜査にはよくあることだな。結局のところ足か」

「他に被害者が出る前に解決しようとするなら、私が毎晩歩けばいいだけだけど……」

「却下だ、逃げられたらたまったもんじゃねぇし、お前さんだって俺たちからすれば民間人だ、それをやるなら俺を含めた課の誰かだ」

「……わかったけど、とりあえず情報は共有しつつ私は今日の調査に入ります。逢魔が時がそろそろですから」

「わかった、気をつけろよ」

「小林さんも」

 お互い挨拶をしながらも、ルインは今見た映像をUSB端末にコピーしていた。

 小林をはじめとする警察職員はそのことを確認していたが誰も止めなかった。

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