第8話 塗壁の噂・B

 イーリスを出た後、三人に会話はなかった。

 イーリスから龍五郎と小虎の家までは徒歩五分程度の距離だったこともあるが、何よりも小虎が普段よりも大人しい……というよりもしおらしいことにあった。

 そうなると小虎本人から話題を振ることはないし、龍五郎もあまりに普段と違う幼馴染の姿に言葉が出てこないのだ。

 そして二人がそんな様子なので送り届けているルインも居心地悪そうにしていて会話が発生しない状態だった。

「……さて、着いたが。また明日……でいいよな?」

 静寂を破ったのはルインであったが、同時に帰宅宣言でもあった。

「あ、はい。ルインさんありがとうございました」

「ありがとうございました」

 二人もそれだけ言うと、そそくさと自宅のドアを開けて入っていってしまい、それを見送ったルインだけが取り残される。

「……なんともまぁ、青春……と言っていいのか判断に困る」

 独り言をこぼしたルインは「さて」とつぶやき。

「調査、始めますか」

 そう言って夜の街へと歩を進めた。

 元々龍五郎の遅刻理由を聞いた時から調査をするつもりだったし、何より小林さんに報告を入れるにしても調べる必要があったためルインとしては仕事の延長となる。

 龍五郎と小虎はルインが何をしている人なのかは聞かれていないので特に話していないが、ルインは自身の特殊性を活かして小林さんの担当している妖怪事件の情報収集を探偵業という体でやっているのだが、最近では遺失物調査中心で本来の探偵業に当たるものもやっていたりする。

「本業とは言え、流石に出てきそうにないのがな……まぁ文句を言っても仕方ないか、独り言も大概にしないといけないし」

 しかもルインが独り言を漏らしていたのは二人の住んでいる団地のエレベーター内だったので余計に不審者扱いされる可能性があった。

 最も既に過ぎたことなのでルインは気にせずに懐からメモ帳を取り出し、二人が着替えている間に龍五郎から聞いた内容をメモしていたページを開く。

「えっと……あの子達の通っている学校はここから徒歩三十分、学校からイーリスまで二十八分で、イーリスからここまでは五分か。とりあえず現場かな」

 時間に関しては龍五郎と小虎の普段の会話と、丁奈から出発前に聞いておいたものである。

 ルイン本人としては二人の学校に関しては訪れたことがないし、二人の家についても先日の事件の際に数度挨拶に訪れただけで、歩きなれたと言える場所はイーリス周辺にしかなく、普段から特徴を注視しながら歩いているわけでもないので、更に懐からスマートフォンを取り出して地図アプリを起動した。

 立ち上がった地図アプリに対しルインはいくつか線を引いていく。

 ルインが使っている地図アプリは、通常見られるような経路案内は含まれておらず、できるだけ自分自身で色々と書き込むことができる紙の地図に近いものを選んでいる。

 その理由を丁奈が聞いた時に「お仕事の都合上経路案内機能が邪魔な時が多いし、経路案内は別にアプリじゃなくてもあるし」とルインは答えた。

 丁奈から言わせれば紙のメモ帳も併用しているのならあまり変わらないとのことだったが、ルインはこのスタイルを気に入って採用したのだからこの際効率のことは深く考えないことにしていた。

「うん、一筆で回れるか。途中コンビニもあるし……今日はほぼ徹夜でいきますかね」

 そう独り言を漏らしたところで、後ろのエレベーターが開いて住人に不審な目を向けられたが、ルインは気にせずにまずは学校へと向かったのだった。




「えっと、ここが二人が通っている学校と……」

 団地から一時間程かけて龍五郎と小虎の通っている学校までルインは徒歩で向かい、到着したのだが、龍五郎から聞いた塗壁と思わしき道迷いの現象は発生しなかった。

 もとより起きないだろうという考えで調査していたが本当に何も起きなかったことに対して少し肩透かしな気分になっていたが、本命はこの次のこの場からイーリスに向かう道中。

「地図を改めて確認して……龍五郎君がいつも使ってる道は大通りでいいのかな」

 聞いておけば良かった。

 ルインがそう思った時。

「そこのお嬢さん、こんな夜分に何をしていらっしゃるのかね」

 コート姿の初老の男性に話しかけられた。

「あぁちょっとお仕事をね」

「ふむ、そのお仕事の内容を聞かせていただいても?」

 ルインは慣れた口調でそういい、会話は間を開けずに続く。

「いやまぁこの流れはもうそろそろいいとは思いますが、まだ報告することはありませんよ小林さん」

「はっはっは、流石に吸血鬼の夜歩きについては把握しておかないと上がうるさいんでね。俺ももう引退が近いってのに何が不満なんだってんだか」

 そう言って小林はタバコを咥えて火をつけた。

「後進を育てないことと、ソレじゃないですか?最近うるさいでしょうに」

「俺の若い時は吸いたくなくても吸わされたんだがなぁ……まぁ時代か、吸わなくて済むならそれでいいもんなのは確かだ。後後進に関しては上に言ってやってくれ、人事が人を文字通り寄越さないんでな……お前あたりが警察に入ってくれれば俺は即座に引退できるんだがなぁ」

「いや無茶言わないでくださいよ……まぁ概要だけ今のうちに言っておきます。本物が出てきたら私、明日は顔出せないと思いますので」

 タバコを携帯灰皿に入れている小林はルインの言葉を聞いて驚きの表情を見せた。

「いやいやいや、お前さんが動けなくなるってどんな妖怪だよ」

「私は逸話にあるような強さの化物じゃないですって。それに伝説通りだったとしても、今回のやつが本物だったら、多分そいつの方が単純な分強いと思いますよ」

「うーむ、吸血鬼より強いやつなんざ日本にいたかねぇ」

「むしろ多いと思いますよ。お祖父様だって鬼と対峙したら逃げろとか私に言い聞かせてきてましたし……まぁこれは言って大丈夫か、今回私が調査してるのは塗壁ですよ、常連にしてる喫茶店の子がそんな感じの超常に出くわしたと聞きましてね」

 塗壁と聞いた小林は納得するような相槌を打って。

「あぁなるほど、そりゃ概念的に倒すのは難しいな。退散してもらうしかできねぇ」

 携帯灰皿をしまい、ポケットの中から飴玉を出して口に放り込んだところで小林は何かに気づいたように。

「ん、お前さんが常連っていうと八ヶ岳お嬢さんの店か……ってことは野衾の被害にあった子かい?」

「えぇ、仰る通りに野衾の被害にあった子です。まったく、丁奈に関わったからか、単に運が悪かったのかわかりませんが、あの子もちょっと難儀ですね」

「……もしかしたら、出会いやすい体質になっちまってるのかもな。俺も人のことは言えんが。ま、お前さんが深夜徘徊する理由もわかったことだし、こっちはちゃんと説明しておいてやるよ」

「お手数かけます」

「これも俺のお仕事だ、畏まる必要もないだろうよ。んじゃお前さんも気をつけろよルイン。あぁそれと……」

 飴玉をルインに向かって投げながら小林は言った。

「さんは付けなくていいって、前に言ってあったよな?」

 飴玉を受け取ったルインは意地悪を企んでいるような顔をして。

「あれ、言われましたっけ?」

「っけ、わーってるよ、お前さんがそのへんしっかりしてるのは。っけ」

 拗ねた仕草で小林はルインが来た方向とは別の、駅のある方向へと歩いて行く背中を見送ったルインは。

「尊敬はしているけど、フレンドリー過ぎるのよね……丁奈とは波長が合うらしいけど」

 それなら自分とも合ってしまうのかな。などとルインは考えながら、イーリスへの道へと足を進めた。




 夜道には色々なものがある。

 酔っ払った会社員、街灯や自販機に寄ってくる虫、大学生と思われる集団……ルインがイーリスに向かう間にそう言ったものとすれ違いながら進むが、夕方龍五郎が遭遇した現象には遭遇しなかった。

「さて、遭遇できないにしても気配は感じられるかもとは思ってたのだけど……見事に何もなかったか」

 そう漏らすルインはイーリスの近くにあるコンビニで紅茶を買って一息ついていた。

 正確には気配自体は感じていた。

 しかしながら妖怪ではなく単純に不審者ではあったが、いつの間にか気配が消えていた点についてルインは気になっている。

 暖かくなってきたとは言えまだ夏前の時期に出てきて、夜中の一人歩きをする女性をつけ回すような不審者がそう簡単に諦めたりするものだろうか。

 ルインは自分を追いかけていた気配がひとつだけだったことと、それ以外の気配を感じなかったことに違和感を感じて地図アプリを起動し、不審者の気配が消えた地点にメモを書き込んでから、紙のメモ帳にも同じことを記載した。

「まぁ私も襲われたいわけではないけど……あそこまであからさまで露骨なやつが諦めたりするものかねぇ」

「あ、ルインちゃんだー。まだ帰ってなかったの?」

「丁奈……なんであんたがコンビニに来てるのよ」

 寝巻きにカーディガンを羽織っただけの格好で丁奈が現れたことで、ルインは思考を止める。

「お夕飯の買い出し。今日はお食事する人が来ないって言ってたから仕入れを止めたのだけど……」

「自分の分もなくなったと……」

 こういううっかりは学生時代からなのでルインはため息をひとつ出して。

「まぁ丁奈のことだし大丈夫だと思うのだけど……妖怪じゃなく不審者はいるみたいだから気をつけなさい。あなただって露出狂の陰部なんて見たくないでしょう?」

「あら変質者。そんなのいたの?」

「んー……正確には確かに『居た』なのよね。気配が突然なくなってちょっと思案してたところ」

「ルインちゃんの顔を見てやっぱりやめたとか?」

 さらっと酷いことを言われたのだが、ルインは気にもとめずに。

「いや文字通りに瞬間的に消えた。諦めて移動したのなら気配もそんな感じでわかるしさ。いくら見てなくてもあれは気づかないほうがおかしいレベルだったし」

 吸血鬼であるルインは夜目が効く。

 学校前で出会った小林がルインのことを見逃した理由もそこで、夜間でのルインの強さはそれこそ専門家でもなければ太刀打ちできないことを知っていたからである。

 更に五感も強化されるためルインの主な調査時間は夜間となるのだ。

 最も、ルイン自身は日中出歩いても大丈夫な、いわゆるデイウォーカーと呼ばれるタイプなので、基本的には日中起きて、夜に眠るという人間と同じサイクルをとっているのだが、今回のような妖怪の調査ともなればそれに適した時間に動くことが多くなるため、小林に連絡を入れないと先ほどのようにからかわれたりするのであった。

「ルインちゃん夜は得意ですものねぇ」

「人を夜行性の動物みたいに言わない。ただまぁそんな感じだからもう一度、その気配が消えたところに向かおうか、イーリスに一度戻ろうか悩んでたのよ。一通り回ってみた感じ気になったのはその不審者だけだから」

 ルインとしては不審者の一人が消えようがあまり気にしない。

 それどころか警察に情報が入るだろうという打算があり、直接確かめるリスクのほうが高いという考えのため、今日は現場に近いイーリスに泊めてもらおうという考えだったのだ。

「あら、ルインちゃん今日うちに泊まるの?」

「急な話で悪いとは思うけど、現場に近いからうちに帰るよりは便利なのよ」

 そういうルインに対して丁奈は嬉しそうな顔をして。

「あらあら、じゃあ買い出しに来て正解だったかしらね。じゃあ今晩は麻婆豆腐にしましょうか」

「太るわよ?」

 そんな会話をしながら二人はコンビニへと入っていった。

 翌日、小林からの電話で起こされることになることを、この時のルインはまだ知らなかったのだった。

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