第5話 吸血鬼の噂・E

『ちょっと丁奈!何があったの!』

 通信機からルインの焦った叫び声が聞こえてくるが、親機の前にいる龍五郎にはそもそもの通信が切れていることがはっきりと表示されているために分かってしまった。

「ルインさん……丁奈さんの通信が!」

『……っ!龍五郎君ごめん、私は一度丁奈の向かった街路樹に向かう。オーバー!』

 龍五郎が始めて聞いたような、ルインの焦る口調に心音が早くなるのをはっきりと認識する。

 今、龍五郎は親しい人を二人、危険に晒したにも関わらず自分では何もできなかった。

 無論現場に龍五郎が居て防げるものではなかったことも頭では理解しているが、感情の部分で龍五郎は自分を無意識下に責めてしまっている。

 そしていつも冷静であったルインがあれだけ冷静さを失い通信を切ってしまったという事実は、更に龍五郎の仲での焦りを強くして彼から冷静な判断力を失わせていく。

 自分が出て行っても何もできない、丁奈とルインの指示通りにイーリスで待機しておいたほうがいいということは龍五郎自身でも理解はしている。しかし……。

「くそっ!」

 通信機の親機を乱暴に掴み、イーリスを飛び出していた。

 無意識での行動に思考自体が混乱していく。

 しかし混乱している思考とは裏腹に体のほうはまっすぐ、龍五郎の出せる最も早い速度で昨晩四人で調べたあの街路樹の通りへと向かい……着いた。着いてしまった。

「丁奈さん!どこですか!」

 龍五郎は叫ぶが、答えはない。

 先にこの場所に向かったはずのルインは、遠い別の場所にいたらしく足の遅い龍五郎が先に着いてしまったこと、そして時間帯としては人通りがほぼなくなる昼時であったことも重なり、そこには龍五郎と、ソレしか動くものはいなかったのだ。

 そして冷静さを失っていた龍五郎はソレに気づくことはできなかった。

 ソレは街路樹の上から龍五郎に飛びかかり、首筋に一度噛み付くと龍五郎の意識はそこで途切れてしまった。




「丁奈!無事なの!」

 龍五郎が到着してから数分後、ルインが街路樹の通りに到着すると、昨晩調べていた木の上から。

「うぅん……ここにいるわよー……ちょっとめまいがするけど大丈夫ー」

「木の上でめまいって……ちょっと降りられる?」

 丁奈が無事であったことを確認したルインは平静を取り戻し、丁奈の補助をするために声のした木に近づいた。

「何かに体当たりされて噛み付かれたみたい。その瞬間から記憶がないの」

「思い出したり、分析するのは降りた後よ。その状態だといつ頭から落ちるかわかったもんじゃない」

 ルインの補助を受けながら丁奈が地面の上に降りると、ルインが通信機のスイッチを入れて。

「龍五郎君、丁奈は無事だったわ。どうぞ」

『龍五郎君、丁奈は無事だったわ。どうぞ』

 自分の声が別の場所から聞こえたことにルインは動きを止める。

 そして二人で、その声が聞こえた方向へと視線を移すと……。

「親機……よね?」

「……私のミスか、龍五郎君が暴走しないよう通信を切るべきじゃなかった」

「ちょっとルインちゃん、もしかして龍五郎君も?」

「ごめんなさい……」

 謝るルインに対し丁奈は首を横に振り、通信機の親機を拾い上げ。

「元はといえば私が油断したのがいけないのだもの。私に何かあればルインちゃんが暴走するっていうのは、知っていたのに」

「丁奈、私、ちょっと本気を出すわ」

 ルインが、怒りを含んだその声に丁奈は驚く。

「ちょっと……ルインちゃんそれは」

「いいの、自分のミスも含まれてるけれど……正直お祖父様をコケにされた感じがしてきてるから。そうか、こういうだったのね」

「ルインちゃん……」

 心配そうな表情をする丁奈を他所にルインは歩き始めた。

「安心しなさい。あなたは親機を持って一度イーリスに戻りなさい」

 丁奈はひとつ大きなため息をついてから、ルインに言われた通りに通信機の親機を広い。

「また、小林さんに迷惑をかけることになるわね」

「あの人もそろそろ引退なのだろうけれど……後で一緒に謝りに行きましょう。事前に報告できなくてごめんなさいってね」

 そう笑い合う二人だが、ルインの赤い瞳は光初めていた。




「たっちゃん……大丈夫?」

 聞き覚えのある声に龍五郎は身をよじらせるようにして目を覚ました。

「小虎……?」

「あまり動かないほうがいいと思う、血を吸われたみたいだから」

「血って……それよりも小虎、お前は大丈夫なのか」

 そう詰め寄る龍五郎の声には覇気がない。

 今まで気を失っていたことと、血をそれなりに失ったことでまともな思考ができない状態だが、それと同時に体に力が入らず動くことも難しい。

「私はそれなりに時間が経ってるから……でもちょっとだるいかも。それよりもごめん……」

 龍五郎は小虎が何を謝っているのか理解できなかった。

 むしろ謝るべきは自分であって、小虎が謝る必要はないと思って行動していたのだし、それ以上に今自分たちがどこにいるのか理解できていないものの、行方不明になっていた幼馴染が今、目の前に現れてくれたのだから龍五郎としては安堵の感情を強く感じていたのである。

「私が勝手に動いたから……それに今回、私が皆を巻き込んじゃって……」

「そんなことか……」

「そんなことって!たっちゃんまでこんな……」

 泣き崩れる小虎に対して、龍五郎は少し笑う。

「でもなんだ……お前が俺のことをたっちゃんなんて……いつ以来だよ」

「うっさい、たつごろぉ……」

 ついには小虎が涙を流しながら泣き始めたところで、龍五郎の後ろから大きな音が鳴り響いた。

 木材を叩く音と、木が割れる音、そして……軋む音と共に龍五郎と小虎は太陽の光に照らされた。

 驚きながらも振り返った二人は、逆光で目が痛むものの扉を開けた相手を確認するために目を細めてみるが……。

「シューシューシュー……」

 そう聞こえるような鳴き声を出す、人ではない何かがそこには立っていた。

「ひぃ!」

「小虎……もしかしてこいつは……」

 小虎が飛倉と言っていた妖怪。

 ルインが野衾だと説明してくれた妖怪。

 しかし目の前にいるのはモモンガともミミズクとも言えないような、それどころか大きさが明らかにそれらよりも大きいものである。

 怯える二人に向かってゆっくりと歩いてくるソレの口元は黒い色に染まっているのを確認した二人は更に怯えたような声を漏らしてしまう。

「シュー……」

 ソレが二人に覆いかぶさろうとしたそのとき、出入り口に一人の女性が姿を現した。

「まったく、言語すら持たない畜生が吸血鬼騒動を起こすとか、ふざけるのも大概にしてくれない?」

「シュー……」

「何がシューよ。私はお祖父様のことを誇りに思っているのだから、風評を汚すのをやめてもらえないかしらね」

 女性がゆっくりと話しかけていると、ソレは女性に向かって飛びかかる。

 が……。

「待てすらできないか。話しかけるのが馬鹿みたいになる……さて、二人共大丈夫?」

 怯えて混乱していた二人は、ようやくその女性の正体に気がつき、その名を叫ぶ。

「ルインさん!?」

「はい、ルインさんですよっと」

 今度は後ろから襲われたにも関わらず、振り向くことなく裏拳を化物の顔に叩き込んでルインは二人に話しかける。

「龍五郎君ごめんなさいね、私が取り乱したりしなければあなたが襲われることもなかったのに」

「そんなことよりルインさん危ないですから!」

 ルインの謝罪に対し、小虎が慌てた様子で叫ぶとルインは。

「大丈夫。私はこんな畜生にはやられないし、あなたたちをこれ以上傷つけさせるつもりもないから……これは私のご先祖様に誓ってもいい」

 そう言うルインに向かって化物が飛びかかるが……。

「あぁもう鬱陶しい……だけどこの子たちに、ご先祖様に誓った以上はちょっと名乗りくらいはさせてもらう」

 ルインはそう言うと化物の頭を鷲掴みにし、壁に向かって投げつける……がその勢いは凄まじく壁を破り、化物が外の木にぶつかり……木が折れて下敷きになった。

「我が名はルイン、ルイン・フリーデ。我が体には誇り高き護国の吸血鬼としての血が流れている騎士である。吸血鬼の名を穢した罪、その命で償ってもらうぞ」

 既に事切れているのでは?と二人は思ったが、化物は倒木ではあまりダメージを負わなかったらしく、自らを潰していた倒木を名乗りをしていたルインに向かって飛ばして来た。

「ただの吸血種と、吸血鬼と呼ばれる存在の力量差をしっかりと見せてあげないと……本能だけじゃない、種の無意識に天敵であると教えこんであげよう」

 勢いよく飛んできたと思われた木を片手で止めたルインは、まるでその運動エネルギーすらなかったかのように化物の元へと軽い一蹴りで近寄ってその木を化物の腹部へと突き刺した。

 潰した、ではなく文字通り突き刺しているのだ。

「正直なところ、あなたへの怒りはある。だけどね、私自身への怒りも含まれていることは少し謝らせてもらう……そしてあなたは手を出してはいけない相手に手をだしたの」

 化物は腹部を貫かれたことで、既に音を発することはできずにいるらしく水に空気を流し込んだような音を出してルインの言葉を聞いている。

「丁奈と、その大切な子たちに手をだしたのは、最悪の手段。おとなしく山で小動物相手に慎ましくしていれば滅びなかったものを……人が栄えている場所で大暴れすれば、種族そのものが滅ぼされてもおかしくないということすら、本能で判断できなくなったあなたは……どの道終わり」

 言葉を続けるルインは、呼吸で言葉が止まる度に木を更に押し込む形で化物を更に痛めつける。

 その様子に二人は言葉を失い息を飲むだけになる。

「怖いわよね、こんな化物を簡単に殺せてしまう私が」

 ルインは振り向くことをせずに二人に向かい話しかける。

 二人はしかし、当然のことながら返事をすることができない。

「私は、先祖返りなの。お祖父様も私と同じようなことができたのだけれど、いつも人間とは争うなとか、無力な民を守ってこそだとか言われ続けていたわ。幼い頃の私にはその意味はあまりわからなかったのだけれど……色々調べられているうちにね、血が教えてくれたというか、遺伝子に刻み込まれていたというか……なんというか難しいわね、言葉にするのは」

『自分語りは後でもいいんだから、早く二人を連れて帰ってきてね、ルインちゃん』

「……いいところだったと思うのだけれど。それよりずっと聞いていたような話し方するわね」

『あら、親機の機能を忘れちゃったのかしら。登録している子機周辺の音を拾えるって』

「あぁ、そんな機能あったわね……」

 ルインが腰に下げている通信機から丁奈の声が聞こえたことで二人はようやく落ち着きを取り戻していく。

「丁奈さん……?どこかにいるの?」

 最も、小虎は通信機のことを知らないのでまだ混乱しているようだが、龍五郎は今のやり取りで丁奈が言っていたルインが強いという意味を理解した。

 丁奈は、ルインが吸血鬼であることを知っていたのだ、と。

『あ、小虎ちゃん無事だったのね。ルインちゃん、助けてくれてありがとうね』

「私は私がやりたかっただけだもの、お礼を言われることではない……わ!」

 ルインは言葉に力を込めたと同時に化物に突き刺していた。

「シュー!?!?」

 まだ息があったようで、化物が断末魔をあげて今度こそ息絶えた。

「さてと……丁奈、二人を迎えにきて頂戴。私はちょっと、小林さんに連絡入れて侘び入れないといけないし……何より事件の原因をちゃんと教える必要があるでしょうから」

『了解……それで、どこなの?』

「秘密基地よ、壊れちゃったけれど」

 丁奈が来るまでの間三人の間には会話はなかったが、その顔は疲労の色が強いものの笑顔でいられたのだった。

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