第2話 吸血鬼の噂・B

「それじゃあ龍五郎!調査を始めるわよ!」

「お前あれだけ丁奈さんとルインさんからやめとけって言われたのに……」

 龍五郎が小虎に起こされたのは、時計の短い針が11の数字を指したあたりだった。

 家が隣であることもあり、幼い頃からお互いの部屋への忍び込む手段を考察し続けてきたこともあり――実践しているのは小虎だけだが――、龍五郎が掛け布団を自分の体にかけたと同時に小虎が龍五郎の部屋の窓を開けて布団で寝ている龍五郎の上に乗ってきたのだから、龍五郎としては堪ったものではない。

 何せ身長が20cm程も差があり、それに合わせるように体重も小虎のほうが少々重く、龍五郎はそれほど鍛えているほうでもないので小虎の体重を意識していても支えるのは難しい。

 それも睡眠に入ろうとしていたところに乗られたことで支えるのは不可能だった。

 その結果が普段着に着替えて自宅近くのコンビニ前での先ほどの一幕である。

「丁奈さんは龍五郎の護衛があればとも言ってたじゃない」

「あれは小虎が暴走した場合の話だ……まぁ今完全に暴走してるわけだが」

「じゃあもう私に付き合うしかないわね!」

 テンションの高い小虎に対して何を言っても仕方ないと悟った龍五郎は大きいため息をついてから。

「じゃあ飲み物買ってからにするぞ……流石に眠いからコーヒーでも飲まないとやってられねぇ」

「龍五郎コーヒー好きだよねぇ、まかないも毎回コーヒーだし」

「流石に市販品と丁奈さんのこだわりコーヒーを比べるのは失礼だけどな」

「あ、私お茶」

「てめぇ……後で払えよ」

 二人にとっていつもの流れをしつつ、飲み物を買ってから住宅街を歩き始めた。

「それで、ただ歩いてるだけなのか?」

「うっ……そりゃあどこに出る!って決まってるわけじゃないし仕方ないじゃない」

 つまりアテがない行き当たりばったりである。

 とはいえ龍五郎はそのことに対して何も言わなかった、轟小虎という少女が計画性を持たないのはいつものことなので、今回も例に漏れず同じだっただけという心境になっただけ。

「それで、資料は読んでくれたんだよね」

「なんだよ、いつもは読んでる前提で話を進めるのに。まぁ今回は丁奈さんにお願いされたようなもんだしな、休憩時間に目は通しておいたぞ」

「吸血鬼じゃなかったら飛倉とかいう妖怪だったりするのかな」

 妖怪なんているわけない。

 そう口に出しそうになった龍五郎だが、そもそも起こされてこんなところを歩いているのは吸血鬼とかいう空想の産物を探しに来ていたんだったと思い出して言葉を飲み込んだ。

 時間は既に日付を跨ぐ時間を過ぎており、龍五郎としてはもう切り上げて帰って寝たいという心境ではあるのだが、隣の幼馴染は上がったテンションが下がるどころか更に上がっているように見えるあたり、次の日が休日でよかったと思いつつ、流石にこの幼馴染も平日に徹夜をやらかすことはなかったことに安堵を覚える。

「きゅう、きゅう、きゅうけつきー、吸血鬼さんはどーこーですかー」

 小虎が唐突に歌いだした。

「お前時間を考えろ、近所迷惑だろうが。それにそんな歌で出てくるわけが……」

 龍五郎がそう言ったと同時、周囲の街路樹が数箇所ざわめいた。

「な、なんだ風……か?」

「風だったら街路樹全部が一気になるでしょ……」

 しかしざわめいたのも一瞬で、その後が続かない。

「鳥でもいたのか?それが小虎の歌で驚いて逃げたとか」

「あーひっどい」

 そして再び歩き始めようとした瞬間。

「きゃぁぁぁぁぁぁ!?」

 住宅街に悲鳴が木霊した。

「行こう!」

 それだけ行って小虎は走り出してしまう。

「馬鹿行くな!」

 あれだけの悲鳴なのだ、吸血鬼や飛倉とかいう妖怪じゃなかったにしても、良くてひったくり、最悪殺人が起きている可能性すらある。

 丁奈さんがやめさせたかった理由はまさにそこにあるし、龍五郎が一番危惧していた事態でもあるわけで急いで小虎を追いかけるものの身長差から来る歩幅の差はいかんともしがたく、なかなか追いつけない。

 特に龍五郎は比較的インドア趣味で読書やゲームを嗜んでいて、活発でアウトドアな小虎に純粋な体力の面でも負けているために足の回転を早めても体力ばかりが消耗して速度が上がらない。

「くそ……こんなことなら……マラソンの授業くらい……は、まともに……受けとくべき……だった、か……」

 息を切らしながら呟いて悲鳴が上がったであろう場所に続く道へと曲がると、既に小虎は一人の女性に寄り添って介抱を始めていた。

「龍五郎遅い!」

「お、おまえなぁ……ふぅ……それよりも、大丈夫ですか?」

 龍五郎は息を整えつつ、スマホを出して通報できる準備をしながら女性に話しかける。

「は、はい……でも頭がぼーっとして……」

「龍五郎、この人の首筋」

 小虎がそう言うものの、龍五郎は思春期の少年である。

 女性の首筋を見るなどという体験は家族と幼馴染くらいのもので、見ず知らずの女性のそこを見てしまっていいのだろうかという思いがよぎる。

「そ、それよりも救急車だろ!」

「なに龍五郎照れてるの?この人の傷口、噂通り……ほら」

 スマホを操作していると小虎に肩に手を回されて引っ張られ、視界に女性の首筋が入ってしまうとその傷口を見ることになった。

「……確かにこれは」

 人の犬歯の幅くらいの位置に二箇所、出血しているのが確認できるが、既に血液は凝固し始めているように見えるが、女性の様子を見ると正常とは言い難い様子であり、状態は貧血という言葉を想起させるものである。

「とにかく救急車、呼びますね」

 女性は龍五郎の言葉に対し無言で首を縦に振るだけで、それ以上に反応する様子が見られなかった。

「小虎、この人の介抱頼む」

 幼馴染に指示を出してから救急に電話をしていると。

「大丈夫ですか!」

 数人の警察官が駆け寄ってきた。

「この人が最近の事件の被害者です!」

「君はなんで嬉しそうなんだね……いやそれよりも大丈夫ですか!」

 警察官の呼びかけにも女性は力なく首を縦に振るだけで、放心状態というのはこういう状態なのだろうかと龍五郎は思う。

「救急には今通報しましたので、大丈夫だとは思いますが……」

「そうか、それじゃあ君たちは帰りなさい」

 警察官から至極当然の言葉が飛び出すと、小虎が明らかに嫌そうな顔になった。

 そもそも即補導されても文句は言えないはずなので、被害者の第一発見者としてこの警察官の人たちは最大限自分たちに対して譲歩してくれているのだろうというのは龍五郎は思っているのだが、どうやらこの幼馴染はそうは思っていないらしい。

 龍五郎はため息をつきながらも警察官に。

「一応、第一通報者ですので見届けたいのですが……」

「そこまでは流石に容認したくないなぁ、未成年がこんな時間に出歩いている時点で本来なら補導しなくちゃいけないからね」

 ですよね。と小さく呟いた。

「ほら小虎、警察の人たちの邪魔しちゃいけないし今日はもう帰るぞ」

「えー……」

「どうも、申し訳ありませんでした」

「いや、この人の介抱と救急への通報はこちらこそありがとう、ご協力感謝します」

 現場の判断というものなのだろうが、この警察の人も結構ゆるいなぁと思いながら龍五郎は小虎の襟首を掴んでこの場を後にした。

「もう龍五郎放してよ!」

「いや流石に今日はもう無理だろ。補導されなかっただけありがたいと思え」

 小虎はぷぅと頬を膨らませるがしっかりと自分の足で帰宅の途についてくれた。

 この時、龍五郎の中では先ほど見せられたあの女性の傷口のことを考えていた。

 正直、小虎の持ってきた噂とかで今まで正確だったことがなかったことから今回もどうせガセだろうという考えだった、先ほどの女性の身に起きたことは間違いなく小虎の持ってきた噂通りのものだった。

 吸血鬼や飛倉ではなかったにしろ、噂通りのような傷を被害者に残すような犯行が現実に起きて、龍五郎たちの前に現れたことで考えを改めなければならないかもしれないのだ。

「小虎、今日はとは言ったが、明日からの深夜徘徊は禁止だ」

「なんで!?」

「実際に被害者を目の当たりにした上、警察の人に顔を覚えられただろうが。実際に被害者になる可能性が高いし、そうでなくても親や、場合によっちゃ丁奈さんにも迷惑がかかることになりかねない」

「丁奈さんは関係ないじゃん!」

「そうだな、でも二人のバイト先ってことで事情聴取とかあるかもしれないだろ」

「……それは嫌」

「なら、夜はおとなしく家にいることだ。少なくとも周囲に迷惑がかかることはないからな」

 龍五郎の言葉に、小虎が俯いて大人しくなる。

 これでしばらくは大丈夫か。

 龍五郎はそう思いながら小虎の手を掴んで帰途を急ぐ。



「ということがあったわけです」

 翌日、イーリスのバイトで元気の無い小虎を心配した丁奈が龍五郎に事の経緯を聞いて、それを答えていた。

「そう、でも二人が無事でよかったわ」

 丁奈は本当にホッとした様子で二人にコーヒーを淹れると、飲んでと差し出す。

 龍五郎がそれを受け取り、ひとつを小虎に手渡そうとしたときに小虎が呟くようにして言葉を発した。

「でも……襲ったのが人だとしたらおかしかったもん」

「小虎、お前まだ!」

「龍五郎君、聞いてあげましょう」

 丁奈の言葉に龍五郎はぐっと言葉を飲み込んだ顔をして、小虎のコーヒーを目の前のテーブルの上に置くと、小虎が続けた。

「私があの人のところに着いたとき、回りに誰もいなかった。人だったとしたらそんなに早く移動できないもん」

「そうなの龍五郎君」

 丁奈に聞かれた龍五郎は申し訳なさそうに。

「すみません……俺は足が遅いので、到着したときにはもう小虎が女の人を抱き抱えてましたから」

 ただ到着したときの様子は物取りには見えなかったか、と龍五郎は当時の状況を思い出してみるが、女性の持ち物が荒らされている様子も、着衣が崩れている様子もなかったなと思い出す……と同時に女性の首筋も思い出してしまい顔を赤くした。

「あら、どうして顔を赤くするのかしら」

「あ、いえ……確かに人が襲ったにしてはおかしな点があったなと」

「具体的に言える?」

「まず、物取りにしては女性の持ち物が荒らされている様子がなかった……というよりカバンをしっかり肩にかけたままだった気がします。次に暴行目的だとしたら着衣に乱れがあってもおかしくないのに、倒れたときにできた崩れくらいしかなかったんです。それと元々傷害目的だとした場合も、わざわざ首筋なんて狙いにくい場所に、それももっと難易度が上がる噛み付きみたいな傷跡を作るのは不自然かな、と」

 龍五郎は当時の状況を思い出しながら自分が思ったことを口にした。

 自分でもよく覚えているもんだな、と思いつつも口にしたことで改めてあの状況が異常だったということを再認識する。

「そうねぇ、人だったら愉快犯とか、模倣犯、それこそその行為自体に性的快楽を持ったりしてないとおかしいわね」

 丁奈の言葉に龍五郎は、むしろ人である可能性が高まってるような気がしてしまう。

 龍五郎が思った以上に動機なんて適当なものなのだろうか、丁奈さんがスラスラ予想できるものを挙げることができるというのはまだ高校生に成り立ての龍五郎にとっては驚きの出来事であった。

「もう、そんな顔しなくても、今私が挙げたような人は絶対数はそんなに多くないから可能性としては低いわよ」

 うふふという笑いと共に丁奈が言うと不思議と龍五郎は安心できた。

 しかしそれと同時にふとした疑問が心の中から沸いてくる。

「でもそれだとしたら……丁奈さんも人じゃないものが犯人だって言うんですか?」

 丁奈は人の犯行であることを否定した。

 そうなると犯人は人間ではない何かということになるわけで、龍五郎は息を飲んで丁奈の言葉を待った。

「さぁ、それはわからないわ。ただ昨日の私の言葉が小虎ちゃんを焚きつけてしまったことは確かだから……次からは私も同行させてもらうわね」

 龍五郎は今の丁奈の言葉の一部を、うまく理解することができなかった。

「え、今丁奈さんなんて言いました?」

「次から私も同行させてもらうわね」

 聴き直した龍五郎に対して、満面の笑みで丁奈は答えた。

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