1章 吸血鬼の噂

第1話 吸血鬼の噂・A

「ねぇ、丁奈さん吸血鬼の噂って知ってる?」

 小虎がカウンターに体を乗せるような勢いで丁奈に迫りながら話を切り出した。

 瞳を輝かせている小虎の様子をみて丁奈は目をぱちくりさせて、カップの水を拭きながら。

「藪から棒ね、吸血鬼ってあの美女の血を吸うっていう怪異のことかしら」

「そう、その吸血鬼です!なんでもこの街に居るっていう噂を聞いたんですよ!」

「あら怖い、でもまぁ私はきっと襲われないでしょうし大丈夫かしらね」

「こいつより丁奈さんのほうが危ないでしょ。後お客がいないからってカウンターに乗るなよ。あ、掃除やっときました」

「そう、ありがとう」

 外の掃除を終わらせた龍五郎がやれやれという顔で小虎に向かって注意しながら丁奈に報告をし、掃除道具をロッカーにしまった。

「なによ龍五郎、私は襲われないってこと?」

「そうは言ってなかったが……まぁそうじゃないか?」

 龍五郎の返事に明らかに不機嫌になる小虎を見て丁奈はくすりと笑いながら。

「あらあら、そんなこと言っちゃダメよ龍五郎君。小虎ちゃんは可愛いのだから、吸血鬼以外からも狙われちゃうかもしれないのに」

「えーこいつがぁ……」

「幼馴染だから見慣れてるだけよ。ほら、美人三日で飽きるって言葉もあるでしょう?龍五郎君は小虎ちゃんのことを見慣れてるだけだと思うわ」

 龍五郎の言葉にふくれっ面をしていた小虎は、丁奈の言葉に今度はご機嫌な笑顔になると。

「龍五郎は見る目ないのよ」

「小虎ちゃんもあまり調子に乗らないの。自信があるのはいいことだけれど自己評価が高すぎては、本来の魅力を軽減させちゃうからね……それで吸血鬼だったかしら」

 二人が言い合いを始めたら長引くということを、喫茶イーリスを始めてから短い間ではあるが丁奈は学習していたため、話題を元に戻す。

「丁奈さんも信じてるんですか、吸血鬼」

「あら、完全にいないと断言するよりは夢のあるお話じゃないかしら」

 丁奈の言葉に二人はずっこけるジェスチャーをしてから突っ込みをいれる。

「いや吸血鬼って言えば基本怖いものじゃないですか」

「そうねぇ、元はブラド伯の防衛策に取った焦土作戦や串刺しによる精神攻撃に負けた側が後に色々でっち上げたものから、創作上の怪物まで一通り知ってはいるけれど確かに小虎ちゃんの言うようにおどろおどろしい書き方をされているわね」

「じゃあなんで夢なんです?」

 純粋な小虎の疑問に丁奈は笑みを浮かべながら答える。

「だって、その噂の吸血鬼がそれら逸話通りとは限らないでしょう?ブラド伯だって元は名君で、無理な要望を跳ね除けて国を守るために過剰防衛をした結果ですからね」

「丁奈さん、歴史に詳しいんですね」

 今度は龍五郎が質問をした。

「詳しい……のかしら、よくわからないけれどブラド伯の件はたまたま知っていただけよ」

「それにしては詳しすぎじゃ……」

「概要だけだし、映画の題材にもされてた気がするわよ。史実を元にした内容だったから私は結構楽しく鑑賞させてもらったけれど……まぁ確かに興味がなければ調べたり見たりしないでしょうし、そうね、そういう意味では詳しいのかしら」

「……時々丁奈さんってすごく天然っぽいところありますよね」

「そうかしら?」

 うふふと笑う丁奈の表情は、冗談なのか真剣なのか判断に困るものだな。天然と言った龍五郎はもちろん小虎もそう思ったのだが、二人共苦笑をするだけだった。

「で、ですからね、私たちでその噂の真相を確かめたいと思っているんですよ!」

「どうして?」

 笑みを浮かべる丁奈の口調は、それはそれは純粋なものであった。

 無論丁奈でなかったにしても突然の小虎の宣言に対しては同じ言葉が返ってくることだろうが、直前に天然ということを言われていた丁奈だからこそ、二人は少し時間が止まったように言葉を詰まらせた。

「あ、あぁ、こいつ学校で妖怪だの怪異だのの噂を調査しようとかいう部活に所属してましてね……あぁでもまだ部活どころか同好会ですらなかったか」

「うっさい龍五郎、それと超常研究会だから」

「なるほど部活なのね、楽しそうねぇ」

「ちょっと止めてくださいよ丁奈さん」

「んーそうねぇ、龍五郎君の言うとおり女の子が一人で調査は危険だと思うわよ。吸血鬼ってことですからきっと夜、それも深夜にやるつもりなのでしょう?流石にそれは私としては止めなきゃいけないわねぇ」

「大丈夫です、私子供に見られたりしないので」

 そういう小虎は胸を張るようにして体を伸ばすと、確かに多くの人間が小虎のことを高校生……15歳だとは思わないことだろう。

 何せ轟小虎の身長は170cmを超えており、女性としてはかなりの長身なため小学生の頃からずっと大人に見られていた。

 小虎本人としては轟という苗字が悪いなどと言っているが、ただたんに活発な性格で高い運動量と多めの食事に合わせ、彼女の両親共に長身であったことから単純に遺伝である。

「名前は小さいのにな」

「うっさい龍五郎。お前はちっこいでしょうに」

「こら、二人共相手の特徴を言うのはダメよ。名前も特徴だからね、龍五郎君」

「「ごめんなさい」」

 あくまで笑みを浮かべた丁奈の言葉に、二人は声のトーンを下げつつ謝罪をする。

「はい、よろしい。でもこのままだと小虎ちゃん、忠告も聞かずに一人でやっちゃいそうねぇ……龍五郎君」

「はいはい、わかってますって……物心付いたときからこいつの思いつきとかには付き合わされてますから」

「はいは一回でいいのよ」

「……はい」

「ともかく、小虎ちゃんも夜に出歩くときは龍五郎君を頼ること、ね。いくら日本の治安がいいとはいっても絶対ではないのだから」

「はい!」

 小虎は元気な返事をしてはいるが、ボディガードに任命された龍五郎の表情は暗いままである。

 龍五郎は、先ほど小虎が『ちっこい』と言ったとおりに身長が低く、150cm程度。

 龍五郎としてはそんな身長差のある幼馴染と並んで歩くことに抵抗があるのは、この場にいる三人が全員が承知しているのだが、残念なことに常に暴走気味な小虎の制御ができる人間が龍五郎しかいないために仕方なく、いつもこの流れになるのである。

 最も、近所や学校では既に小虎の保護者として龍五郎が認識されていて、常にセットのような扱いをされるため龍五郎の思いはかなうことはないのであるが、それはまた別のお話。

「……あら、そういえば肝心の噂の内容を聞いていなかったわ。小虎ちゃんのことだからただ街にいるというだけではないのでしょう?」

「あぁそうでした、それがですねなんでも怪しい取引きをしているだとか、山を所有しているだとかで……」

 怪しい取引きが、本当に怪しいものならば既に警察が動いているのでは。丁奈はそう思いつつも小虎の話の続きを待つ。

 丁奈がニコニコ黙っていることで、小虎のほうも会話を続ける。

「でも中には暗がりで襲われたーなんて話もあるみたいで……」

 小虎の言葉に合わせるように、店内に設置されていたテレビのニュースで女性キャスターが原稿を読み上げた。

「最近、平和な街を脅かす連続通り魔事件は、連日による警察の捜査にも関わらず痕跡をつかめずに……」

「これ、これです!襲われた人が言うには首筋に丁度大人の人の犬歯の幅くらいになる二箇所から血がいつの間にか出ていて、人によっては立ちくらみを起こすほどに血を失っているらしくって」

「それは普通に事件だから、警察の人に任せなさい……」

 丁奈は呆れた口調で言うものの、実際に事件として警察が動いていることは今テレビのニュースが証明してくれている。

 最も、その警察の捜査は犯人どころか痕跡すら発見できずにいるという報道内容ではあったが、丁奈からすればそこは重要ではなく、万が一小虎が深夜に出歩いたとしてもすぐに警察の人間が発見して保護してくれるだろうという一種の、日本の治安維持機構に対しての信頼が重要であった。

 過度に期待しすぎるものでもないが、龍五郎だけでは小虎を御しきれないだろう予想もできるために、そこに多少なりに安心感が得られるのは重要なのである。

「でも他に人の血を吸う生物なんているんです?」

「大量にいるわよ。ヒルやコウモリ、それこそ蚊だってそうでしょう?」

「でも人の犬歯くらいって……」

「コウモリなら大きさ次第ではありえない話ではないでしょうに、それに小虎ちゃんの得意分野にも確かいたはずよ、私は居たかもという記憶しかないのだけれど」

 丁奈としては悪鬼羅刹どころか妖怪というものに対してそれほど興味を持っていない、歴史物でそういった類のモチーフがいた場合には少し調べたりもするが、それこそ図書館に行ってまで調べるというよりもインターネットで検索し、その検索結果の一頁目を見て、簡単に調べたら終わりである。

 今回の件はブラド伯の映画を見た際に吸血という単語で調べたことでそういった存在がいるというような文脈を見たと記憶していた程度のもので、そうなれば超常研究に没頭している小虎のほうが専門となるわけだ。

「むぅ確かに飛倉とびくらとか、そんなのが居ますけど……あれは獲物が死んでもお構いなしだった気がしますよ」

 気がします。と言われても丁奈はその飛倉の知識がないため笑顔で相槌を打つくらいしかできない。

「いや丁奈さんはそれ知らんし。というか俺もそんなの居たのかよとか、即答できるお前にドン引きだったりで忙しいんだが」

「あんたも知ってるはずじゃない、部活の時にちゃんと資料渡したでしょ?」

「いや見てねぇよ……今日渡されて、しかもすぐにバイトだったんだから」

「来る最中に目を通しておきなさいよ!」

「ダメよ小虎ちゃん、歩きながらなんて危ないじゃない」

「ごめんなさい……」

 そこで少し会話が途切れると、玄関ベルの音が店内に鳴り響いた。

「「「いらっしゃいませー」」」

「あぁ今日は皆いる時間に来れたのか、マスター、いつもの」

「はーい、アッサムにマーマイトでよかったかしら」

「いやマーマイトはホントやめて?角砂糖2個よ」

 気軽な口調で注文し、慣れた足取りでカウンター席に座った客は、薄い青髪に赤い瞳という特徴的な容姿を持った女性で歳は丁奈と同じくらいのようである。

「ルインさん、イギリス出身ではないんだね、メモメモ」

「まだ私の出身地当てしてたの?」

「勿論!失礼なのは承知してますが地毛で青い髪っていうのは珍しいですからね」

「いいわよ言われ慣れてるし、何より自分で自覚しているのだから」

 青い髪、というのは自然界において確認されたことのないものである。

 普通であるのならばヘアカラーやカツラであると認識するものであるが、喫茶イーリスの常連であるこのルインという女性は地毛であることを医学的に証明されており、一時期は様々な研究機関でDNAから調べられたらしいが通常のホモサピエンス種と変わらないという結論が出された後は落ち着いた日々を送っていると、この三人に話している。

「ちなみに一番のヒントはDNAよ。結構大々的に研究されたから、DNAデータでどの人種かっていうのは一発だから」

「ルーマニアだったりして」

 龍五郎の何気ない一言でルインは目を大きく開いて。

「正解、よくわかったわね。まぁルーツがそこにあるってだけで、私自身は日本育ちなのだけど」

「いや当てずっぽうだったんっすけど……少し前にブラド伯がどうのとか話してたんで」

「ん、なんで?」

「ここ最近、学生の中で流行っている噂があるんですって、吸血鬼がいるって。はい、アッサムとお砂糖2個」

「ありがとう丁奈。へぇ、そんな噂が流行ってるのねぇ。学生っていつの時代もそんなものなのかしら」

 ルインは注文した紅茶に砂糖を入れてマドラーで撹拌しながら昔を懐かしむような目で話を聞く。

「それで調べようとしても皆が止めて来るんですよ!」

「いや普通は止めるでしょ、妖怪だの怪物だの以前に危ない人が徘徊してる可能性が高いんだから。実際のところ大抵の妖怪よりは現実の人間のほうが実害の意味では危ないし」

 そういうルインの瞳は遠くを見つめるようだった。

「丁奈さん、ルインさん昔何かあったんですか?」

 その様子を見た龍五郎が、その昔を知っているだろう丁奈に対して小声で聞くと。

「あまり人の昔を詮索するのは関心しないけれど……そうねぇ、ルインが色々大人の人に調べられたのは知っているでしょ?あの時に誘拐されたりして、一時期私にすら心を閉ざしていたから、そのときのことを思い出しているんじゃないかしら」

 イーリスが開店してから毎日来店していたルインが自ら話したことではあったので、ルインが昔、その髪の色のことで色々と調べられたということは知っていたが誘拐されたことまでは龍五郎は知らなかった。

 考えてみれば自分が誘拐された過去など、誰が好き好んで話したがるものだろうか。

「えっと、その……」

「今はルインちゃんもあまり昔のことは引きずらなくなったけれど、あまり思い出させないであげてね。あ、龍五郎君は休憩入って大丈夫よ、ルインちゃんが来たってことはしばらく暇になると思うから」

「……はい、じゃあ休憩入らせてもらいます」

 龍五郎は丁奈の指示に従って休憩室に入ると先ほど話題にあがった小虎の作った資料に目を通す。

『飛倉、またの名を野衾のぶすま。ムササビのような姿をしていると言われ実在のモモンガやムササビを指して野衾ということもある』

「……なんというか、あいつにしては硬い文章だな。またウェブページでも丸写ししたか?」

 龍五郎の考えは正しく、小虎はインターネット上の資料ページを必要そうな場所を書き出しただけの資料である。

 しかしながら龍五郎は読み進めると同時に、ふと違和感を思えた。

「野衾は木の実や火を食べ、動物の生き血を吸う……それでコウモリが転じた姿とも言われるねぇ」

 木の実に関しては普通のムササビやモモンガと同じなのでいいとして、火を食べることは今回の件には関係なさそうなので除外していいにしても……。

「コウモリに動物の生き血……となればこれは」

 まるで今回の事件の被害者の負った傷口にそっくりだな。

 龍五郎はそう呟いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る