崔暹②君臣コントDE死亡コース。

御史中尉ぎょしちゅういに任じられてスタンバイ完了、

崔暹さいせんの歴史上での役回りスタートです。




世宗欲假暹威勢。

諸公在坐、令暹高視徐步、

兩人掣裾而入、世宗分庭對揖、

暹不讓席而坐、觴再行、便辭退。

世宗曰、

「下官薄有蔬食、願公少留」。

暹曰、

「適受勑在臺檢校」。

遂不待食而去、世宗降階送之。

旬日後、世宗與諸公出之東山、

遇暹於道、前驅為赤棒所擊、

世宗回馬避之。


世宗は暹に威勢を假さんと欲す。

諸公の坐に在り、

暹をして高視徐步せしめ、

兩人は裾を掣きて入り、

世宗は庭を分ちて對揖す。

暹は席を讓らずして坐し、

觴の再行するに、便ち辭退す。

世宗は曰わく、

「下官は薄か蔬食あり、

 願わくば公は少しく留まれ」と。

暹は曰わく、

「適々臺に在りて檢校せよと勑を受く」と。

遂に食を待たずして去り、

世宗は階を降りて之を送る。

旬日の後、世宗は諸公と出でて東山に之き、

暹に道に遇い、前驅の赤棒の擊つところと為り、

世宗は馬を回して之を避く。



さて、

冒頭に述べました通り、

崔暹の属する博陵はくりょう崔氏さいしは漢人名門、

ただし、

北魏皇族と通婚できる清河せいか崔氏さいしほどの

圧倒的名門には及ばないのであります。


その崔暹が御史中尉となったワケで、

つまり、超名門たちからナメられる。

それはもう激しくナメられるのです。

そこで、

高澄こうちょうは崔暹の威厳の水増しを企てる。


手始めにやったことは、

ぎょう中の貴人が集合した宴席において

崔暹はふんぞり返ってゆるゆる歩き、

高澄とともに宴席の堂前に現れます。


分庭ぶんてい對揖たいゆう」が分かりにくいですけど、

分庭ぶんてい亢禮こうれい」は対応の礼を行う意です。


そこから想像するに、

宴席の主宰者である高澄は主人の座、

崔暹は主人と対等の賓客の座に就き、

主客対等の礼を行ったのでしょうね。


つまり、

高澄は居並ぶ貴人の前で崔暹だけを

対等の立場の者として扱ったワケよ。

で、

崔暹は高澄に着席を促されると、

辞退もせずに先に着席しました。


儀礼的に考えると、

客は辞退して主人に着席を薦めます。


無作法、というよりも不遜ですね。

それでも、

高澄は当然の顔で澄ましています。


「崔暹、高澄に超優遇されてんじゃん」


当時の宴席は最初にお酒が回され、

それが終わってから食事みたいで、

まずは盃が宴席を回るワケですね。


3周くらいすると聞いたような、

そうでもなかったような、失念。


その盃が2周したあたりで崔暹が辞退。

これは盃を辞退したのではありません。


要するに、中抜けしようとしたのです。

高澄

「いささか粗食そしょくの準備がございます。

 しばらく席にてお待ち下さい」

崔暹

「勅命にて御史台ぎょしだいに仕事があります」

崔暹は高澄の懇ろなお誘いを振り切って

宴席を後にし、高澄は堂を下りて見送る。


このあたりは『儀禮ぎらい公食大夫禮こうしょくたいふれい第九を

必死こいて読むと詳しくなれますけども。


ヤル気なし、アレ難しいし。

テキトーなのがウリなんで。


そんな感じで小芝居を打ったのでした。

うーん、効果はあるんでしょうけどね。


なんかコントみたい。


さて、

そのコントから10日ばかり過ぎました。

高澄は貴人たちと鄴の東山に物見遊山、

その途上でまたも現れる崔暹と御一行。


いやますコント感。


北魏の時代、

御史中尉が外出する際の先頭は

赤棒を持った兵卒が務めます。


なんで赤棒を持っているかと言うと、

ジャマするヤツをブン殴るためです。


高澄たちの行列の先頭はイキり、

崔暹の行列を無視しようとする。

当然、

赤棒がジャマした者をブン殴る。


高澄はそれでも怒ることなく、

道を変えて崔暹の行列を避けます。


他にも色々とやったんでしょうけど、

これで崔暹は北魏皇族や漢人超名門、

高歓の古馴染からも一目置かれるよう

立場が変わっていくのでありました。




暹前後表彈

尚書令司馬子如及尚書元羨、

雍州刺史慕容獻、

又彈太師咸陽王坦、

并州刺史可朱渾道元、

罪狀極筆、並免官。

其餘死黜者甚眾。


暹は前後に表して

尚書令の司馬子如、及び尚書の元羨、

雍州刺史の慕容獻を彈ず。

又た太師の咸陽王の坦、

并州刺史の可朱渾道元を彈じ、

罪狀は筆を極め、並びに官を免ぜらる。

其の餘の死黜さる者は甚だ眾し。



それだけ仕込みをされた崔暹、

当然、

崔暹の弾劾の裏には高澄、引いては

高歓がいると考えないといけません。


崔暹が弾劾した主な人々がこちら。

 元坦げんたん:北魏宗室

 元羨げんせん:北魏宗室

 司馬子如しばしじょ:高歓の古馴染

 可朱渾道元かしゅこんどうげん:高歓の古馴染

 慕容獻ぼようけん:不明、鮮卑武人?

北魏の宗室と高歓の古馴染あたりも

容赦なく弾劾されているのですよね。


他にも多く弾劾されており、

死罪や免官が多数出ました。


そして、

行ったのはあくまで崔暹、

高歓と高澄は無傷ですね。




高祖書與鄴下諸貴曰、

「 崔暹昔事家弟為定州長史、

 後吾兒開府諮議。

 及遷左丞吏部郎、

 吾未知其能也。

 始居憲臺、乃爾糾劾。

 咸陽王、司馬令並是

 吾對門布衣之舊、

 尊貴親昵、無過二人。

 同時獲罪、吾不能救。

 諸君其慎之」。


高祖は書して鄴下の諸貴に與えて曰わく、

「崔暹は昔、家弟に事えて定州長史と為り、

 後に吾が兒の開府諮議たり。

 左丞吏部郎に遷るに及び、

 吾れは未だ其の能を知らざるなり。

 始めて憲臺に居り、乃ち爾く糾劾す。

 咸陽王、司馬令は並びに是れ

 吾が對門布衣の舊、

 尊貴親昵、二人を過ぐるなし。

 時を同じうして罪を獲るも、吾れ救うあたわず。

 諸君は其れ之を慎しめ」と。



元坦と司馬子如が弾劾されると、

高歓は鄴の貴人に書状を送ります。

「崔暹はかつて弟(高琛こうちん)の長史、

 その後、

 我が子(高澄こうちょう)の諮議参軍しぎさんぐんとなった。

 左丞さじょう吏部郎りぶろうとなっても

 吾れはその能力に気づかなかったが、

 今や御史として厳しく弾劾している。

 元坦と司馬子如の二人は我が古馴染、

 身分も親しさも二人を越えるものはない。

 同時に弾劾されても我も二人を救えない。

 諸君も行いを慎め」


これがつまり、

高歓が崔暹に期待したことです。


以下と合わせて読むと高歓の意図が

よく分かると思われます。


杜弼(北魏・東魏・北齊)

「文官in汚職やり放題パラダイス」


高歓にとっても悩みのタネだった

勲貴の横暴と汚職へのアプローチ。


東魏の綱紀粛清を高歓や高澄ではなく、

崔暹の手でやらせようとしたワケです。




高祖如京師、

羣官迎於紫陌。

高祖握暹手而勞之曰、

「往前朝廷豈無法官、

 而天下貪婪、莫肯糾劾。

 中尉盡心為國、不避豪強。

 遂使遠邇肅清、羣公奉法。

 衝鋒陷陣、大有其人、

 當官正色、今始見之。

 今榮華富貴、直是中尉自取。

 高歡父子、無以相報」。

賜暹良馬、使騎之以從、

且行且語。

暹下拜、馬驚走、

高祖為擁之而授轡。


高祖は京師に如き、

羣官は紫陌に迎う。

高祖は暹の手を握りて之を勞いて曰わく、

「往前の朝廷に豈に法官なからんや。

 而して天下の貪婪、糾劾を肯んじる莫し。

 中尉は心を盡くして國の為にし、

 豪強を避けず。

 遂に遠邇をして肅清、

 羣公をして法を奉らしむ。

 鋒を衝きて陣を陷るは、

 大いに其の人あるも、

 官に當りて色を正すは、

 今や始めて之を見る。

 今、榮華富貴、

 直だ是れ中尉は自ら取れ。

 高歡の父子は以て相い報ゆるなし」と。

暹に良馬を賜い、之に騎りて以て從わしむ、

且つ行き、且つ語る。

暹の下拜するに、馬は驚き走れり。

高祖は為に之を擁して轡を授く。



さて、

久々に晋陽から鄴に高歓が来ました。


当然、朝士はこぞって紫陌橋しはくきょうまで

出迎えに行ったのでありますが、

高歓は崔暹の手を執って労います。

「朝廷に法官がいなかったわけではない。

 しかし、

 汚職や不正を弾劾できなかった。

 中尉は国のために尽力して

 豪族や強者さえ避けない。

 遂に遠近は静粛、

 みなが法に従うようになった。

 武人など掃いて捨てるほどいるが、

 襟を正して官職に務める者は

 今はじめて目にした。

 栄華富貴は中尉の望むままにせよ。

 我が父子はそれより報いようがない」

そう言うと、連れてきた良馬を与え、

馬を並べて鄴に向かったのであります。


崔暹が馬から降りて高歓を拝すると、

乗っていた馬が驚いて逃げ出します。

高歓は自らその馬の轡をとらえると、

崔暹に渡してやるまでしたのですね。


コントの第二幕。

そして、

コントはさらに続きます。




魏帝宴於華林園、

謂高祖曰、

「自頃朝貴、牧守令長、

 所在百司多有貪暴、

 侵削下人。

 朝廷之中有用心公平、

 直言彈劾、不避親戚者、

 王可勸酒」。

高祖降階、跪而言曰、

「唯御史中尉崔暹 一人。

 謹奉明旨、敢以酒勸、

 並臣所射賜物千疋、

 乞回賜之」。

帝曰、

「崔中尉為法、道俗齊整」。

暹謝曰、

「此自陛下風化所加、

 大將軍臣澄勸奬之力」。

 世宗退謂暹曰、

「我尚畏羨、何況餘人」。

由是威名日盛、內外莫不畏服。


魏帝は華林園に宴し、

高祖に謂いて曰わく、

「自頃の朝貴、牧守令長、

 所在の百司は多く貪暴あり、

 下人を侵削す。

 朝廷の中に心を公平に用い、

 直言彈劾して親戚を避けざる者あらば、

 王は酒を勸むべし」と。

高祖は階を降り、跪きて言いて曰わく、

「唯だ御史中尉の崔暹一人あり。

 謹みて明旨を奉じ、敢えて酒を以て勸め、

 並びに臣の射るところの賜物千疋、

 乞うらくは回して之に賜わらん」と。

帝は曰わく、

「崔中尉の法を為すや、道俗齊整たり」と。

暹は謝して曰わく、

「此れ自ら陛下の風化の加うるところ、

 大將軍、臣澄の勸奬の力ならん」と。

世宗は退きて暹に謂いて曰わく、

「我れも尚お畏羨せり、

 何ぞ況んや餘人をや」と。

是れ由り威名は日に盛んとなり、

內外に畏服せざるなし。



舞台は東魏帝も臨席しての

華林園かりんていでの宴席であります。


東魏帝

「この頃の朝貴や地方官、有司には

 横暴貪欲なものが多く、

 民を苦しめているという。

 朝廷に公平で直言弾劾するに

 親戚さえも避けない者がいれば、

 王は酒を勧めよ」

高歓

「ただ御史中尉の崔暹のみです。

 勅命を奉じてこの者に酒を勧めます。

 また、願わくば臣が賜った絹千疋を

 崔暹に下されますよう」

東魏帝

「崔中尉の着任以来、

 綱紀が引き締まった」

崔暹

「すべて陛下の教化によるところ、

 また、

 大将軍と臣澄の力でございましょう」


大将軍は高歓、臣澄は高澄です。


コントを東魏帝および百官の前で

しつこくやって見せたワケですよ。


高歓としてもこれが最善策であると

考えてのことだったのでしょうね。

しかし、

なんというか、みみっちくない?


コントが終わると高澄、

「我も羨ましく思ったのだから、

 他の者など言うまでもない」


はいはい、そうですね。


いずれにせよ、

崔暹は厳しく弾劾するより道がなく、

しかも、

弾劾の責を独り負う立場にあります。


北魏宗室や高歓の古馴染連中を弾劾しても

高歓と高澄に矛先が行かない便利ツール。


それより崔暹の行き方はなくなった、

そういう見方もできるのであります。


なんというか、このコースはマズイ。

使い捨てる気満々じゃないですかー、

ヤダー。

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