さいご

 あれから一年が経った。たしか平成最後のどうだこうだとうるさい年だった。二年生は一番楽だよ! だとかいった甘い文句はもう信じない。落とした必修を回収しながら、私はあいも変わらず苦しみながら日々を送った。しかし、少し心境の変化もあった。何かを今変えなければならない、変えなければ一生この生活、一生苦しいままだ、と思うようになった。

 しばらく私は、楽しいもの、面白いものを探した。他人に好きなものは何かと聞いてそれを試してみたり、世の中で面白いと喧伝されているものをたくさん知りに行った。

 どれも満足することはなかった。バターを染みこませた綿のような味がした。やがて、私は既に知っている喜びを探しているのだと気付いた。目の前のものを楽しんでいるようでも、心のどこかであるものを探している。

 兄弟と馬鹿騒ぎしながらゲームする時間が好きだった。何より好きだった。それさえあれば学校も人間関係もなんだってよかった。

 しかし、その時間はどんどん減っていった。卒論・研究・就職……。兄はどんどん家にいる時間がなくなった。私も大学生になり、時間は減った。対戦機会は月に一度もなくなった。


 やがて私は楽しいこと探しをやめた。私の楽しいことは過去にある。私の人生は公比が十分の一の等比級数のようなものだ。いくら積み重ねたって過去を越えられはしない。項はどんどん小さくなり、やがて無視できるほどの楽しみになる。

 私は何もしなくなった。余った時間は全部ツイッターをしゅぽしゅぽして潰した。人生のすべてがどうでもよく感じた。自分一人人生のどん底を生きてるみたいに感じて、事あるごとに悲劇のヒロインを気取った。


 そんな精神状態でも単位はなんとか回収することができた。二年生は一年生と比べれば時間に余裕があり、健康で文化的な最低限度の生活が保障されていた。




 やがて年が明けた。成人式があった。更生した友人、ヤクザっぽくなった友人、軍人、たくさんの変わらない旧友にあった。夕方、特に仲の良かった二人と、もう一人とマクドナルドで過ごした。スーツを着てお揃いの手提げをもったへんてこな四人組を、マクドナルドは百二十円で二時間も受け入れてくれた。


 二人は窯業高校へ進学し、もう就職して二年目だった。工場勤務の二人は、社会の歯車として毎日同じ作業を繰り返すことに嫌気がさしているようだった。労働環境も悪く、入社した次の月から残業まみれ、繁忙期は毎日九時まで残業したと笑いながら話してくれた。

 私は自分の二年間を省みて、恥ずかしくなった。ぜんたい私の二年間はこれほど過酷だったろうか。いくら化学実験があったといえ、いくら土日に課題が食い込むといえ、それが彼らほど過酷だったろうか。やろうと思えばいくらでもできたのではないか。同じ境遇で楽しんでいる人などたくさんいたではないか。きっと辛いと思うから過剰に辛いのだ。心にもう一度、灯がともった気がした。

 もう一人はとばっちりを受けて半ば連行されたようなものであったが、快く同行してくれた。彼は偶然にも私と同じ大学の大学生になっていた。また会おう、と連絡先を交換して別れた。別れ際には喉元で止めてしまったが、付き合ってくれてありがとう。


 自分の生活を振り返った。理想と比較した。私は高望みしすぎだ。芽衣の物語は馬鹿げている。勉強してサークルで遊んで一人でもいろいろする、なんて無理に決まっている。人がやれることというのはものすごく近くに限度がある。高度な勉強をしている学生も、どこかほかの勉強をおざなりにしているものだ。

 大学生五分の二説というものを知った。勉強・バイト・サークル・遊び・恋愛のうち同時期にやれるのは二つ、という説だそうだ。全くその通りだと思った。いや、もしかしたら一つだってままならないかもしれない。現に私は一つだってできているだろうか――


 何か一つ絞ろう、と思った。友達と話して、音楽でもやってみようか、と発起した。何をとっかかりにしよう、MIDIキーボードでも買おうか、と調べていたはずなのだが、気づいたらパソコンを前に、朝から晩まで文章を書いていた。自分の分身のような芽衣と、メイダインという不思議な生物の二人の物語。その物語はやがて「私」の体験談へと書き換えられた。自分でもよくわからないし、恥ずかしいように思ったけれど、書いてる間は、なんだか、とても、充実した。

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