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二人を乗せた電車は西へまっすぐ進む。東山線は名古屋の東西を結ぶ主要な路線で、多くの学生や社会人が通勤通学に利用している。名駅と栄を繋いでいるだけあって乗車客はめちゃめちゃ多く、朝は二分に一本のペースで発車しても捌き切れていない。
「部活とかサークル、考えてる?」
「考えてない」
芽衣は少し間をあけて答えた。そういう話は恥ずかしくてあまり好きじゃない。横の人に、ちらりと見られた気がした。
「地獄の細道って通ったでしょ? このサークル雰囲気良いなーとか、なかった? 」
地獄の細道というのは芽衣の通う名治大学、通称「名大」の名物で、新入生たちは入学手続きの後にこの道を通ることになる。部活動と大学公認のサークルが机を並べて細い道を作っており、合格者たちは激しい勧誘を受けながらその間を縫うように通っていく。芽衣は通る前こそ全力疾走で駆け抜けてやると意気込んでいたが、入口に並ぶころにはすでに気力は萎えていて、気付けばヘコヘコしながら両手いっぱいにビラをもらっていた。家に帰って、ビラの画像に「戦利品」とコメントをつけてツイッターに投稿したが、それは精一杯の強がりだった。九十分かけて細道を抜けたときにはくたくたで生きる気力も失われていた。
「まあ、いくつか」芽衣は小さく答えた。
「うん、それでいいよ、新歓とか説明会とか行ってみて、良かったら入りゃー」
りゃー、というのは名古屋弁で、例えば「入れば」だったら「入りゃー」になる。ダインは名古屋育ちらしい。深入りされなそうだ、と芽衣が安堵していると、それを見抜いたのか、ダインは世話を焼き始めた。
「音楽系とかどうだ。軽音とか。ザ・大学生って感じで」
「バンドはなあ、僕は陰の中の陰だし。ライブとか怖いし」
ダインがぷぷっと笑う。
「なんだよそれ、じゃあクラシックか? たしかそんなサークルもあったぞ。ピアノ愛好会なんてのもあったな。そういうのはどうだ? 」
クラシックか、と考える。たしかにけっこういいかもしれない。と思ったが、すぐに考え直して「いやでも、そういうのって怖いするし。みんなすごいそうだし」とかもごもごくねくね変な言葉を並べた。するとダインは急に真面目な顔をして言った。
「それを言ったらどこにも入れなくなるぞ。上級者の溜まり場はあるかもしれないけど、それ以外はきっと大丈夫さ」
車内が急に暗くなる。列車が地下トンネルに入ったのだ。東山線は藤が丘ー上社間が||高架線を走る地上区間で、上社を過ぎて一社の手前あたりで地下へと入っていく不思議な構造をした地下鉄だ。おかげで芽衣は小さいころ、地下鉄というものが分からなかった。幼いなりに考えた末に、ちかくにある名鉄瀬戸線と見比べて、地上を走るのがふつうの電車、高架橋を走るのが地下鉄、と納得をした。
「運動部はどうだ。陸上部とか。走るのは好きか? 」
「好きだけど、走るだけってのもなあ」
ダインが生意気だな、という顔をした。
「陸上は走るだけじゃないぞ、やり投げに、高跳びに、……。きっと人生やり投げとかもある。走り身投げにビル高跳びとか、あと走るにしたって人生マラソンに輪廻転生リレーとかもあるかもしれない」
「無えよ」
芽衣が顔を覗くとダインがおどけた顔をしてみせた。二人は顔を見合わせて、あまりのくだらなさにひとしきり笑った。乗り合わせた人にジロジロ見られて、芽衣はちょっと恥ずかしかった。
「まあ、とにかく、サークルには入っておいた方がいい、友達もできるし。大学では高校と違ってじっとしてたら友達はできないからな」
「なるほど」
「まあ、高校でもできなかったけど」
「あ、それは、ご愁傷様や」
反抗したくて言ってみたが、傷を負っただけだった。左側の人にちらり、とこちらを見られてさらにつらくなった。
「ねえ、さっきから周りの人がこっち見てる気がしない? 」
芽衣はダインに、顔を近づけて小さめの声で言った。
「そりゃ、ぼくは君以外には見えてないからね」
「えっ」
「だから君は一人で喋って笑うヤバいやつだと思われてるよ」
メイダインがいたずらっぽく笑った。
「えっ、いや、えっ、えっ」
芽衣は混乱してえっえっと言い続けるえっえっロボットになった。迂闊だった──。こんな妖精みたいな生物がいるんだ、見えない設定があったっておかしくない。完全に盲点だった――。真っ赤になった顔を見られないように、窓の方を向いてうつむいた。
列車が揺れて、ガタガタと音を立てる。ダインは何回も話しかけたが、電車を降りるまで芽衣は一言も答えなかった。
本山で名城線に乗り換えて、一駅だけ乗る。明治大学駅に着いた。この駅は大学のちょうど真ん中に位置していて、通学にはとても便利だ。ダインは三番出口の方へ用事があるらしく、芽衣とはここで別れた。芽衣は一番出口を出てすぐ、全学教育棟まで駆けていった。
C15教室は一階のいちばん手前の教室だ。芽衣はちらと周りを見てから、ドアのガラス部分を覗いて中の様子を伺った。後ろの方に人が座っているのが見えた。C15講義室のドアをそっと開ける。時刻は九時八分、実に二十分強の遅刻だ。
「おい、なんだね君は」
後ろの方で空いた席はないかと探していると、強い口調で咎められた。講師と思われる人の目が芽衣を捉えている。芽衣は静まり返った教室に責められているように感じた。
「受講登録してあるのか? 君は? 」
講師の鋭い声に、芽衣はたじろぎながら答えた。
「あ、はい、たぶん……」
「じゃあ座りなさい、ここ空いてるよ」
講師は前から二番目の席を指さした。はあ、もう……。
芽衣は仕方なくそこへ座った。大学って怒られるんだな、と思った。聞こえないように小さく、空気を揺らさないほどのため息をついた。
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