GoldenWeek


 ゴールデンウィーク。大学生活は順調だった。友達はできるか不安だったけど、なんとかなった。体育をきっかけに理学部の子と仲良くなったし、中国語では後ろの席の子がペンを忘れて、貸したのをきっかけに仲良くなれた! 

 サークルもだいたい決まった。四月のはじめ、全学教育棟を出たときに弦楽器の音が聞こえた。見ると、何もない通路の脇で数人の演者が楽しげに音楽を奏でている。演奏に聞き惚れて、終わった後も目の前でぼうっと立ち尽くしていたら、踏み出さないと始まらないよ、とメイダインが背中を押してくれた。おかげで、くねくね挙動不審ぎみになりながら、あっあの、新歓っていつやりますか、と声をかけることができた。そうしてギターアンドマンドリンサークルに入ることにした。マンドリン、というのはよくわからなかったが、ヴァイオリンっぽいギターのようなもの、と説明された。


 軽そうなテニスサークルにも入った。大学のテニスサークルというとよからぬ噂が多いが、今のところはそういうことはなさそうだ。

 勉強も順調で、というか楽で、すごく時間が取れるようになった。今はまだ高校の範囲から抜け出ていないからかもしれないけれど、それでもこれはすごい! サークルに行きながら家でゲームする時間も十分とれそうだ。

 芽衣はゲームが大好きで、というかある対戦ゲームが大好きで、時間があるものなら一日中でもやっていた。それは芽衣が生まれた二年後に発売された古いゲームで、続編も出ているのだが、どうにもそれが一家の性に合うらしく、三男と、時には次男とバカみたいにはしゃぎながら遊んだ。(芽衣は四男だ。)二年ほど前の芽衣の熱中ぶりは特にすさまじく、一家の最弱からぐんぐんと成長して、いつのまにか一番強くなっていた。大学生になって、それでは飽き足らず、そろそろオフ会――地域のゲーム好きが集まる会――に参加しようかと考えていた。

 今はゴールデンウィーク初日。少し遅いけれど、友達と日帰り旅行にでも行こうかと芽衣はラインで話していた。名古屋で出かけるところはあまりないけれど(名古屋はゴミ)、新幹線を使えば京都・大阪くらいは行ける。ナガシマへ車で行こうという話は、誰も免許を持ってないからと無しになった。


 芽衣の部屋の扉がガラガラと空いて、ダインが入ってきた。この妖精は常識がないのか、いつの間にか家の中まで勝手に入ってくるようになった。ダインは勉強机にちょこんと座って、芽衣に話しかけた。

「さいきん調子はどう? 」

「良いよ。心配してたのがバカみたいだ。大学は理想郷だよ、聞いてた通りさ」

「そっか。それはよかった。」

 うんうん、と頷いてから、一呼吸おいて、

「本当にそう? 」

 と、ダインが少しかわいそうな顔を向ける。芽衣は怪訝な顔を返した。

「嘘なんてつかないって。楽しいもんは楽しいよ」

 楽しそうなのは結構だけど、とダインは静かに芽衣に近づく。

「そろそろ現実を見た方がいいと思う」

 芽衣は一瞬固まった、ような気がした。視界が切り替わって、誰かが窓の外を見上げたような気がする。青空と雲が、たぶん見えた。顔を伏せると世界はもう一度動き出した。

「レポートとか? まあまだ一週間あるし大丈夫っしょ」

「そう。レポートもそうだけど」

「とりあえず、一週間はない。キミの休みは明日までだし、そろそろその妄想をやめた方がいい」

「まだ続けたいなら、今夜まではいいけど」

 再び視界は切り替わり、今度ははっきりと白い天井を捉えた。夢心地の意識がだんだん現実に引き戻される。

 まだ続けたいなら、今夜まではいいけど──、ダインの言葉を頭の中で反復する。

 私は仰向けになった。大きく息を吸って、いや、もういい、と思った。そろそろ現実を見よう。本当の私、、、、は芽衣とは正反対だ。もう休みも終わりが近い、ゴールデンウィークの最後から二番目の日にベッドの上で寝転がって、芽衣だのメイダインだの、わけのわからない妄想にふけっている。サークルには入っていないし、友達もいない。ひとりぼっちだ。はじめは楽しかったこの妄想にも、正直うんざりしてきた。


 どこから話そうか。

 大学のはじめのあの日、本当は何もなかった。遅刻はしたが、それだけだ。それ以降も、とくに代わり映えのしない日常があった。その日常は今日まで続いている。

 友達はいない。体育で話した理学部の子とはそれっきりだし、中国語の子はペンを貸したものの、うまく言葉が発せないまま終わってしまった。席が後ろだからまだチャンスはあるけれど、自分から話しかけられるとは思えない。サークルはいくつか迷ったものの結局怖くて入らなかったし、勉強も楽なんかじゃない。高校よりは大変だ。

 大学では自分から行動しないと何も起こらない。本当にその通りだった。何回かあったチャンスも、自分になど拾えなかった。踏み出せない自分のせいだって分かっている。でも、内気な弱虫には友達さえ許されないというのなら、それはあんまりだ。

 せめて背中を押してくれる人がいたら、とメイダインなんてものを想像した。でもそんな都合のいい生物は、いない。いるわけがない。クマが宙に浮くわけがないし、誰かからしか見えないわけもない。そんなものは全部私の想像で、妄想で、願望だ。弱い自分が憎い。

 でも友達だとかサークルだとか、それもどうでもよくなってきた。勉強が思いのほか大変だったからだ。大学は人生の夏休み、という言葉があるけれど、そんなことは全然なかった。一コマ九十分の授業が週に十八コマある。一日あたりたったの五時間半、授業を受けるだけじゃないか、とはじめは思っていたが、なにしろ内容量がとてつもなく多いし、課題だって出る。家に早く帰れても、疲れてちょっと寝る。決して楽ではないな、と理解するのに二週間もかからなかった。

 そうなってくると、ノンサー・ノーフレンドは利点になる。自分の時間が作りやすいのは嬉しい。友達がいないのには慣れているし、べつに悪いことばかりじゃない。


 でも、嫌なことは他にあった。大学は理想郷ではなかった。

 大学がはじまってから、二週間を終えたころだった。それは確信に変わった。違和感はいくつもあったが、いちばんはじめに出会ったものは、時間割だった。時間割には自由などなかった。工学部の一年生は必修だけで自動的に埋まってしまうし、電情に至っては二年生もほぼすべて必修だけだ。聞いてた話と全然違う! しばらくして、高校教員には工学部卒がいない、ということに気付いた。理学部だとか教育学部はきっとさぞかし選択科目が多いところなんだろう、と思うことにした。

 しかし、その講義も決してつまらないわけではなかった。なかには教科書を黒板に写すだけの人も何人かいたが、それでも教科書を読むと面白い世界が広がっていた。とくに離散数学は格別だった。これは一年前期の唯一の専門科目で、コンピュータの理論に関係するらしい。まだ集合論をやっているだけだが、これが面白かった。

 文系基礎や文系教養といったものも面白かった。マンキュー経済学と、企業の分析のようなものを軽く学んでいる。軽く学ぶ、ということは簡単に世界が広がる心地がして気分がいい。


 あ、バイトは夏休みにでもしよう、と思った。それよりも、寝て過ごしたこのゴールデンウィークをやり直したい。メイダインはいなくていいから――

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