終章④ 忘れないから
ベブルがフィナを案内した場所は、林を抜けた先の開けた場所だった。そこは広く、平坦なところだった。
「ここからが一番、眺めが良いんだ」
ベブルはそう言った。しかし、どこにも見えるものなどない。
「もっとこっちだ」
ベブルはフィナを案内して、更に歩かせた。どうやらこの先は崖らしく、崖の遥か下には川が流れている。だが、見るものは依然として見えてこない。
「明かりを消せよ」
そう言ってから、ベブルは空を見上げた。
フィナは言われたとおりに“光の魔法”を消すと、ベブルと同じように見上げた。
するとそこには、見渡す限りの星空があった。人の生活の明かりから離れたこの場所では、どこを見ても星が瞬いているのだった。
「星の世界にいるみたい……」
フィナは呆けたようにそう言った。
空は澄み渡っていた。ここではまるで、空に輝く全ての星々が見えるようだった。どこでも見えるはずの月も、これほど輝いているものだったのかと、フィナは感じた。
空は眩しいほどに明るかった。
「この場所は、俺しか知らないんだぜ」
得意気に、ベブルはそう言った。
フィナは星の世界に言う。
「いいなあ……。ここに連れて来てくれてありがとう。わたしは、星がすごく好きなんだ」
「お前も?」
「も?」
「俺も星が好きなんだ。だから、星が綺麗に見える場所を探して廻ったんだ。ここが、一番いい場所なんだけどな」
「そうなんだ。ありがとう」
そう言ってフィナが嬉しそうに微笑むと、ベブルは照れ臭そうにそっぽを向いた。星明りに照らされたふたりは、闇の中に浮かび上がっている。
フィナはふと、ザンはどこに行ったのだろうと思った。彼のことだから、子供たちがあれだけ魔法で派手に戦っていたことに気づいていないはずがない。恐らく今頃、子供ふたりが折角仲良くなった現場を壊さないよう、どこか遠くで見守っているのだろう。彼女はそう思った。
「なんでこんなに、星って綺麗なんだろうな」
ベブルは放心したように、ずっと星を見ていた。彼はもう、他のことなど何も考えていないようだ。
「光が綺麗なのか、闇が綺麗なのか」
フィナはそう言って、また星空を見上げた。
ベブルはすぐに答える。
「どっちもだろ」
「そうかもしれない」
そうしてふたりは、星を眺め続けた。星々は瞬き、時が流れていることを告げていた。時の流れと共に、星々も、ゆっくりとではあるが着実に、流れていっていた。そしてその流れを反転させることはできない。
「あの声は?」
不意に、フィナはベブルにそう言った。急の質問に、彼はきょとんとしている。
「声?」
「魔獣に襲われてる間に聞こえた、声」
ベブルは驚いたような表情をする。
「お前にも聞こえるのか?」
「うん」
フィナは首を縦に振った。それを聞くと、ベブルは嬉しそうだった。
「すげえ! お前にも聞こえるのか! 誰に言っても信じて貰えなくて、俺……」
「でも、あの声はきっと、良くないものだと思う。力は与えられるものじゃないから」
「そう、だよな……。俺は、どうしたらいいんだろう?」
そう言って、ベブルはうつむいた。
「もっと強くなればいい」
「強く?」
「強いっていうのはね、なにかをやっつけることじゃないんだ。どんなときでも、なににも支配されない力のことなんだよ。……それは多分、『自分』の強さなんだと思う。例え周りがどんなに変わっても、自分で自分を支えられる力なんだと思う」
「強く、なれるかな。俺は」
「なれるよ、絶対に。わたしが信じてる」
そう言われてまた、ベブルはフィナから顔を背けた。彼は恥ずかしがりなのだった。それから小さな声で、彼は呟くように言う。
「お前……、いい奴だな」
フィナはずっと微笑み続けていた。だが、ベブルはここで肩を落とす。
「だけどさ、もう少ししたら、俺はフグティ・ウグフの『アカデミー』に入学するんだ。俺、魔法全然だけど、ルメルトスの後を継ぎたいし……、立派な魔術師になりたいんだ」
「なれるよ、絶対なれる」
フィナはそう断言した。するとまた、ベブルは照れ臭そうに笑う。
「それで、俺はここから遠くに行くんだ。せっかく、お前いい奴なのにさ……」
フィナは自分が、別れを惜しまれているのだとわかった。ベブルは彼女のことを、本気で“いい奴”だと思っているのだ。そして彼の言う“いい奴”とは、言い換えると——。
「わたしは、ここにいることになる。多分、一年か、それ以上」
フィナはそう言った。ベブルの表情は、ずっと曇ったままだった。彼女は話を続ける。
「でも、それが終わったらわたしはフグティ・ウグフに帰るの。そのときになったら、絶対に会いに行くから。『アカデミー』じゅう、探して廻るから。約束する」
「お前、ほんとにいい奴だな」
ベブルの表情が緩んだ。また、フィナの表情も綻ぶ。
「大丈夫。わたしは絶対に、あなたのことを忘れたりなんかしないから」
「俺も、約束する。絶対に忘れないからな。『アカデミー』で会えるように。俺、絶対に強くなるから。立派な魔術師になるから。お前が言ってくれたこと、裏切らないから」
ベブルは力強く、そう宣言した。
それからしばらくの間、ふたりは満天の星空を眺め続けていた。
「お前さ、星空みたいだよな」
唐突に、ベブルはそう言った。
「どうして?」
「そう思ったんだ。お前の髪、星空みたいだなって」
フィナの黒髪は、星の光をそこに落として輝いていた。まるでそこにも、もうひとつの銀河があるようだった。フィナは笑う。
「貴方こそ、星の世界から来たんじゃないの?」
意外にも、ベブルは素直に肯定する。
「そうかもしれない。星の世界を見てると、落ち着くんだ」
「でも、少しの不安がある」
「何でわかるんだ」
ベブルは苦笑いした。同じように、フィナも微笑う。それから彼は、彼女のほうを見据える。
「でも、お前なら信じられる気がする。お前は強いからな」
そう言われて、フィナはまた、微笑んだ。
ふたりはいつの間にか、星の世界を漂っていた。
輝く星々に囲まれた彼らもまた、星であり、闇であり、炎なのだった。
フィナはベブルに右手を差し出す。
「貴方とわたしは、いまから友だち、ベブル」
差し出されたその手を、ベブルは自らの手で取った。
「ああ。俺も、お前みたいに信じられる友だちは初めてだ、フィナ」
そしてその手を、互いに強く、固く握り締め合う。
ふたりの少年少女は、星の世界で、淡く、澄んだ輝きを放っていた。
星々は輝きを絶やすことなく、彼らの未来を照らしている。
どこまでも、どこまでも広がる未来を。
そしてこの時、世界が波打ったのだった——。
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