終章③ 忘れないから

 霊峰ルメルトスの夜は、完全に真っ暗闇だった。家が一軒しかないのだから、それは当然のことだ。ベブルはこの外のどこかにいるはずだった。


「まったく……、どこに行ったんだろうな」


 ザンが辺りを見回しながら、そう言った。


 フィナとザンのふたりは、暗い夜道を歩いた。山を降りて、麓の町に向かう道だった。だが、どこまで降りても、人の姿は全く見えない。


 眼下には麓の街が見える。所々に明かりがあり、人が住んでいるのがわかった。小さな町だったが、山の上の一軒家に比べれば、まだ賑やかそうに見えた。


「こっちじゃないみたいだな」


 ザンは街のほうを見下ろしながら溜息をついた。フィナも、そのようだと思った。


 こうなると、山の深いほうに行ったとしか考えられない。ふたりは引き返した。


 山を登り、また一軒家のところにまで戻って来る。ベブルはもう帰っているかもしれないということで、一度家に入って確かめたが、まだ戻ってはいなかった。


 ふたりはそこから、更に山中深くに入っていった。



 そこは木が生い茂っているので、視界は更に暗くなっていた。フィナは“光の魔法”を指先につくり出して、それで周囲を照らした。


 虫の鳴き声が聞こえる。そして、なにかの動物が吼える声が響いていた。魔獣かもしれない。光で照らしている領域の外は、直ぐに闇に溶け込んでいた。風が吹かない。彼女は息を呑んだ。


「気をつけて行こうな」


 ザンが優しくそう言って肩を叩いたので、フィナはそれで少しは落ち着くことができた。


 進むのだ。ベブルはこの暗い森の中で迷ってしまっているかもしれない。危険な目に遭っているかもしれないのだ。



 —— ベブルよ


 なにかが聞こえた気がして、フィナは立ち止まり、耳を澄ました。そして周囲を見廻す。だが、それらしいものは見えない。


 フィナが急に立ち止まったので、ザンも訝りながら歩みを止める。彼はフィナに訊いた。


「どうした、フィナ?」



 —— わらわの力を使うのだ


 —— ベブルよ


 —— さすれば



「こっち!」


 フィナは叫んで、木々の密集した場所に飛びこんで行った。


「お、おい!」


 驚いたザンは、それでもフィナの後を追う。


 だが途中で、ザンはフィナを見失ってしまった。前にも、後ろにも彼女の姿が見えない。


「フィナ!」


 ザンは大声を張り上げた。そして“光の魔法”を使い、辺りを照らした。だが、フィナはどこにもいない。


「フィナ、どこだ!」


++++++++++


 フィナは暗闇の中で、何者かに足を取られたのだった。


 それは、木の姿をした魔獣だった。フィナはそれの根に足を掴まれ、ずるずると崖の下に引き摺り下ろされているのだ。


 この危機的な状況で、フィナは叫び声ひとつ上げなかった。“光の魔法”が消えてしまったので、周囲は真っ暗闇だった。彼女は状況をよく見ながら、それに対処しようと考えていた。



 —— ベブルよ


 —— 妾の力を


「うわあああっ!」


 その叫び声はベブルのものだった。どうやら彼も、この魔獣に捕まっているようなのだ。彼は大声を上げながら、その魔獣を殴った。


 奇妙な風切音がした。そして、殴られた木の魔獣は消滅する。お陰で、フィナもそれから解放されることになった。


 フィナは立ち上がり、倒れているベブルのところへ行った。


「大丈夫?」


 そう言いながら、フィナはベブルを引き起こそうとする。


「何とか……」


 ベブルは息を切らしながら、立ち上がろうとした。


 だがその途中で、ふたりはまた木の根に足を取られた。他にもまだ魔獣がいたのだ。今度は胴回りも掴まれてしまい、急速に木の魔獣に引き寄せられる。


 フィナは“炎の魔法”を使い、木の魔獣の根を焼き切って、それから解放されることに成功した。しかし、一方のベブルはそれができずに、ずるずると引き摺られていく。


 解放されたフィナは、しかし、同じ魔法で魔獣を倒すことはしなかった。その代わり、魔獣に食べられそうになっているベブルに向かって叫ぶ。


「“炎の魔法”を使いなさい!」


 ベブルは叫び返す


「無理だ! 暗くて何も見えない!」


「上を見なさい!」


「上……?」


 ベブルは魔獣がいるであろう下方向を見るのをやめ、上を向いた。


 明るい星空が広がっていた。



 —— ベブルよ


 —— 妾の力を使え



「そんな言葉には耳を貸さないで! 落ち着いて!」


 フィナは大声でベブルに呼びかけた。


 ベブルは言われたとおりにした。そしてそのまま、引き摺られていく。


 星が見える、星が見える、星が見える……。


 不意に、星が陰に隠れた。魔獣の影だった。


「“炎の魔法エグルファイナ”!」


 ベブルは炎の魔法の呪文を唱えた。その一瞬で、木の魔獣は燃え上がり、黒焦げの炭の塊と化した。彼は魔獣から解放される。


 ベブルが起き上がり、立ち上がろうとするのを、フィナが手伝った。彼女は“光の魔法”で周りを明るくしていた。


「ありがとな。助かった」


 ベブルは恥ずかしそうにそう言った。


 フィナはそれを見て微笑む。


「でもあの魔法、すごかったよ」


「うるせえ、俺が使えるのは、あれだけなんだよ」


「でもわたしには、あんな大きな魔法は使えないもの。すごいよ」


 そう言われると、ベブルは黙り込んでしまった。だが、それは気まずいものではなかった。照れているのだ。


「それじゃあ、帰ろうか」


 フィナはそう言って、引き返そうとした。すると、ベブルはそれを止めた。


「待てよ、いいところがあるんだ」


 フィナは振り返った。ベブルは更に奥へ行こうとしている。


「お前だけに教えてやるよ」


++++++++++

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