終章② 忘れないから

 そこで、フィナは気になった。レイメは「ベブルの『寿星の日』」と言った。だが、彼女は肝心の、そのベブルという人物を見たことがない。それで、彼女はザンに、ベブルはどこにいるのか尋ねた。


 それに答えたのは、レイメを手伝って料理と食器を並べていたヨクトだった。


「まだベブルは来ていないのか……。おや、ベブル、来なさい」


 ベブルはフィナと同じくらいの歳の少年だった。彼は廊下から、居間のほうをこっそりと覗き込んでいたのだ。それが、ヨクトに声を掛けられ、そこから出てきたのだった。いや、出なればならなくなったというのが正しいところだ。


 ベブルは艶やかな桃色の髪をした少年だった。両親のどちらとも違う髪の色をしている。しかし、その顔立ちはレイメによく似ていた。


 どうやらベブルは人見知りの激しい性質らしく、おずおずとフィナの前まで歩いて来たのだった。そして、フィナの前に立ったもののどうしてよいかわからず、彼女のそばにいるザンに視線で助け舟を求める。


「ベブル、この子はフィナだ。『アカデミー』の学生で、君のお母さんに魔法を習いに来たんだ。フィナ、この子はベブル。レイメとヨクトのひとり息子だ」


 ザンはふたりにそう説明した。


 これからお世話になる家の子とは仲良くしなければ。フィナはそう思って、握手をしようと手を差し出す。


「初めまして」


 だが、ベブルはなかなか手を出そうとはしない。しばらく悩んだ後に、ようやくフィナの手を取る。


「……初めまして」


 別の料理を持って料理場から出てきたレイメがフィナに言う。


「フィナ、仲良くしてやってね。その子はあんまりしっかりしてないから、同じくらいの歳の子がどれだけできるものか、見せてやってよ」


 これに対しては「はい」と答えるわけにもいかず、フィナは無言だった。そうしていると、ベブルは彼女から手を離し、歩いて行ってしまった。だが、どこかへ行こうというのではないようだ。ベブルは、彼女から遠い部屋の壁のところにまで行くと、そこで壁にもたれて立っていた。


 それからベブルは、卓の上に皿を並べている自分の父親を見つけると、それを手伝うと言って料理場に引き込んでしまった。


「嫌われたのかな……」


 フィナはそう呟いた。


++++++++++


 レイメとヨクトは本当に仲睦まじかった。レイメが料理をつくっているのだが、ヨクトはそれを円滑に手伝っているのだった。互いに指示を出し合い、一方の手が塞がっているときは、もう一方が自然にそれを補っている。


 そしてそこに、ベブルが加わる。彼は出来上がった料理の皿を運びたいと言ったが、実際に運ぶことが許されたのは小皿程度のものだった。それでも、彼は満足なようだ。


 そこには、見事に出来上がった『家族』の彫像があった。


 いまごろ家族はどうしているだろうか。フィナはそう思った。『アカデミー』の寮に住むようになってから、同じ『アカデミー』で寮生活をしている兄以外には会っていない。その兄も、勉強の都合でなかなか顔を合わさないことが多かった。


 家族と一緒に暮らせているベブルを見ていると、フィナは彼が羨ましくなってしまった。


 料理の美味しそうな匂いが部屋中に行き渡っていた。家族の匂いだった。



 食事の準備ができ、全員が席についた。この家の住人ではないザンやソディやフリアも、今夜はここで食べていくことになった。ベブルとフィナの『寿星の日』を祝って欲しいという、ヨクトとレイメの申し出によるものだ。


 ベブルとフィナに対する「おめでとう」から始まり、大人たちは賑やかに食事を始める。ただ、子供のふたりは黙々と食事をしていた。


「君はどんな魔法が使えるのかね?」


 数秒遅れて、フィナはそれが自分に対する質問であるのだと気づいた。彼女が顔を上げると、食卓の向こうでヨクトが微笑んでいた。


 それからフィナは、自分が使うことのできる魔法をいくつか列挙していった。魔法の話になると、彼女は緊張を忘れ、次々と話を広げていった。魔法に興味を持っている彼女にとって、やはり魔法学の権威ある人物と話すのは非常に楽しいことだった。


 ひとしきり話し終えたところで、ヨクトがフィナの知識量を賞賛する。


「いや、その歳で大したものだ。うちのベブルは君よりもひとつ年上だというのに、ようやく“炎の魔法”が遣えるようになったところでね」


 ベブルは黙ったまま、恥ずかしそうに目を伏せた。


 しまったと、フィナは思った。調子に乗って話し過ぎてしまったが、ベブルがまだ魔法の初心者だとは思わず、傷つけてしまったようだ。


 ベブルの食器ががちゃんと音を立てる。


「うるさいなあ! だから俺は『アカデミー』に行って勉強するんじゃないか!」


 ベブルはそう言い捨てると、椅子を降りて居間から出て行ってしまった。豪勢な食事がまだ残っているというのに。


 ヨクトは頭を掻く。


「ああ、しまった……。気にしてたのか……」


「慰めて来ようか?」


 ザンがそう申し出るが、レイメが笑いながら断る。


「別にいいよ。放っておけば戻って来るからね」



 それからは、ベブル抜きで食事が進んでいった。酒の影響もあってか、大人たちはそれでも賑やかに、楽しそうに食べていた。


「ふたりとも仲良いのに、ベブルの弟か妹はまだなのか?」


 フリアが冗談めかしてそう言った。すると、ザンもそれに乗った。


「そうだな。九年間どうしてたんだ?」


「おいおい……」


 ヨクトは笑いながらそう言う。彼もレイメも、酒が廻っているのか、顔が赤くなっていた。そしてそれから、彼らはちらと互いに見合わせた。


 ザンが笑いながら言う。


「あ、まさか、もうその予定があるとか?」


 場の雰囲気はどんどん高騰していった。常に誰かの笑い声が絶えることはない。


 だがフィナは、会話には受け答えするのみであまり参加せず、黙々と食べることだけをしていた。そして、彼女は自分の分を食べながら、時々、ベブルのいた席を見ていた。いつまで経ってもそこは空席のままだった。


 このままではルメルトス派の跡継ぎはベブルではなくなるかもしれない。フィナは心のうちでそう思った。



 食事は終わり、宴会も終わりになった。食器を流しに引き上げてしまい、後片付けが始まる。これには、ザンたちも参加していた。


 しかし、その時間になってもベブルは戻って来なかった。


 どうやらベブルは部屋に帰ってしまったわけではないらしい。彼は外へ出たまま、帰って来ないようなのだ。


 心配になったフィナは、レイメに、自分が彼を捜して来ると言った。彼女がそう言うと、ザンもそれに付き添って行くと申し出た。他の人々は、まだ後片付けをしている。


「まったく、困った子だよ……」


 レイメは溜息をつきながら、両手を腰に当てた。そしてそれから、ザンとフィナに言う。


「じゃあ、外は暗いから、足元に気をつけて」


「わかりました」


 ザンはそう答える。そして、フィナと共に廊下へ出ようとした。


 そのときに、レイメは不可解なことを言ったのだった。


「見つけるのは恐らく、フィナのほうだと思うけどね」


「なぜです?」


 ザンは振り返り、レイメに質問した。彼女は微笑む。


「フィナは、わたしと同郷の子だからね」


 その言葉の真意は、ザンにも、フィナ本人にも解らなかった。


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