第二十五章② 地平の彼方
ベブルとリサの前には、塔が聳え立っていた。
ベブルは驚いた。彼は塔の中にいたはずだからだ。
「おい、これは……!」
リサは小首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「どうかしたじゃねえよ、何でこんな……」
ベブルがそう言っていると、後ろから彼を呼ぶものがあった。
「ベブル——!」
振り返ると、そこにはムーガがいた。
「ムーガ!」
ベブルがそう言っている間に、ムーガは彼に飛び付き、しがみつく。彼女は歓喜の涙を流していた。
「やっと逢えた……!」
「お前、どうしてここに……」
「わからない。わからないよ、そんなの。ああ、きっと、夢なんだよ……。貴方がいなくなってからずっと、逢いたいと思って……、それで貴方に逢えた夢を見てるんだよ」
「夢……?」
「ベブルさん! ムーガさん!」
また遠くから、ベブルを呼ぶ声がした。声の主はユーウィだった。彼女は両手で魔剣『
「ユーウィ」
ユーウィは武器を抱えたまま、塔の前にいる彼らのところまで小走りでやって来る。驚いたムーガが、目を丸くして彼女に訊く。
「ユーウィ、どうしてこんなところに」
ユーウィは手で口を押さえて、少し考え込む。それから、彼女もひとつの結論に至る。
「夢、ですよね……。ベブルさんがいらっしゃるんですから……。そうです。これは夢です。わたしはベッドに入ったんです。それで眠りについて、いまここにいます」
「わたしも夢を見てるんだよ」
ムーガが、ベブルに寄り掛かったままそう言った。
「みなさん、まだですか?」
そう言ったのはリサだった。彼女は微笑んでいる。
その発言に、ムーガとユーウィは唖然とする。彼女らには、意味が解っていないようだ。ここへ来たばかりなのだから、それは仕方のないことだ。
「ふたりとも、よく聞いてくれ」
ベブルが真剣な面持ちで、ムーガとユーウィにそう言う。ムーガは彼から離れ、服の袖で目の周りと頬を拭いた。
ベブルはふたりに説明する。
「ここは世界の外側で、俺たちの世界は、ここの奴らに支配されてるんだ。それでどうやら、俺たちの世界を消す、ログォ・ロルドって奴が、この塔の一番上にいるらしいんだ。俺は、そいつのところに行こうとしている。そいつを倒せば、俺たちの世界は守られる」
話を聞いてしばらく、内容を咀嚼するために、彼女らふたりは暫く沈黙していた。そして、理解し終えると、ムーガは拳を握り締めて、力強く宣言する。
「じゃあ、わたしも行く」
ユーウィも同様の意見だ。
「わたしもです。ベブルさんは、いなくなられてもまだ、わたしたちのために戦ってらしたんですね。わたしも、協力しないわけには行きません」
「だが、お前らには危険だ。いますぐ帰ったほうがいい」
ベブルはそう反対した。だがふたりとも、一歩も退かない。
まず、ムーガが拒否する。
「嫌だ。折角ベブルにまた逢えたのに、ここで夢を終わらせたくない」
次に、ユーウィが反論する。
「わたしはアーケモスに住むものです。アーケモスの危機には、立ち向かいます」
ベブルは髪を掻き毟る。結局、彼は折れる。
「わかったよ。だが、夢の中だと思うのはやめろ。そんな気持ちでいると、死ぬかもしれないからな」
「わかった。じゃあこれは、現実?」
ムーガははっきりと答えてから、また疑問を口にした。
「ああ。正真正銘の現実らしいぜ」
ベブルは皮肉を込めてそう答えたが、その本来の意味はムーガには伝わらなかっただろう。彼女は満面に笑みを湛えて、また彼に抱きついたのだった。
「やった——! 夢じゃないんだ!」
その様子を、ユーウィが見て微笑む。
「わかりました。怪我をすると、足手纏いになりますからね。注意します」
「では、準備はいいですね?」
離れたところから、リサがそう言った。
ベブルはうなずく。
「ああ」
「あの人は?」
ムーガがそう、ベブルに尋ねた。
「多分……、案内人だろ」
「では、行きますよ」
リサは塔の入口に向かって歩く。三人もそれに付いて行く。
塔に入ると、そこにはオルスとマナ、そしてエアがいた。三人とも、世界の外側の存在の姿をしている。派手な模様の描かれた顔で、不気味な表情に笑みを浮かべて、彼のほうを見ていた。
「よく来たな」
オルスは嗤った。
ムーガはここへ一緒に来たリサに尋ねる。
「こいつらが、ログォ・ロルドなの?」
「いいえ。でも、彼らを倒さなければ先にも後へも行けません」
そう言われて、ムーガとユーウィは周囲を見回す。ここは見渡す限り白い空間で、上の階に進む階段もなければ、入って来た出入口もなくなっている。
そのことは、ベブルはすでに知っているので、彼はここで見廻すことなどしなかった。
オルスは嗤ったまま、構えることなく挑発する。
「さあ、掛かって来い。ここはお前たちの世界ではない。我々にどこまで抵抗できるかな?」
「うるせえ」
それだけ言うと、ベブルは敵三人のいるほうへと突っ込んでいく。ムーガもユーウィも、彼の後に続いた。
ベブルは拳に『消滅の力』を纏わせ、オルスを殴りつける。相手の力を舐めているオルスは身を守ることさえしなかったが、殴られる直前に気が付いたようだ。だが、もう遅かった。
「消えちまえ!」
その『力』にオルスはいとも簡単に吹き飛ばされ、砕け散り、消滅した。
マナは驚愕に打ちのめされる。
「そんな莫迦な! どうして現実でその『力』が!」
その瞬間、マナは撥ね飛ばされ、消滅した。ムーガが彼女に掌を向けていたのだ。
そのころには、ユーウィがエアを消し去っていた。『消滅の力』を使ったのは魔剣での何度目かの攻撃であるようで、彼女の魔剣には黄色い血が付着しいていた。
ムーガはぼそりと呟く。
「あっけなかったね。こいつらが、歴史を無茶苦茶にしたの……?」
ベブルは溜息混じりに答える。
「ああ。俺たちの世界で無茶苦茶やりやがった奴らも、所詮現実にはこんなもんなんだ。俺らは強いしな」
ユーウィは魔剣『
「……空しいですね」
立ち尽くしている三人に、リサが声を掛ける。
「行きますよ」
リサの傍には、上へと続く階段があった。彼女はその階段を上っていく。
ベブルたち三人は一度顔を見合わせたが、リサの後に続くことにした。
その先は、霧がかった空間だった。
ムーガは振り返って、驚いた。
「階段がなくなってる」
ユーウィは驚いて息を呑んだ。
ベブルは知っていたので振り返らなかった。
霧の中に、誰かがいるのが見えてきた。
それは、中身を失った女——『夢見ぬ存在』である、フィーナだった。
「三人とも、よくここまで来たな」
そう言って彼女は、口角を引き広げて不気味に笑った。赤い目は爛々としていて、なにか奇妙な力に溢れているようだった。
「フィナ!」
ムーガが叫び、彼女のほうへ走っていこうとする。だがそれを、ベブルは無言で止めた。
「フィナさんじゃないのですか?」
ユーウィはふたりにそう質問する。だが、ベブルはなにも答えなかった。ムーガは不審に思い、黙ってじっとしていた。
それを聞いてフィーナは嗤う。
「フィナ? それはわたしの『器』だ。本当のわたしは、ここにいるわたしだ」
「『器』?」
ムーガはそう言って、ベブルに訊く。
ベブルは答えない。
その代わりに、三人の後ろの離れたところで立っているリサが、微笑みながら説明する。彼女は、まるでわざと離れたところにいて、危険から身を守ろうとしているかのようだ。
「わたしたちが世界に干渉するときには、通常、その世界の存在を『器』とするんですよ。あの世界でのフィーナの『器』は、フィナという人だったようですね。ですがこの存在は、『器』に中身の大部分を取られてしまっています」
フィーナは声を抑えてくっくっと笑っていたが、やがて、声に出して笑い始める。
「そんなことはどうでもいいのだ。いまここに、わたしがあの世界で作り出した破壊の存在が揃ったのだからな!」
「なに?」
「ベブル、ムーガ、ユーウィ。お前たちがなぜ、その『力』を持っているか、考えたことがあるか? それは、わたしがお前たちに与えた力なのだ。そうだ、わたしはお前たちを従え、この現実を征服し、支配するのだ!」
「フィナはそんなことしない!」
ムーガは反論した。だがそれは、根本的には反論にはなっていなかった。しかし、彼女の指図を聞くつもりはないという態度は表現されている。
フィーナは冷たく言い放つ。
「わたしの名はフィーナだ。お前たちはわたしのお陰で、あの世界で生まれることができたのだぞ。恩に報いよ。世界の外側の支配者を打ち滅ぼすのだ!」
「断る」
ベブルは断言すると、腰を落として構えを取った。ムーガもユーウィも、それぞれに構えた。
フィーナは嗤い始める。そして、その恐ろしいふたつの目で3人を見据えた。
「フ……、いいだろう。造物主に逆らうというのなら、この場で始末してくれよう!」
フィーナはベブルたちに向けて、手を突き出す。
その瞬間に、ベブル、ムーガ、ユーウィの三人は吹き飛ばされ、倒れる。
「散らばれ!」
ベブルはそう言うと、起き上がると同時に飛び上がった。ムーガは左に、ユーウィは右に廻り込む。
フィーナは、上空から攻撃を仕掛けようとするベブルを打ち返した。
その間に、ムーガとユーウィがフィーナのところへ到達する。ムーガは魔法を、ユーウィは剣の一撃を浴びせた。だが、フィーナは両方を回避していた。
遠くから、リサが言う。
「彼女は強いほうですよ」
着地したベブルは、同じく着地したばかりのフィーナに拳を繰り出した。『消滅の力』を乗せた攻撃だったが、それは間一髪で回避されてしまう。
逆に、フィーナの拳がベブルに炸裂した。彼は撥ね飛ばされ、倒れる。
フィーナの背後から、ユーウィが斬りかかる。だが魔剣を振り下ろしたあとには、彼女はユーウィの背後に廻り込んでいた。
「危ない!」
そう叫び、ムーガはフィーナを後ろから殴りつけようとする。だが、振り返ったフィーナによって蹴り飛ばされた。そのために彼女は、痛みに起き上がることができない。
そのまま回転し、フィーナはユーウィを蹴りつけようとしたが、その間にベブルが割り込み、彼女に体当たりを喰らわせた。彼女はすっ転び、ユーウィは助かった。
ユーウィの魔剣『
倒れると同時に、フィーナは腕で地面を押して跳び、空中で回転して立ち上がった。そして、ベブルを探す。
「ここだぜ」
ベブルがそういった時には、彼の攻撃はすでにフィーナに当たっていた。彼は彼女の後ろに飛び降りたのだった。
殴られた場所からフィーナに亀裂が入り、砕けた。
フィーナは振り返り、自分を砕いた男のほうを見ようとした。そして、半分ほど振り返ったところでばらばらに砕け散り、そして粉々になって消滅した。
ベブルはその様を見たが、不思議と、フィナが消えていくような印象は感じなかった。フィナとフィーナは、姿かたちはほとんど同じだが、まったく別だということなのだろう。彼はそう思った。
ようやくムーガは立ち上がることができた。ユーウィはそれを助けに行く。
ベブルはムーガに言う。
「気をつけろよ。こんなところで死なれたら……」
ムーガは少しうつむく。
「ごめん。もっと気をつける」
「やりましたね」
リサは嬉しそうな声で、そう言った。
ベブルはリサのほうをちらと見たが、何なにも言わなかった。
「ログォ・ロルドはどこなんですか?」
ユーウィがそう訊いた。だが、リサはそれに対して明確な返答をしない。
「行きますよ」
リサはそれだけ言うと、階段を上っていく。
気が晴れないままだったが、三人はその後に付いて行くことした。
階段の先には、また新しい空間が広がっている。
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