第二十四章② うたかたの外

 彼の行く道、左右が暗黒の淵だった。


 彼はそこに落ちぬよう、注意を払わなければならなかった。


 階段を降り、そしてまた上がる。


 飛び降り、飛び降り、飛び降り。


 暗闇の中の道を、突き進んでいった。


 道が途切れていたので、その向こうには跳んで渡った。


 泡が間隔を置いて、流れている。


 このひとつひとつが、別々の世界なのだ。


 果てしなく長い階段が続いていた。


 幾つも泡が宙を舞っている。


 彼はそれに触れぬように、注意して歩いた。


 白い世界に飛び出した。


 そこには多くの存在がいた。


 街だった。


 誰かが水を汲んでいる。


 彼は、立ち並ぶ家々の間を通った。


 通りを沢山の人々が行き来している。


 何か物を売っている存在が、何事かを大きな声で叫んでいた。


 歩いている存在のひとりを捕まえ、彼は訊いた。


「お前も世界を創るのか?」


「世界? なにそれ。それよりあんた、顔に気持ちの悪い模様が描いてあるよ」


 そう言って、白い服の存在は去っていった。


 彼は暫くその後姿を見ていた。そしてそれから、隣にいるもうひとりの自分と顔を見合わせる。


 気持ちの悪い模様などどこにもなかった。


 ミクラは先を歩いていく。彼もその後に続いた。


 彼の隣には、誰も居ない。


 そして、彼がもう一度振り返ったときには、そこには何もなかった。


 階段を上っていく。


 その先には壁しかなかった。


 だが、彼女はそのまま、そこへ向かって歩いていく。


 そして彼女は、その壁をすり抜けてその先へと歩いた。


 彼もそうする。


 壁を抜けた先は、白い筒状の通路だった。


 ミクラはいない。


 その先には通路の出口があった。


 彼はそこまで歩く。


 そこから先には、道が無かった。


 その代わりに、一本の棒が下まで延びており、見下ろすと、下の道を歩いているミクラが見えた。


 彼はその棒に捕まり、それを使って下の道まで降りると、ミクラの後を追って歩く。


 その先は、崖になっていた。


 ミクラは勢いを付けて、そこから飛び降りた。


 そう思うと、次の瞬間、彼女は加速しながら宙に舞い上がって行ったのだった。


 ベブルもその後に続いて、崖を上向きに落ちていく。


++++++++++


 ふたりは白い部屋に到着した。


 その部屋には、ひとりの若い女が立っているのだった。


 ベブルは驚いた。それが彼の良く知っている顔だったからだ。


 その女は白い髪で、赤い瞳で、顔に奇妙な模様があり、白い服を着ていたが、それ以外の全ては、彼の友人そのものだったのだ。


 フィナに。


「デューメルク!」


 ベブルは大声を上げ、彼女に駆け寄った。


 だが、彼女は全く反応を示さなかった。


 虚ろな表情で、目を開けたまま、何かを見ているようで、そのまま、固まっているのだ。


 その様子を見て、ミクラはベブルに言う。


「彼女は中身がないんだ」


「何だと?」


 ベブルが振り返ると、先に行こうとしていたミクラは戻ってきて、立ち尽くしている女の前までやって来る。


 ミクラは説明する。


「フィーナ——彼女は、あの世界の中に入った時に、『器』に中身を奪われてしまったそうなんだ。そのために彼女は感情という感情を失い、自我を失い……、『夢を見ぬ存在』になっている」


「じゃあ、デューメルクは……」


 ベブルはそう呟く。ミクラにはその言葉が聞き取れなかった。


「どうした?」


「いや、何でもない」


 ベブルは首を左右に振った。


 まさか……、な。


「じゃあ、行くぞ」


 ミクラはそう言うと、また歩き始めた。


 ベブルもその後に続く。


 その途中で彼は一度だけ振り返った。


 そこには誰もいなかった。


++++++++++


 その先の通路を抜けると、身体が浮き上がった。


 どうやらこれは、転送装置に似たものらしい。


 暫くそれで上に飛ばされると、そこにまた階段があった。


 ミクラは既にそれを歩いて上っている。


 ベブルも同じように、その後に続いて上る。


 空間が広がっていた。


 透明な地面を歩く。


「ここには風がない」


 歩きながら、ミクラが言った。


「ここには、風がないからだ」


 そして、風は吹かない。


 彼らは歩き続ける。


 向こうから、世界の外の存在が大勢歩いて来る。


 だがその誰もが、彼らのことを見ていなかった。


 存在たちは通り過ぎては、消えていく。


 そして、通り過ぎるためだけに現れるのだった。


 彼は足元に、床の下に、自分の頭を見た。


 そして見上げると、自分の足が見えた。


 彼は前を向き、また歩く。


 ふたりは坂道を登り続けた。


 泡が飛んでいる。


 撥ねて、転がり、坂を墜ちていく。


 いくつも、いくつも。


 互いに衝突し合っては、弾んで、くっ付いて、飛んで、割れて。


 光の壁を抜けると、その先に広がるのは、闇だった。


++++++++++

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