第二十四章

第二十四章① うたかたの外

「おかえりなさい」


 それが、ベブルがここにやって来て初めて聞いた言葉だった。


 なにがなにやら、理解できない。


 ベブルの目の前には、白い服を着た、白い髪の、灰色の肌の存在たちが何人もいた。みな、顔に紅い模様を描いてあり、あの『レイエルスの神の神』を名乗る者たちと同じ格好をしている。


 いや、そうか、ここが『神の神』の世界か。


 ベブルはそう思った。


 いましがた、ベブルは『石碑』の中に飛び込み、アーケモスからこの世界へやって来たのだ。『石碑』の向こうには『レイエルスの神の神』の世界がある——この世界が、そこなのだ。彼はそのことを思い出した。


 しかし、あれだけアーケモスを攻撃し、世界を消し去るとまで言った『レイエルスの神の神』が、特にベブルを敵対視するでもないのは不可解だ。かといって、さほど友好的でもなく、まるでこれが日常であるかのように、「おかえりなさい」と言ったのだ。


 ベブルには、彼らの行動が理解できなかった。


 ここでは、味方は自分ひとりで、残りのすべてのものは敵のはずだった。だというのに、そこにいる大勢の『神の神』のうち、大半は彼の姿の確認さえしないのだ。


 ベブルは歩き始めた。



 そこには白い服の存在が多く、それぞれになにやら機械を——と思うが、それは機械のようには見えない、白い、丸い、四角い物体だった——を見つめていたり、見つめていなかったりしていた。


 ベブルは彼らの間を縫って歩いた。しかし、歩いてもどこかへ行けるような気がしない。


 ベブルは振り返る。


 誰もいなかった。


 彼の視線の先には、沢山の泡があった。


 それが山のように積み上げられている。


 彼はそれを見上げていた。


 光沢の美しい、泡の山。


 泡の数は大量で、もはや数えられるようなものではなかった。


 ひとつひとつの泡は、ゆっくりと蠢いている。


「おかえり、現実へ」


 女の声がした。


 ベブルは振り返る。


 そこには、髪の長い女がいた。


 ベブルはその女を、以前見たことがあった。


 虚構の世界の中で。


 確か、その世界ではその真白い髪は赤褐色で、剣士の風貌をしていたはずだ。それに、いまあるような顔の紅い模様はなかったはずだ。


 そして、そのときには確か、こう名乗っていたはずだ。


「ミスク!」


 女は微笑った。


「違う。現実でのわたしの名前は、ミクラ」


「なに?」


 ベブルはそう言って、腰を落とし、両方の拳を構える。


 その様を見て、ミクラはまた微笑んで、両手を小さく前に出した。


「やめてくれないか。現実で戦いでもすれば、死んでしまうかもしれない。そういうのはごめんだ。わたしはここに戦いに来たわけじゃない」


「何だと?」


「あれを見ろよ」


 ミクラはそう言って、泡の山を指差す。ベブルは渋々、もう一度それに目をやった。彼女は言う。


「あれがなにか解るか?」


「……知るかよ」


「あれが、世界だ」


「世界……、だと?」


 いくつかの泡は浮かび上がり、泡の山に乗り、また別のものは山の中に入り込み、また別のものは、山から遠く離れたところへ飛んでいこうとしている。


「そう。あの泡、ひとつひとつが、ひとつの世界だ。お前がこれまでにいた世界も、あの中のひとつだ」


「なんだと。……ということは、お前たちは、あれだけの世界をつくったのか?」


「まあな。大半は複製だが」


「なぜお前たちは、こんなにも世界をつくったんだ」


 ミクラは笑う。


「なぜ? そんなことに理由が要るのか?」


「当たり前だ」


 ベブルのその返答を聞くと、ミクラはまた、いよいよ声を立てて笑い始める。


「世界の中の人間は、どうして思考するんだ?」


 ベブルはぶっきらぼうに答える。


「人間なんだ。誰だって考えるだろ」


「それと同じだ。わたしたちは世界の外の存在なんだ。世界を創るのは当たり前だろ」


 ベブルには、ミクラの言った言葉が納得できなかった。仕方がないので、彼は別のことを質問しようと思った。


「お前は、何でここに来たんだ?」


「お前を迎えに来たのさ」


 ミクラは、いとも簡単にそう答えた。


「……なに?」



「お前がこちらの存在だと、気づくことができて本当によかった」


「どういうことだ? 俺がここの人間?」


「ああ。お前の母親のレメは、ここの存在だったのさ」


「そんな馬鹿なことが……」


 ミクラはベブルの自問自答を無視する。


「わたしは世界の開発をするひとりだ。わたしの創った世界は、なかなか評判がよくて、わたしの世界を複製して使う存在が多いんだよ。レメはそんな中のひとりで、わたしは彼女にも世界を複製してやった。そうして、彼女はひとつの世界を創造し、管理していた」


 ベブルは黙っていた。


 ミクラは説明を続ける。


「彼女は、自分の創り出した世界の中の人間と恋に落ちたようだ。愛以外にも、重要な感情は沢山あるというのに……。だが、それらの概念のない世界に入り込み過ぎたのだから、それは仕方のないことだったのかもしれない」


「なんだよそれ……」


「そういうわけで、お前は、半分は我々の仲間なんだ。夢と、現実と、半々。あの世界が破壊される前にここへ来れてよかったな」


 そう言って、ミクラは笑った。ベブルはその発言に、冗談では済まされない意味を見つけ、叫ぶ。


「世界を壊すだと?」


 ミクラはまたも、軽くうなずく。


「そうさ。あの世界は自我を持ち始めている。世界の外側を飲み込んで、自分を世界の外側にしようとしているのさ。それが危険だということで、消去することが決定した」


 ベブルは大声を上げて怒鳴る。


「ふざけんなよ! てめえらの勝手な考えで、俺たちの世界を潰そうってのか?」


「じゃあお前は、我々に泡の中に住めというのか?」


 そう言ったのは、それまでそこにいなかった男だった。


 ベブルは振り返った。彼の周りには、大勢の男や女がおり、彼は彼らに取り囲まれていた。


「なぜ我々が世界に住まねばならないのだ!」


「夢の中にいろというのか!」


 白い服の者たちは、口々に彼を攻め立てている。


 あまりの出来事に、ベブルは当惑した。


「始めに世界の外側ありきだ。世界なんかに、支配されてたまるか」


「夢が現実を従えようなんて、思い上がるな!」


「知るか!」


 ベブルが大声で応酬したが、声の大きさではこの大人数に敵わない。


 ミクラは声を潜めて笑っている。


「世界の外側では、滅多なことは言わないほうがいいな」


 それからまた、彼女は泡の山を見上げる。


「オルスはあの世界を消そうとしていた。だがそれは、単なる身勝手だ。思い通りにならないから、あの世界を消したかったにすぎない。あいつ程度だと、その世界の『神』や『人間』を創ったり、消したりするくらいしかできないからな。だからあいつは、人間たちに『世界を消す』と偉そうなことを言ってから、わたしにあの世界を消すように頼みに来た」


「じゃあ、世界を消すのはお前なのか?」


 ベブルはミクラに訊いた。


 いつの間にか、騒がしい声が消えていた。ベブルを取り囲んで抗議していた存在たちは、もういなくなっている。


 ミクラは否定する。


「いいや。あの世界の危険性が判明してからは、管理は別の存在がやってるよ。あの世界を消すのは、わたしじゃない」


「俺の世界は、あの中にあるんだろ?」


 ベブルは泡の山を指差した。


「あの中のどれかだな。だが、お前にどれだかわかるのか?」


 わかるわけがない。どの泡も、まったく同じようにしか見えない。


 ベブルは真剣な眼差しでミクラを見た。


「世界を消す奴はどこにいるんだ? 俺はそいつの所へ行く」


「構わないが、あいつは帰って来ていたかな? まあ、とりあえずついて来てくれ」


 ミクラはそう言って、歩き始めた。


 ベブルはその後について行く。


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