第二十三章③ 夢と未来と
それから、十年の歳月が流れた。
ボロネ街北部の森の中に、子供たちのはしゃぐ声が響き渡っている。
風がそよぎ、木々は穏やかに会話を楽しんでいるようだった。
森の中を、子供たちが裸足で走り回っている。
桃色の髪の少女は力いっぱい走っていたが、地面から張り出した木の根に足を引っ掛け、湿った土の上に転んだ。
白い服に泥が付いただけで、怪我はしなかった。彼女はすぐに立ち上がると、汚れた服を気にするでもなくまた走り出した。
そして、森の中の小屋のところまでやってくると、全体重を掛けて扉を引き開け、その中に駆け込んだ。
居間を走り抜けると、彼女は奥の部屋の扉を開けようとする。
それと同時に、扉が開いた。中から出てきたのは、ひとりの老人だった。
「やった!」
少女はそう叫ぶと、老人にぶつかりながらその部屋に入っていく。そこは老人の書斎だった。それでも、少女はおかまいなしに、そこらじゅうに泥を撒き散らし、平気な顔をしている。
「こらこら、一体どうしたんじゃ」
老人は、別に怒るでもなく笑ってそう質問する。
少女も笑っている。
「隠れん坊の勝負。向こうもまさか小屋に戻って、加えて爺さんの部屋におるとは思わんじゃろうから」
少女の喋り方は、変に年寄りじみていた。どうやら彼女は、この老人の言葉遣いがうつってしまっているらしい。
老人は笑って答える。
「そうかそうか。じゃが、相手は森の中で隠れん坊をしておるのじゃろう。小屋で隠れるのは少々ずるくはないか?」
「じゃけど……」
「森で勝負ならば森で勝負じゃ。なに、お主ならそれで勝てるじゃろう?」
そう言われて、少女はしばらく考え込む。それからやがて、彼女の表情から溢れんばかりの笑みが零れる。彼女は元気よく答える。
「うん、そうじゃな!」
そう叫ぶと、彼女は走って引き返し、小屋の扉を押し開けた。
彼女の背に向かって、老人は付け足す。
「夕飯までには終わって帰ってくるのじゃぞ」
「わかった!」
元気な声を残して、少女は小屋を出て行った。
老人はひとり微笑み、彼も小屋を出る。
そこで少し、彼は咳き込んだが、深呼吸をして落ち着ける。
遠くに、木々の茂ったほうへ走っていく少女の背姿が見えた。それを見て、彼はもう一度微笑む。
風が森を抜けた。
暖かい風が頬を撫でる。
老人は小屋の外にひとつだけ置いてある木の椅子に腰掛けると、帽子を被った。そして、ゆっくりと背もたれにもたれ掛かる。
「大魔術師のリーリクメルド様」
一眠りしようと思っていた彼に、また別の声が掛かった。少年が彼の傍にやって来ていたのだ。手にはなにやら、袋に入った荷物を持っている。
「おお、なにかね」
「街のみんなからの贈り物です。この間はどうもありがとうございました」
そう言って少年は荷物を老人の傍に置き、一礼した。
「ほう、感心な子じゃな。街にはまた行くでな、その時を期待しておるがよい」
「ありがとうございます!」
少年は元気よくそう言うと、南の街のほうへ駆けて帰って行った。
また風が流れ、木々が、そして草花がなにごとかを言った。
本当に、穏やかな時だ。
老人はそう思い、目を瞑る。
アーケモスは神界レイエルスの脅威から解放され、いまもまだ、この世界は存在する。
いまもこうして、時が流れているのだ。
太陽が暖かかった。
夜になると、老人はまた外に出て、椅子に座っていた。
桃色の髪の少女は彼にずっとじゃれ付いている。夕食はもう済ませていた。
彼の周りには、他の少年少女たちも集まっている。彼は何人もの孤児を引き取って、育てているのだった。
「ほうら、今夜も星が綺麗に見えるぞ」
老人はそう言い、夜空を指差した。
子供たちはそれを見上げる。
闇に撒き散らされた光の雫が、世界を覆っていた。
綺麗だなあ。と、誰かが言った。
桃色の髪の少女も恍惚として言う。
「いいのう。わしもいつかは、あのあたりに行きたいのう」
「あのあたりって、どのあたりだよう、姉弟子」
そう、ひとりの少年が言った。すると少女は怒る。
「星の世界じゃよう」
「あんな空の上に行けるわけないだろ」
「行くと言ったら行くんじゃ!」
老人は少女たちを窘める。
「まあ、まあ。喧嘩はやめんか、ふたりとも」
「だって……」
「まあ、行きたいと思うておれば、いずれは行くことができるやも知れん」
老人は髭を撫でながら、穏やかにそう言った。
すると、少女は目を輝かせて言う。
「本当?」
「ああ本当じゃ。ただし、そう思っておればの話じゃがな」
「じゃあ、思ってる!」
少女は明るく、笑って答えた。
そうしてまた、老人は星空を見上げた。
心から感謝するぞ、リーリクメルド。
そして、戦いで犠牲になった、多くの他の者たちよ。
本当に感謝しておる。
アーケモスはこうして、未来へと進むことができた。
本当に、本当にありがとう。
星々は輝きを絶やすことなく、彼らの未来を照らしていた。
どこまでも、どこまでも広がる未来を。
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