第二十一章⑪ 冷たい雨の中で

 雨は血塗れの大地に降りしきる。


 冷たい雨だった。


 だが、ベブルの喉と、胸と、そして目だけは、酷く熱かった。


 炎が荒れ狂っているのだ。


 悲しみと、そして、絶望とに。


 辺りは暗かったが、ますます暗くなっていった。


 雨はいつまでも降り続ける。


 永遠に降り続けている。


 やがて、彼は崩れ落ちた。


 両方の膝で、拳で、泥濘んだ大地を叩く。


 水が弾けた。


 そしてベブルはついに、慟哭した。


 雨は激しく降り続けていた。



 あいつだけは死なせたくなかった。


 あいつは戦いに生きるはずじゃなかったのに……。


 あいつは俺の、人生最初の仲間だったのに……。


 あいつには生き延びて欲しかったのに……。


 どうすりゃいい? どうすればいいんだ、デューメルク。


 俺はまだ、お前に頼んなきゃ、やってけねえんだよ。


 教えてくれよ。


 頼むから、勝手に死なないでくれよ……。


 お前が死んだ過去なんか、変えてくれよ……。


 デューメルク……。


++++++++++


 夜になると、雨は止んでいた。


 ムーガ、スィルセンダ、ウィード、そしてオレディアルの四人は、大犬の魔獣ディリムと“魔導単車”を駆り、そこまでやって来た。ウェルディシナとディリアはボロネの宿に残っている。ザンたち黒魔城組はボロネの宿まで来たが、結局そこに留まることにしたようだ。


 ムーガは空を見上げて立ち尽くすベブルを見付け、声を掛ける。


「ベブル……」


 このときにはすでに、ベブルは立ち直っていた。


「嘆いてる場合じゃねえって、解ったんだ」


 疲れきった様子で、ムーガは微笑む。ベブルも笑い返した。


 そこへ、ムーガについて来たウィードが、四人がここへ戻ってきた理由を説明する。


「ベブルさん、フィナさんが亡くなってしまったのです。このままではムーガさんとスィルさんが消えてしまいます。『護りの指輪』が必要です。もっと早くに気付くべきだったんですが——」


 ウィードがそう説明したが、ベブルは空を見つめたまま、答えなかった。まるで、なにも聞いていないかのようだ。


 それから、ベブルはもう一度、ムーガのほうを向いく。


「手を出せよ」


「え?」


「いいから」


 なにがあるのか解らなかったが、ムーガは言われたとおりにする。


 ベブルがその手を取る。暗闇の中だったので、ムーガには彼がなにをしているのかよく見えなかった。だが、彼が手を離したとき、わかった。


 『宝石の無い指輪』をムーガの指にめたのだ。


 オレディアルが驚く。


「これは……、『護りの指輪』……」


「デルンの地下研究施設までひとっ走りして、六個全部取って来た」


 ベブルはそう言って、今度はスィルセンダのほうを見る。


「ほら、お前も手を出せよ」


「え、遠慮しますわ。嵌めてもらうなんて恥ずかしいですし」


 そう言って、スィルセンダは『護りの指輪』を受け取る。


 感心して、ウィードがベブルに言う。


「それにしても、よく気付いてくださいましたね。危ないところでしたよ」


 ベブルはまた、星空を見やっていた。そして、自分の手を空に翳す。


 フィナに貰った『星の指輪』が、夜空の星と同じように、輝いた。


「それを思い出させてくれたのは……、俺じゃないんだがな」


++++++++++


 フィナの墓は、彼女の故郷ジル・デュールにつくられることになった。


 フィナの両親と兄には、彼女が戦いで命を落としたことを伝えた。だが、両親には信用されなかった。未来から遺体を運んで来れなかったのだから無理もない。それに、六十年前の世界——フィナにとっての現代では、デルンは実質上滅び、彼女の命を狙う者など最初からいないからだ。彼女の兄、ルットー・ディスウィニルクだけは状況を察したようだが、それでも酷く狼狽し、それきりなにも話さなかった。


++++++++++


 ベブルとムーガは、夜空の下、ふたりで星々を眺めていた。


 ムーガはベブルの腕にそっと寄りかかっている。


「わたしとスィルは、どうして消えなかったんだろう?」


 答えは半分、出かかっている。



 時の大海原はそのとき、大時化だった。荒れ狂い、渦を巻く。なにが彼女をそれほど怒らせたというのだろうか。



 ベブルは手をかざす。


 闇の中に輝く星々と同じように、彼の指に嵌っている星も、輝いた。


 結局、これの礼はできなかったな。ベブルは思った。後でなにか返そうと思ってたんだが、相手がいなくなっちまった。


 ベブルは手を下ろした。


 俺はもう、弱虫じゃない。


 ありがとな、デューメルク。



 そういや、お前も星空が好きだったんだよな——。

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