第二十一章⑥ 冷たい雨の中で
「さて、邪魔者は消えたな」
血の付いた剣を、ミスクは振り回していた。血糊を振り払っているのだ。
ザンも、ソディも、ヒエルドも、大量の血を流して地に伏していた。ヒエルドのペットである魔獣ディリムのシュディエレは、三人よりもずっと先に倒されている。
さらには、ユーウィが住み込んでいる服屋の夫婦も、その剣に斬られて倒れていた。彼らは、ユーウィを守ろうと飛び出したのだ。
ミスクはその剣の切っ先を、道端に立ち尽くすユーウィに向けた。
ユーウィは他の三人が戦っている間に、服屋の二階から巨大な魔剣『
「どうして、こんな酷いことをするんですか!」
ユーウィの細い両腕は震えていた。
分厚い雲が太陽の光を遮り、空は暗くなっている。
ミスクは嗤う。
「酷い? 確かにな。だけど、元はと言えば、こいつらが邪魔したのが悪いんだ。わたしは最初から、あんたに勝負を申し込んだ」
「どうして……」
「最初からあんたが勝負してくれれば、こいつらは死なずに済んだ」
「わたしは……」
周囲では、ボロネ村の住民がその様子を窺っていた。恐怖に怯えながら。村でも評判の娘であるユーウィが剣士に攻撃されているのならば、誰かが助けに入ってもおかしくなかった。だが、いまは違う。ザンやソディとの激闘を見たからだ。魔王や神を倒してしまう剣士を相手に、誰が太刀打ちできるだろうか。
ミスクは剣を手に、ユーウィへと突進する。
「行くぞ!」
ユーウィは必死に身を守ろうとする。すると、彼女の前に魔力障壁が現れた。ミスクの剣はその障壁で止められる。
「なかなかいい障壁をつくるじゃないか!」
魔力障壁の上から、ミスクは何度も斬り付けた。見事な剣捌きでの連続攻撃だった。だが不意に、ユーウィが突き返す。この突然の攻撃に、ユーウィ自身が驚いていた。これは意図した攻撃ではなかった。
ミスクはそれを間一髪で回避した。頬に傷が付く。彼女は不敵に笑う。
「カウンター攻撃の
そう言っている間にも、ユーウィの二撃目、三撃目がミスクを切り捨てようとする。ミスクはそれを、完全に見ながら躱していた。
ユーウィはというと、その大きな剣を振り回しているのではなく、逆に振り回されていた。それでいて、並みの剣士ほどの攻撃ができているのだ。この魔剣の性能は異常なまでに高い。
「初心者なら初心者で、面白くなってきたな」
ミスクは笑っていた。そして、楽しそうに、ユーウィの持つ魔剣『
だが、魔剣『
「おっ」
嬉しそうに、ミスクは声をあげた。
無言のまま、ユーウィは魔剣『
ユーウィの声は震えている。
「貴女は……。貴女は、許されないことをしました。ですから、ここでわたしが倒します!」
『すべてを消し去る破壊の力』を使って、ユーウィはミスクに斬りかかった。魔剣『
あわやミスクは頭から斬り付けられ、この世から消滅するかに見えた。だが、彼女は身体を捻って、それを躱していた。魔剣『
ミスクの手がユーウィの首を捕らえる。その逆の手には剣が握られている。魔剣『
「結構面白かったぞ。それじゃあな」
ミスクは不気味に嗤い、剣でユーウィを貫こうとした。
突然、ミスクは吹き飛ばされた。彼女は横様に空中を滑り、頭から服屋の壁に叩き付けられた。
ベブルが助けにやって来たのだ。長距離を走ってきたために、彼は少し息が荒く、そのために肩も上下していた。
「まだ……、無事だったな」
「ベブルさん!」
ユーウィの目から、堰を切ったように涙が零れた。
雨が降り始めた。天候が崩れて来ている。
ベブルはいよいよ、ユーウィとムーガがよく似ていると思った。ユーウィは、いまのいままで戦っていたたというのに、彼が来るやいきなり泣き出したのだから。
建物の壁に頭を打ち付けたミスクは、ゆっくりと立ち上がった。そして振り返り、ベブルたちのほうを向いた。頭からは血が流れていた。彼女はその頭を触って、手にべっとりと付いた真っ赤な血を見る。
「くう……、やられたな」
だがまだ、ミスクは剣を手放してはいなかった。
ベブルは彼女を睨み付ける。
「お前が、ミスクとかいう奴なのか? レイエルスの神の神にしちゃあ、ただの人間のように見えるんだがな」
「……オルスたちは言ってないのか。わたしたちは本来、世界に干渉するときには、『人間の姿』で干渉するのさ。少なくとも、わたしはそうしている。……だが、オルスたちは、神になりたいらしくてな。度々規則を破る」
「どういう意味だ?」
「あいつらは、その世界での自分の『器』を、『人』ではなく『神』にしてあるってことだ。寿命も長くて、大体人間には崇められる。特典もてんこ盛りだ。『現実逃避』も甚だしい……。だが結局は、その『器』さえも捨てて、管理者権限で入りだした。一層駄目なやり方だ」
「一体なにを言ってるんだ? どういうことだ、人間で干渉するとか、神の特典とか、現実逃避とか、何の話をしてるんだ? お前たちには、それが選べるのか?」
ミスクはこともなく肯定する。
「そうさ。わたしたちが世界に干渉する形態は自由。人間でも神でも。あいつらは自分が設定した『神』や『人』を『乗っ取る』ことで干渉するしかないんだが、わたしの場合は、好きな時間と好きな場所に、自分の愛用の『器』を創り出すことができる。そのあたりが、開発者と利用者の違いだな」
ベブルは更に、ミスクへの睨みを強くする。
「お前の言ってることはさっぱり解らんな。要は、ややこしい話で俺を混乱させようってんだな」
ミスクは苦笑する。
「訊かれたことを説明しただけだが……。まあいいさ。人間に理解できるとは思ってない。ただそうやって、わたしは人間としてここへ来た。だが本質的には、オルスたちと同じだ」
「お前も『破壊の力』を?」
「まさか、そういう意味じゃない。そういう『管理者権限』は、いまのわたしは持ち合わせてないんだ。人間だからな。だから、ただの人間のはずのお前たちに、どうしてそれができるのか……。それが気になったんだ」
「それで……、どうした?」
ミスクは溜息をつく。
「わからない。だからとりあえず、殺すことにした。こんな事態は、いままで見たこともないからな」
「それを先に言いやがれ」
ベブルは構えた。敵か味方か、それだけ判明すれば十分だ。もっとも、敵だとはわかっていたからこそ、ミスクを蹴り飛ばしたのだったが。
「ユーウィは下がってろよ。……左手には“
ベブルは彼の後ろにいるユーウィにそう言った。慌てて、ユーウィは自分の左手の手袋を見る。彼女は驚きの声をあげる。
「あ、ありました。そうです、これ、魔法が使えるんですよね」
「じゃあ、それを使ってくれ」
ベブルはそう、ユーウィに頼んだ。彼はこうすることで、ミスクが回復手たるユーウィを狙って攻撃するのではないかと危ぶんだが、そのような様子はない。
ミスクは剣の切っ先をベブルのほうに向ける。
「じゃあ、お前と勝負だ。オルスたちとの戦いは見せて貰った。かなりやるようじゃないか」
「ああ、まあな」
「わたしの剣は魔剣だ。かなり斬れるから、注意しろよ」
「なんだと?」
なぜそんなことを言うのか、ベブルにはまったく理解できなかった。彼を殺したいのならば、そう言わずに斬って捨ててしまえばいいだけの話だ。
「知っていて貰わないと困る。そうじゃないと、面白くなる前に終わってしまうからな!」
ミスクは魔剣を手に、走り出した。
水平に、剣が振り出される。その一撃を、ベブルは避ける間もなく脇腹に受けることになった。
速い!
ベブルはそう思った。ミスクの剣術は、尋常ならざるまでの速さと威力とを兼ね備えている。ミスクは戦いながら言う。
「魔剣って言っても、わたしの持っているような型のはこの世界にはないようだから、驚いただろう?」
しかし、その魔剣の攻撃を受けても、ベブルの身体が切り裂かれることはなかった。
「へえ、強いじゃないか」
魔剣を連続で叩き込みながら、ミスクは笑った。非常に満足そうなその笑みは、もはや戦いを楽しんでいるようにしか見えない。
魔剣の攻撃を、ベブルは両腕で防御することに成功した。そして、反撃とばかりにミスクに向かって殴り掛かる。だが、その一撃は彼女のつくり出した魔力盾に阻まれる。
「やるな」
ミスクは笑っていたが、ベブルはその相手を長々とはしていられなかった。すぐに彼はその腕に『力』を発動させ、それで彼女の魔力盾を叩き割った。そして更に、その『力』で彼女を消し去ろうとする。
だが、ミスクのほうが速かった。彼女は早口に呪文を唱え、魔法でベブルを撥ね飛ばしたのだ。
ベブルは仰向けに倒れ、そのまま後ろに飛んで立ち上がる。吹き飛ばされただけで、大した損傷は受けていない。
そのときには、ザンが、ソディが、そしてヒエルドが立ち上がった。だが、服屋の夫婦は目を覚まさなかった。このふたりは死んでしまったのだ。その傷すら、“治癒の魔法”で治すことが叶わなかった。
「ベブル……! 来てくれたのか!」
ザンはそう言って、頭を左右に振った。魔剣『ウェイルフェリル』を拾う。
ヒエルドも、ベブルの存在に気がつく。
「ベブルンルン! この女の人おかしいねん! いきなり来て剣振り回して、桃色の子襲って……、あと、シュディエレも……」
それから、ソディが言う。
「ベブル・リーリクメルド殿、協力に感謝する。……フィナ殿はどこにおられるのか?」
「あいつは百八十年後にいる」
ベブルはそう答えた。この発言は、ザンやソディにとって、事態の理解を可能にするようなものではなかった。ヒエルドに至っては、ソディがなぜそのような質問をしたのかさえ解ってはいないので、問題外だった。
「デューメルクは向こうで戦ってる。俺は別の『指輪』を使って、ひとりでここに来た」
ザンは一応、納得する。
「そうだったのか。だが、『戦っている』ということは、戦いの最中に抜けて来たんだろう? 大丈夫なのか?」
ベブルは確信を込めてうなずく。
「大丈夫だ。俺もすぐ向こうに帰る。それに、あいつなら信頼できる。あいつになら、ムーガを任せて大丈夫だ」
雨が強くなってきた。雲の上で、なにかが渦を巻くような、低い音が響いている。
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