第二十一章④ 冷たい雨の中で
ユーウィはずっと椅子に座って、布を織っていた。
ユーウィは暫く黒魔城で世話になったあと、自分の生活を営むためにボロネ村に移住したのだ。そして、その村の服屋に雇って貰い、布を織ることをなりわいとしていた。彼女は現在、その服屋の二階の一室で暮らしている。
やっとまた一枚仕上がった。
ユーウィはそう思って、できあがった布を丁寧に畳むと、籠の中に入れた。籠には、彼女が今朝から織った分の布が積んであった。
ユーウィはそれを持って、機織り部屋を出た。廊下へ出ると、そこで店の主人と出くわした。彼女は店主に言う。
「またこれだけできました」
「今日は上で休んでてええって言うたやないか」
店の主人は苦笑いした。ユーウィは本当によく働くのだ。
「でも……、なにかしていないと落ち着かなくて……」
ユーウィも苦笑した。それを見て、店の主人は笑う。
「ははは、そいじゃあ今日は布を織るのは終わりにして、店のほうを頼もうかいな。俺やカミさんがおるよりも、お客さんもようさん来るやろしな」
「はい、お店の番をしますね」
そう言って、ユーウィは布を持って廊下を歩いていく。そして、布を別室に置くと、表口の傍にある店のほうに行った。
ベブルたちが現在いる時代よりも百八十年前のボロネ村は、非常にのどかな村で、通りさえ十分に整備されていなかった。建物が疎らにしか存在しないので、『通り』が形成されないのだ。むしろ、ボロネ村という名前の広大な広場があって、そこに何軒か建物が気ままに建っているような雰囲気だ。その『広場』のいくらかは、耕されて畑になっている。
店の前を通るのは、耕作に使う大型動物を率いた男と、遊んでいる子供たちの小さな団体くらいで、そのあとには誰も通らなかった。実に静かな村だ。
時がゆっくりと流れている。ユーウィは壁際の椅子に座ったまま壁にもたれ、村の上を覆う澄み渡った空を眺めた。
温かい風が吹く。
本当に、この村はいいところだなあ。
いつの間にか彼女は、うたた寝をしてしまっていた。
「すみませぇん」
ユーウィは情けない声に起こされた。見ると、店の前に、黒いぼろぼろの服を着た、薄汚れた若者が立っていた。彼は後ろに大犬の魔獣ディリムを従えている。魔獣は魔獣だったが、どうやら飼い馴らされているようだ。
魔術師の使い魔なんだ。
ユーウィはそう理解した。実際、それに近いものだったので、彼女の解釈は間違ってはいなかった。彼女は居ずまいを正す。
「すみません。なにかお探しですか?」
空は知らぬうちに曇ってきている。雲行きが怪しい。先程まではあれほど晴れ渡っていたというのに。
「僕の服、ずっと着てたらいつの間にか破れててん。繕おうと思たんやけど布がなかったから……」
この客は、フグティ・ウグフに魔法を学びに行っていたヒエルド・アールガロイだった。彼はボロネに里帰りしているのだった。
ユーウィは椅子から立ち上がる。
「黒い布ですね。合いそうな色を探してみますので……。ええと、これと……、これと……」
ユーウィは次々と、棚から布を抜き出していく。
「あの」
ヒエルドが言った。何事だろうと、ユーウィは顔を上げる。彼は言う。
「僕、持ってるお金少ないから、一番安い奴でいいです。色は別に、黒じゃなくてもいいです」
ユーウィは小首を傾げる。
「でも、色が合いませんよ。折角黒のローブですから」
ヒエルドはぶんぶんと首を左右に振る。
「これ、近所のお兄さんから貰った服で、別に僕が黒い服が好きなわけとは違うんです。だから、何色でもいいです。むしろ、違う色のほうが綺麗かもしれへんけど」
「わかりました」
そう答えて微笑むと、ユーウィはまた棚を探し始めた。
ええと、一番安く売ってもいい布はどれだったっけ。
「少し訊きたいんだが」
新しい声がした。
「少々お待ちください」
ユーウィは手を止めず、安い布を探した。棚の一番下に目当てのものを見つけると、屈んでそれを抜き出した。そして、立ち上がって売台に置く。それから、新しく来た客のほうを見た。
そこにいたのは、剣士の風貌をした若い女性だった。額の真ん中で分けた赤褐色の髪は長く、その瞳も褐色だった。どことなく、意志の強そうな表情をしている。彼女は腰に細い剣を下げている。
だが、ユーウィが気になったのは剣士の女性ではなく、彼女の後ろにいるふたりだった。男女のようだったが、髪は真っ白で瞳は紅く、顔には何か不思議な模様が描かれている。ふたりはその剣士の女性の連れのようだ。先客の連れてきた大犬の魔獣が、異様なまでにその三人を警戒している。
変わった人たちだな。
ユーウィはそう思ったが、客は客だ。いつものように応対する。
「なにかご用ですか?」
「お前は『力』を持っているだろう?」
剣士の女性は奇妙なことを言った。
「力?」
「ものを消す『力』のことだ」
ユーウィはうろたえる。
「あの……。どうしてそれを」
それから、剣士の後ろから、白髪の男が言った。
「おい、ミクラ。お前の見つけた三人目というのはこれか? これなら百二十年後の奴と、百八十年後の奴のほうが面白そうだ」
剣士の女性は振り向いて、うなずく。
「かもしれんな。だがオルス、この世界での、わたしの名前はそれじゃない。何度言わせる気だ」
オルスは大きく息を吐く。
「悪かった。……その『器』の名称は、ミスクだ」
ミスクと呼ばれた剣士の女性は、溜息をつきながら肩を竦めた。そしてそれから、またユーウィのほうを向く。
「わたしと戦って貰う。勿論、その『力』は完全に使ってくれていい」
そう言って、ミスクは腰に下げている剣に手を掛け、抜き放とうとした。隣に突っ立っていたヒエルドは驚いて声をあげる。
「な、な、なにするん? 剣なんか出して!」
そこへ、魔導転送装置で飛んできたザンとソディが駆け付ける。ザンが叫ぶ。
「ユーウィに何をするつもりだ!」
それを聞いて、ミスクはそちらのほうを見る。依然、手は剣の柄に掛けたままだった。彼女は不敵な笑みを浮かべる。
「ああ、お前たちが噂の魔王たちだな。……いいだろう、相手になってやろうじゃないか。人界アーケモスは、アーケモスのみがいい。神界レイエルスや魔界ヨルドミスが混じっているのは不純というものだ」
ミスクは剣を抜き、ザンとソディに対して構えた。
だが、オルスはわざとらしく溜息をつく。
「俺には退屈だ。俺はやはり百八十年後の世界に行かせて貰うとする。どうやらもう、あの“奇妙な奴”も消えたようだしな。百八十年後のあのふたりを相手に遊ばせて貰うとする」
オルスはそういい残して、歩き去る。隣にいた、マナもそれに同意した。
「同感だね。ここの連中は、人間の姿で来たあんたひとりでも十分だよ、ミスク。私はエアを怖がらせて来れなくさせた、あのふたりにまた挑戦してみるとするよ」
そして、ふたりとも歩き去った。
ザンとソディは、そのふたりを追うべきかもしれないと一瞬考えたが、そうするのはやめた。目の前で剣を構えるこの赤毛の女のほうが、より脅威だと思われたからだ。
ミスクは意識を集中し、魔力を高める。
「さあ、魔王。どれだけの力を見せられるかな」
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