第二十章⑨ 彼を変えたものは
結局、ファードラル・デルンは生き延びた。ベブルたちは、この結果を持ち帰るため、六十年後の未来世界へと飛んだ。
ベブルたちがナデュクの遺した『隠れ工房』に帰ると、そこには、ムーガとスィルセンダ、ウィード、レミナの他に、三人が加わっていた。ザンとフリアとソディだった。彼らは、死ななかったことになったのだ。
ウィードが、帰ってきた仲間たちを迎える。
「お帰りなさい、皆さん。デルンを倒すのは、うまくいったようですね」
だが、ベブルはウィードの言葉を訂正しようとする。
「いや、デルンは——」
ザンが、ウィードの後ろから言う。
「ウィード、なにを言ってるんだ? ベブルたちはデルンを倒してない——そうか、ウィードは歴史改変を見ることができるんだったな」
ウィードはとりあえずうなずく。それから、ベブルのほうを見る。
「ええ、まあ。……どうなってるんですか? ザンさんが蘇ったってことは、てっきりデルンを倒したものと思ったのですが……」
「ああ、まあな。デルンの奴は、アーケモスの支配をやめると宣言した。それで、生かしておくことにした。だが、不老の薬がなくなったから、この時代までには死んでいるはずで……。ってお前、ザンが『蘇った』ってどういうことだ?」
ベブルは、ウィードの言葉の中の言い回しに気が付いた。それについて、ウィードは説明する。
「ザンさんたちは元々、この時代に生きていた人たちですよ。それがいつの間にか、デルンと相討ちで亡くなったとか、デルンが勝ってアーケモス帝国になったとか、そんな風に歴史の書き換えがあったんですよ。……ご存知ないですか?」
ベブルは困惑する。
「いや……。俺が知ってるのは、俺の時代より前に、デルンと相討ちで死んだってところからだ。元々は生きてたんだとしたら、これで元に『戻した』ことになるのか?」
ウィードはうなずく。
「大筋ではそうです。ですが本来、デルンは百八十年前に死んでいたはずです。それが六十年前にも生きていたことになって、どうやら文明は発展したままのようですよ。アーケモスの発展は、デルンの存在に負うところが大きいですからね」
椅子に座っていたムーガが立ち上がり、ベブルのところへ小走りに駆ける。
「ベブル! お帰り。“神の幻影”と戦うときには帰って来てくれるって約束、ちゃんと守ってくれたね! 『アーケモスの救世主』の力、一緒に見せ付けてやろう!」
ムーガは、美しいその顔に、無邪気な笑みを湛えていた。
「ああ……、そうだな」
ベブルは思った。やはり、ムーガの過去は書き換えられている。ジル・デュールが滅んで嘆いたときのこと、ヴィ・レー・シュト、シムォル、そして『真正派』が滅んで涙を流したときのこと、自分の失敗で兵士たちを大勢死なせてしまって後悔したときのこと、アーケモス全体から支持を失って自信をなくしたときのこと、この工房から外へ出たくないと言ったときのこと、全部、忘れてしまっている。
「どうしたの?」
ムーガは不思議そうに首を傾げた。だが、ベブルは何も答えずに、首を横に振った。そして、彼女を抱き締めた。力一杯。
いや、これで良かったんだ。つらい過去は、なかったほうが。
「ねえ、どうしたの?」
ムーガの声は上擦っていた。ベブルは彼女を離す。
「何でもない。ただ……」
「ただ?」
「……いや、止めとく」
ベブルは答えなかった。そして、ムーガに背を向け、歩いていこうとした。ムーガはその途中で、後ろから彼に抱きつく。
「歴史が……、また変わったんだね?」
ベブルは答えなかった。
「でも、わたしはいまでも、ベブルのことが好きだよ。絶対に」
それを聞いて、ベブルは驚いたが、やがて微笑った。彼はムーガの手を解き、彼女のほうを向き、その両肩を掴む。
「わかってるんだ。そんなこと。ただ……、いや、悪い。それが一瞬、不安になっちまった。悪かった。信じるはずだったのにな」
「ベブル……」
その場面に割り込んだのはスィルセンダだった。
「ちょっと、よろしくて? おふたりとも、離れてくださいな。本当に歴史が変わってしまったらどうするのです。ベブルさん、貴方にはフィナさんがいらっしゃいますでしょう?」
フィナは無言だった。
ザンは苦笑いする。
「なるほど、ムーガはベブルのことが好きだと聞いていたが、本当にこんな感じだとはな」
「笑いごとではないのではないか?」
そう言ったフリアは、最早ザンと同じくらいの歳——二十歳前後に見えるほどに成長していた。彼女の成長は、ここで止まっているのだ。老化が訪れるのは、遥か先のことだ。
「歴史が変わってムーガが消えてしまえば、『アーケモスの救世主』が存在しなくなってしまうのでは……。いや、スィルのことを無視しているわけではないんだが」
スィルセンダが自分を睨んでいるのに気づいて、フリアは最後の言葉を付け足したのだ。
それでも結局、スィルセンダは拗ねてしまう。
「いいですわよ。どうせわたくしは、ムーガの従姉妹ですのに、同じようにベブルさんとフィナさんの孫ですのに、何の力も持ってませんわよ。どうせ、どうせ」
そしてスィルセンダは椅子に座り、卓の上に顔を伏せた。そんな彼女に対して、ソディがいつもの低い声でゆっくりと言う。
「卑下するな。スィルにはスィルの力がある」
「それより」
ベブルがそう言うと、スィルセンダは過剰に反応し、伏せていた顔を勢いよく上げた。彼女は叫ぶ。
「それより、なんて言わないでください!」
「いや……、お前に言ったんじゃないんだが……」
ベブルがそう言うと、スィルセンダはまた、顔を伏せる。
そのあとで、レミナが付け足す。
「その可能性もあります」
まず、ベブルはザンたちに、生き延びたファードラル・デルンがどのようなことをしたのか訊いた。“神の幻影イフィズトレノォ”との戦いに命を掛けると約束した彼が、一体なにをしたのか。
「結局、デルンの奴はどこまでわかったんだ? “イフィズトレノォ”のことを」
ベブルの質問に、ザンは苦笑いを浮かべて首を横に振る。
「いや……、はっきりとしたことはわからなかったようだ。六十年前にデルンを改心させてからいままで、奴ら——レイエルスの神の神は、一度たりとも現れなかったんだ。調べるには、なにも情報がなかったんだ」
「なに……、一度も?」
ベブルの疑問を受けて、ソディがゆっくりと語る。
「うむ。その代わり、デルンは神界レイエルスに何度も足を運び、神殿内の文字の解読を試みたようだ。最終的に、意味は取れるようになったようだが、重要な内容は石碑に書いてあるようだった」
ベブルは溜息をつく。
「石碑……か。あれはノール・ノルザニが潰されたときに、消えちまったからな」
そこへ、フリアが訂正する。
「いや、ベブル。あの石碑は無事だったんだ。“
「なに……。そんな馬鹿な」
「だが、いつの間にか消えていたという話だ。時間の経過とともに消える仕組みになっていたのではないかと、デルンは言っていた」
今度はザンが言う。
「デルンが言語体系を明らかにしてから石碑の所へ行ったら、石碑が消えていたという話だ。結局、デルンには亡くなるまで石碑を読むことはできなかった」
「つまり、あいつにはなにもできなかった、ってわけか……」
ベブルは落胆する。だが、石碑が六十年前のノール・ノルザニにまだ存在すると判ったのは、一歩の前進だった。そこへフィナを連れて行けば、もしかするとなにかわかるかもしれない。
更にザンは、ファードラルの功績を付け加える。
「デルンもわからないなりに色々やったんだ。……今度見付かったデルンの手記に、地下研究施設の封印領域への行き方が書いてあったんだ。いわく、そこには『宝石のない指輪』——通称『護りの指輪』があるそうなんだ。ムーガとスィルの分と俺たち四人の分と、合わせて六つ、造っておいてあるんだそうだ」
ムーガが嬉しそうに、ベブルに言う。
「わたしたちは、そこへ行くつもりなんだ。ね? これでわたしたちも歴史改変を受けなくなるんだよ。今日はもう遅いから、明日にしようか?」
ベブルは複雑な心境だった。歴史改変前の今日、『時空の指輪』を諦めた人間が、どうしてこんなに笑って、そんなことを言えるのだろうか。いや、それこそ、歴史改変の影響にほかならない。
そこで、ディリアが言い出す。
「それじゃあ、わたしたちは一度、学術都市フグティ・ウグフに戻ることにするわ。デルンが改心したのなら、『アールガロイ真正派』は滅びてはいないはずだから。行って確かめて来ようと思う。なにかあれば、呼んでくれるといいわ」
特に異存はないので、ベブルは了解した。ディリアとウェルディシナは、工房内の魔導転送装置を使って出て行った。
「俺たちも、そろそろ帰ろうか」
ザンは黒魔城組——フリア、ソディ、レミナにそう言った。
「そうだな」
フリアとソディが同意し答えた。レミナも同じようだった。
「じゃあムーガ、俺たちは黒魔城に帰る。明日、デルンの地下研究施設の近くに着いたら連絡してくれ」
「わかった」
ムーガがそう答えると、ザンたちも部屋を出て、転送装置で帰って行った。
『隠れ工房』に残ったのは、ベブルとフィナ、ムーガとスィルセンダ、ウィードと、そしてオレディアルだった。
ベブルが見ると、ウィードはムーガとスィルセンダに話をしていた。いままで、ベブルたちがどこへ行っていたか、なにをしていたかを教えているのだ。ウィードが歴史改変を受けないことは、彼女らはふたりとも知っている。だから、ふたりはベブルたちになにが起きていたのかを、じっと聞いていた。
話を聞き終えると、ムーガは椅子に座っているベブルのほうに、笑いながら歩いてきた。彼女は言う。
「デルンとの戦い、ご苦労様。アーケモスの平和を守ってくれてありがとう」
「ああ……、まあな」
「それじゃ、ちょっと待っててよ。いま美味しい料理つくってあげるから」
「……無理すんなよ」
「なにそれ! スィルとフィナに教えて貰って、少しは上達したんだから。そんなこと言うからには、絶対に美味しいって言わせてやるから!」
ムーガはわざと怒ってみせた。
その後、工房に残った全員で食事を取った。ベブル以外の面々は、フィナとスィルセンダがつくった料理を食べていたが、彼だけはムーガのつくったものを食べさせられる破目になった。それはやはり、形も酷く、味も酷いものだった。
ベブルはそのとき、歴史が改変されても、絶対に変わらないものがあるのだということを確信した。
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