第二十章⑧ 彼を変えたものは
そのあとで、クウォエとその部下の白ローブの魔術師は帝都デルンに送り返された。
一方で、ファードラル・デルンは黒魔城に残った。彼をどう始末すべきか、ベブルたちは城の中で、広い卓を囲んで相談していた。
聞くならく、ファードラルはすでに不老の薬を破棄し、“赫烈の審判”の機能を停止させていたという。ザンは、これならばもう放っておけばファードラルは年老いるのだし、強力な魔導兵器もないので無害なのではないかと言ったのだった。
しかし、フリアがそれを拒否する。
「甘いな。この男はこれまで、私たちを執拗に攻撃してきたんだ。この場で抹殺すべきだ」
フリアは既に、その手に大槍を持っている。確かにこれで突き刺せば、ファードラルはすぐに死ぬだろう。
「だがフリア、デルンはもう実質上は終わったんだ。どの地域も支配しないと言ってるし、さっきだって病気の子を助けたじゃないか」
「それが甘いと言っているんだ。あんなものは小芝居だ。私たちは、それにつき合わされただけだ。このまま放っておくと、こいつはまた私たちに危害を加えることになるぞ」
フリアの言葉に、レミナが相槌を打つ。
「その可能性はあります」
それから、ウェルディシナが強く同意する。
「その通りだ。いま奴を殺せば、この先失われるはずの百万人単位の人間の命が救われる。この数ならば、予防策として奴を殺すくらいわけはない」
彼女らの予防的手段には理がある。この先大罪を犯すはずのファードラルを殺すことは安全対策だと言える。だが、ザンにはその決定ができない。
フリアは彼を睨み付ける。
「ザン、レミナに危害が及んでもいいのか?」
ザンは少し気圧されたが、言い返す。
「それは困る。だけど、どんなことがあっても、危害がないようにする。それは絶対だ」
「ならば、殺しておくのが一番安全だろう」
「俺はできる限り、アーケモスの人間は殺したくないんだ」
「生かしておく」
不意に、フィナがそう言った。全員の視線が、彼女に集まる。彼女はそれから、また、こう言う。
「リーリクメルドがそう考えている」
「俺が?」
ベブルは自分自身を指差した。フィナは深く頷く。
「そう。結局、殺さなかった」
ベブルは溜息をつく。
「……ああ。まあな。だがそれは、俺の考えだ。こいつには、まだやることがある」
「やること、だって?」
フリアが噛み付いた。だが、ベブルは落ち着いたまま、首を縦に振る。
「“神の幻影イフィズトレノォ”を相手に戦わせる」
真剣な表情で、ザンが問う。
「ベブル、一体、“イフィズトレノォ”っていうのは、何のことなんだ? デルンタワーにいきなり現れた、あの白い奴らのことなのか? 奴らは一体、何者なんだ?」
「わからねえ。あいつらが“イフィズトレノォ”なのかどうかすら……。ただ、“神の幻影”の“イフィズトレノォ”がムーガの身体を乗っ取って、未来のアーケモスを滅ぼすことになってやがるんだ」
「ムーガ? 誰だそれは」
フリアが訊いた。彼女が知らない名前だ。それに気が付いたベブルは説明を試みる。だが、それは一筋縄ではいかないものだった。やっとのことで、彼は一言だけ言う。
「俺の……、孫だ」
ソディが先刻の戦闘を思い出す。
「奴らは、自らのことを、神を創った本当の神だと言っていた。そうだとすれば……、我々レイエルスの神にでも勝ち目はない」
そこに、ザンが付け加える。
「そうだとすれば、ベブル。さっきの戦いで見たように、当てになるのは、君の『力』だけということになる」
ベブルは腕を組んでいる。
「それで思うわけだ。奴らが何なのか、奴らの弱点は何なのか。それを探るのに、デルンの力が使えねえかと思ってな。いまのところ俺の拳しか奴らに効かないが、奴らに効く武器を造れるなら、俺以外でも戦えるはずだ」
「“アドゥラリード”は問題外だが」
そうフィナが補足し、ベブルは無言で首肯した。
「つまり、デルンには残りの命を掛けて、“イフィズトレノォ”のことを調べ、その対策を考えさせるということですね?」
オレディアルがそうまとめた。彼もまた、“イフィズトレノォ”を倒すために生きている者だ。彼は今や、ムーガに対して誓ったことを、最後まで守り抜く覚悟だ。
ザンは指を組む。
「魔界ヨルドミスと、神界レイエルスに戦争をさせた奴ら……。それが、アーケモスに来たっていうのか……。しかも、虐殺を楽しんでいる、狂った奴らが……」
フリアは溜息をつき、歯噛みする。
「わかった。いいだろう。デルンは生かしておく。だが、“神の幻影”のことを探らないのだとすれば、私がこの手で殺す」
「それで決まりだ」
そう言って、ザンはファードラル・デルンのほうを見た。一連の流れを見ていたファードラルは、無愛想に訊く。
「決まったのか?」
ザンは肯定する。
「ああ、君は生きる。“イフィズトレノォ”という奴のことを探るのが条件だ」
「だがそれは、レイエルスの神の神。レイエルスの者の方が詳しいのではないか?」
フリアはかぶりを振る。
「いいや。レイエルスの最高位神を祭っていたのは、相当高位の神だけだからな。ここにいる全員が関わりのない相手だ。唯一、高位の神であるレミナは若すぎて、相手のことを知らない」
ファードラルは苦笑する。
「それは参ったな。随分と骨の折れる仕事のようではないか。それに……、罪は償えぬものだ。この世から消えたノール・ノルザニの者たちの敵を討ちたくば、俺の『指輪』を奪えばよい。俺が“神の幻影”とやらを探ったところで、贖罪にはならぬ」
「その通りだ。ならない。まったくならない。死にたければここで——」
ウェルディシナは立ち上がり、ファードラルを殺しに行こうとした。それを、ソディが止める。
その間に、ファードラルはベブルたちのほうを見廻し、こう言った。
「……ナデュク・ゼンベルウァウルの姿が見えぬな。
そのあと、全員が黙った。ザンたち黒魔城の住人は、なりゆきを知らないために沈黙し、ベブルたちはなりゆきを知っているために沈黙していた。
やがて、ディリアが、卓に両手をついて立ち上がる。
「ナデュクは……、あんたが殺したんじゃない!」
「な……」
ファードラルは面食らった。
「あんたが殺したのよ! 六十年後の未来でね! あんたが“アドゥラリード”に殺させたのよ! 自分で殺しておいて、何なのよ、その言い草は!」
「そうか……、すまぬ」
「すまぬ、じゃないわよ!」
それから、また、沈黙があった。卓の上に、涙が零れ落ちる音が聞こえた。
ファードラルは目を瞑っている。
「約束しよう。俺はこの罪を負ったまま、“神の幻影”との戦いに協力しよう。アーケモスを守るべく、残された命をすべて提供しよう。アーケモスはアーケモスのものだ」
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