第二十章⑦ 彼を変えたものは
ベブルたちは黒魔城の前に到着した。魔王ザンがクウォエを抱え、城に向かって歩き始めると、城の大きな重い扉がゆっくりと開き始める。そこから、少女が出てきて彼らを迎えた。彼女は、レミナだった。
ザンはレミナに言う。
「診断・治療器具を用意してくれ。できるだけ早く」
レミナは了解して城の奥へと走っていったが、このころにはすでに、クウォエの容態は急変し、彼女は苦痛に呻きをあげ続けていた。
「急いでくれ!」
ファードラル・デルンが叫ぶように言った。
ザンは走った。急ぎ、彼はクウォエを病気の治療が可能な部屋の寝台の上に寝かせた。延々と、彼女は痛みに身悶えし、悲痛な叫びを上げていた。
「早く!」
ザンも焦っていた。フリアとレミナが機材の準備に取りかかるが、まだ時間がかかるようだった。
ここまでついてきた白ローブの魔術師には、できることはなにもなかった。彼はただ、祈るばかりだった。
診断器具の準備が整い、クウォエの病気の診断が始まった。その間に、ソディは調剤器具の準備に取り掛かっていた。
だが、診断の結果、この病気を治す手段が不明であるということがわかった。不老薬を発見するほどの薬の専門家であるファードラルに解明できなかった病気なのだ。魔界ヨルドミスでも治せない病気だというのには、合点がいく。
クウォエは意味不明の叫びを上げ続けている。もう助かりそうにもない。
オレディアルが低い声で言う。
「いまからでは、余りの指輪で未来に連れて行くにしても、もう本人が魔力を使えなさそうだな。いや、未来の技術でも治せるのか……」
「いいえ、すぐに治す方法なら……あるわ」
ディリアが、呟くような声でそう言った。
ファードラルは、ディリアの前に跪く。
「何だというのだ。教えてくれ、頼む」
「これは、見たところ、流行性の病気ではなさそうよね。他の人間に感染するものではない。極めて特別な持病だった。……彼女は体質的に、病気に対して弱いんじゃないかしら?」
白ローブの付き添い魔術師が肯定する。
「そうです。ギステゴージェン様は、昔からこの持病にお悩みでした。それが年を追うごとに悪化し、このようなことに」
ディリアは手を口に当てる。
「じゃあ、この病気。他の人間にうつせば、大したことはなくなるんじゃないの?」
「そんなことができるのか?」
ウェルディシナが訊き、ディリアは肯定する。
「ええ。そういう先端魔法を扱えるの。人の中にある、悪しき要素を別の人間に移し替えるのね。魔法で受けた毒を、相手に返すような感じで、わたしは使うのだけど……」
ベブルは腕を組む。
「なるほどな。こいつにとっての深刻な病気も、他の丈夫な奴に移し替えれば、少しはマシかもしれねえってことか」
ファードラルはディリアに縋りつき、懇願する。
「それを頼む! ギステゴージェンの病を、この俺に移し替えてくれ!」
「正気か」
そう言ったのは、フィナだった。ファードラルは大きくうなずく。
「勿論だ。こやつを救えるのならば、俺の命など安いものだ。頼む、その術を施してくれ、時間がない」
「……わかったわ」
ディリアは溜息をついた。
ディリアの魔法は成功し、クウォエ・ギステゴージェンの容態は落ち着いた。彼女は寝台の上で、安らかな寝息を立てている。
クウォエを除く全員は、別の部屋に移動した。彼女は静かに寝かせておいたほうがよいからだ。
白ローブの魔術師は、いまだ血まみれのファードラルに礼を言う。
「本当に、ギステゴージェン様を救っていただいて、感謝の言葉も見つかりません! 本当に、ありがとうございます」
ベブルにとっては、ずっと疑問があった。この白ローブの男は何者なのかということだ。彼の口から出た質問は極めて率直だった。
「お前、一体何者なんだ?」
白ローブの男は答える。
「私でありますか。デルンを滅ぼすために集った、魔術師の組織、『
ベブルは正気を疑った。この白ローブの魔術師は、デルンが目の前にいる魔術師であることを知らないのだろうか。彼は更に問う。
「で、ギステゴージェンってのも、まさか『穢れなき双眸』じゃねえだろうな?」
「ギステゴージェン様は『穢れなき双眸』の指導者です。我々は、あの方の指揮の下、反デルンの魔術師の多いヴィ・レー・シュトに拠点を遷すはずだったのです」
ファードラルがかぶりを振り、白ローブの魔術師と目を合わせずに言う。
「その必要はない。デルンは滅びた。アーケモス帝国は、最早存在せぬ」
その言葉には、ベブルたちの誰もが耳を疑った。デルン本人がこんなことを言うなど、とても信じられない。
「では、貴方がたがデルンを倒したのですか? 『
白ローブの男は、視線をベブルのほうに向ける。先程ザンが、ベブルが“アドゥラリード”を倒したと言ったため、彼はデルンもベブルが倒したのだと思い込んでいるのだ。
「俺は魔術師じゃねえぜ。だが、デルンは俺が殺す。なあ、そうだろう?」
ベブルがそう言うと、白ローブの男は理解できずに首を傾げる。
ファードラルは首を縦に振る。
「いかにも」
「よし。じゃあ、俺について来い」
いよいよ始まるのか。ベブルの仲間たちは、そう思った。
ベブルはファードラル・デルンを連れて黒魔城の廊下を歩き、開いている大扉から外へ出た。青空の下へ出ると、彼は言う。
「お前が人助けとは、どういうことだ? しかも若い女とはな。お前はいくつだ? この、色呆け老人が」
ファードラルは答える。
「俺は今二百六歳だ。俺は若くはない。然様な感情にてこうしたのではない」
「じゃあ何なんだよ」
「あやつは……、俺の姉に実によく似ておるのだ。俺の双子の姉に」
「はあ?」
ファードラルは目を伏せたまま、腕を組む。
「俺が魔法を学び始めたのは、姉の病を治す為であった。魔法の薬の研究を始め、
しかし、ベブルは反論する。
「それが、ノール・ノルザニを滅ぼした奴の言うことか」
自嘲気味に、ファードラルは溜息をつく。
「その通りだ。あの炎で、実に多くの人間が、命を落とした……」
ファードラルは震えていた。彼の言葉は続く。
「俺は、最早二百年も生きたというのに……。それでも、お前たちに殺されたくはないと、死にたくはないと、そう願ってしまったのだ。俺は、お前が恐ろしかった。始めから。俺がお前に殺される命運にあると知った時から……」
「お前に運命を弄ばれた奴らが聞いたら何て言うだろうな」
「そうだな。いますぐ俺を滅ぼすがよい」
ところが、そこへクウォエ・ギステゴージェンがやって来る。彼女は壁伝いに歩いてきたようで、黒魔城の大扉に寄り掛かっていた。彼女は言う。
「『銀の魔術師』」
ベブルはファードラルに殴り掛かるのをやめた。ファードラルは振り返る。
「ギステゴージェン、目を覚ましたのか」
クウォエは覚束ない足取りで、ファードラルの方へと歩く。
「またお前の世話になったな。私の病気を……、肩代わりしてくれるなんてな。『代わってやりたい』と言ってくれる人はいたが、本当に変わってくれる者がいるとはな」
「気にするな」
「そういうわけにもいかないだろう。それに、お前、凄い怪我をしてるじゃないか。すぐに魔法で治してやるから」
「構わん、止めろ。身体に
「このくらい平気だ」
そう言って、クウォエはファードラルに“
「忠告した通りだ」
クウォエは苦笑いする。
「……すまないね。それで、大魔術師ベブル・リーリクメルド様が“アドゥラリード”とデルンを殺してくれたんだって?」
「……
「リーリクメルド様は?」
「あやつだ」
ファードラルはベブルを指差した。ベブルはなにも言わない。
クウォエは慌てて居ずまいを正し、ベブルに向かって礼を言う。
「本当に、ありがとうございます、リーリクメルド様。私たちは、デルンの圧政の下で、恐怖と無法の世界に生きていました。ノール・ノルザニが消滅したときと同じように、いつ、私たちの街が潰されてしまうのかと……。それでも、弱い私たちは、この辛い世界に細々と生きなければならなかったのです。ですが、これからようやく変えていくことができます」
しかし、ベブルには、なにも答えられなかった。彼は頭の上に両手を組んで、適当に、無言で相槌を返すだけだった。彼の代わりに、クウォエを支えるファードラルが言う。
「……すまない」
「どうしてあんたが謝るんだ?」
「……本当に、すまない」
「どうしたんだ」
ベブルが話を創作する。
「そいつは、デルンの手下だったんだ。だが、そいつが奴を裏切ったお陰で、俺たちはデルンの野郎をぶち殺せたんだ」
クウォエは驚く。
「そうだったのか……。だからいままで、私たちに名前を明かさなかったのか」
「いや——」
ファードラル・デルンはなにかを言おうとしたが、クウォエの言葉に消される。
「本当の名前を教えてくれよ。もういいだろ? デルンは死んだんだから」
「『銀の』……、『魔術師』。……それが俺の名前だ」
ファードラルはクウォエから目を背けた。
クウォエは不満そうだったが、その不満にあっさりとけりを付けてしまう。
「いいよ、それで。そのうち聞き出してやるからさ」
クウォエはファードラルから離れ、少し歩いた。もう歩けるようだ。それから、ベブルのほうを向く。
「リーリクメルド様、本当にありがとうございました」
クウォエは再度礼を言い、黒魔城の中のほうへと帰っていく。そして、大扉のところまで行くと、また振り返って彼に一礼し、奥のほうへと消えていった。
クウォエがいなくなってから、ファードラルはベブルに言う。
「なぜ嘘をついた。なぜ俺の名を明かさなかった」
ベブルは溜息をつく。
「言っただろ。お前は俺がデルン市民の前で殺すんだ。ここでギステゴージェンに本当のことを言ってみろ。お前はここであいつに殺される破目になってたぜ。それじゃあ、面白くねえだろ」
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