第二十章⑥ 彼を変えたものは

 ここまで、ファードラル・デルンは攻撃をまったくしなかった。彼はただ、空に浮いて“黒風の悪魔”が街を破壊していく様子を見ていただけだ。


 ベブルは、やはりファードラルは信用できないと思った。だが、その一方で、ファードラルの顔に焦りの色が出ていることも気がついた。


 ファードラルが言う。


「リーリクメルド。俺が力を貸す。全力で応えてくれ」


 少しの間悩んだが、ベブルは了承する。


「わかった」


 フィナはベブルを抱えて飛ぶ。そして、街を破壊している“アドゥラリード”の上につく。


 眼下では、ザンたちがこの怪物に攻撃を加えている。そこにベブルが上から参戦するのだ。


 ある程度高度を下げると、フィナは翼竜アーディを魔法でつくりだした。ここから先は、ベブルをこの魔獣に運ばせるのだ。もし攻撃を受けても平気なように。


 案の定、ベブルはすぐに攻撃を受けた。まず、“アドゥラリード”の放った“風の魔法スウォトメノン”でアーディは消えた。彼はそこから落下したが、怪物の体当たりを受け、横様に撥ね飛ばされた。


 そこへ、ファードラルが飛んで駆けつける。そして、あろうことかベブルに魔法を投げ付けたのだった。


「“天空の魔法ヴィニスフィニア”!」


 魔法を受け、ベブルはまた撥ね飛ばされる。“アドゥラリード”のいるほうへ。そこで更に、ファードラルは魔法を発動させた。


「“解除”ォォォッ!」


 ファードラル・デルンは、“アドゥラリード”の魔力障壁を魔力で相殺しようというのだ。その魔力障壁は元来最強と謳われていたうえに、によって更に強化され、果ては魔法を無効化する機能まで持ち合わせているというのに。


 ファードラルはこれまで、残る魔力を全て、“魔力強化の魔法”として自らに掛け続けていた。そして、時間を掛けて最大限に魔力を強化した上で、“解除の魔法”を使った。これは彼にとって、命を掛けた勝負だった。魔力がなくなれば“飛行の魔法”を使い続けることができなくなり、落下してしまうのだから。


 ファードラルの“解除の魔法”は、“アドゥラリード”の“魔法無効化の魔法”を解除し、更に魔力障壁そのものを打ち破った。ベブルが到達したときには、その怪物は完全に丸裸の状態だった。


 ベブルは空を舞う怪物にしがみ付き、その脳天に向かって、『力』を纏った一撃を叩き込んだ。貫通の力ではなく、消滅の力を。


 “アドゥラリード”は砕け散り、そして、空に解けて消えていった。


 ベブルはそこから地面に向かって落ちていったが、その途中でフィナに召喚され、彼女に掴まれた。彼はフィナにぶら下げられる形で空を飛んでいる。



 ファードラルは緩やかに高度を下げ始め、力尽き、“飛行魔法”が使えなくなり、落下した。そして、地面の上に倒れる。死んではない。ここまでに高度を下げていたのが救いだった。彼は震える腕で身を起こした。彼は血塗れで、そして、その血は止まることをいまだ知らず、流れ出し続けていた。


 ファードラルはそこから、立ち上がり、動かない身体を引き摺って走り始めた。破壊された街を。逃げ惑う人々とは逆の方向へ——破壊し尽くされた地域へ。


 走るファードラルの上に、背の高い建物が崩れ落ちてきた。彼はその下敷きになるかに思われたが、駆け付けたベブルに救われた。建物は、彼らのすぐ後方で通りを飲み込んでいった。


「おい、なにをしてやがるんだ、デルン!」


「待ってくれ、リーリクメルド! のだ」


 ファードラルはベブルを振り切り、また一心不乱に駆け出した。疑念は残ったが、ベブルは彼をそのまま走らせることにした。どうせいまの彼の脚では、ベブルから逃れることはできないのだから。


 ファードラルは、破壊された建物の前で立ち止まった。この建物は、隣の大きな建物が倒れて圧し掛かっているため、もうすぐで完全に押し潰されてしまうところだった。彼はその建物の中へ駆け込む。ベブルも、仕方なしにその後について行った。


 ファードラルは一階を駆け回り、なにかを探していた。そこには、誰もおらず、ただ、割れた壁の残骸や、形を失った家具があるばかりだった。彼は叫ぶ。


「どこだ! ギステゴージェン!」


 ここではないと悟ると、ファードラルは階段を上った。そして、いくつかある部屋を無視し、廊下の奥から二番目の部屋の扉の前で止まった。彼はそれを開けようとしたが、びくともしなかった。建物全体が歪んでいるために、扉が開かなくなってしまっているのだ。


 ファードラルは呼吸を整えると、心を落ち着けた。そして、魔法の詠唱を始めた。


「“炎の魔法エグルファイナ”!」


 だが、魔法は発現しなかった。もはや、少しの魔力も残されていないのだ。


「くそっ!」


 ファードラルは無闇に扉を押したり引いたりし、最後にはそれを無理矢理体当たりで破ってその部屋に入った。


「ギステゴージェン!」


 ファードラルは部屋の中の、壁の傍に横たわる女性の許に駆け寄った。彼女は白いローブを羽織っており、頭から血を流して倒れていた。彼は“治癒の魔法イルヴシュ”でそれを治そうとしたが、やはり魔法は現れなかった。


 ベブルは歩いてそこへ来ていた。全世界を恐怖によって支配してきたファードラル・デルンが人を救おうとしている、この状況が腑に落ちなかった。


 この部屋には、他にも女がひとりいたようだが、彼女はすでにこと切れていた。彼女は倒れている戸棚の下敷きになっていた。


 ファードラルはベブルに懇願する。


「頼む、ギステゴージェンを運び出してくれ、早く! ここが崩落するより先にだ! いまの俺では、この者を運ぶだけの力もない」


 仕方なく、ベブルはその女性を抱えて、階段を下りた。ファードラルもその後に続く。ふたりは外に出た。


 ファードラルが言う。


「ここは危険だ。より広い所へ」



 ファードラル・デルンの言った広いところとは、建物が崩壊しきって開けた土地だった。確かにここならば、これ以上物が上から落ちてくる心配はない。ベブルは、ギステゴージェンという名の女性をそこに寝かせた。彼女はずっと気を失ったままだった。


 そこへ、他の仲間たちがやって来る。一同には、状況が飲み込めなかった。もっとも、その場にいたベブルにも理解できないのだったが。


 必死になって“治癒の魔法イルヴシュ”を発動させようとしているファードラルを見て、フィナが“治癒の魔法”を唱えた。暫くすると、その女性の傷は消えた。


 女性は目を覚ました。だが、まだなにか様子が変だった。彼女の目は、焦点が定まっていないようだった。まるで、熱に浮かされているかのようだ。彼女はそばにいるファードラルを見つけた。


「あんたは……、『銀の』……」


「よもや、かかる事態とは。口を閉じよ。弄舌ろうぜつは控えよ」


 だが、その女性が黙ることはなかった。彼女は延々と言葉にならない何かを言い続ける。


 そこへ、別の男がふたり、そこへ駆けつけた。いずれも、白ローブの魔術師のようだった。彼らは言った。


「ギステゴージェン様!」


 しかし、その女性はやはり意味の解らない言葉を発するだけだった。白ローブの男のひとりが助けを呼ぶと言って、別のところへ駆けていった。


「一体、これはどうなってやがるんだ?」


 ベブルが、残った白ローブに訊いた。その男は、落ち着かない様子で答える。


「彼女は……、クウォエ・ギステゴージェン様は、不治の病に冒されておいでなのです。治療魔術師の見立てによると、もう数日のうちには命はないと……。ですが、このご様子では……、もう……」


 ファードラルはベブルたちに叫ぶ。


「助けてくれ! こやつを……、ギステゴージェンを救ってやってくれ、この通りだ。こやつの病気を治す薬は、俺には調薬することが出来ぬのだ」


「未来の技術なら救える可能性は……、あるにはあるが……」


 ウェルディシナはそう言った。


 ザンが別の意見を出す。


「いや、それよりは魔界ヨルドミスの技術だろう。黒魔城の魔法機械を使えば、すぐに病気は診断できる」


 白ローブの魔術師が驚く。


「黒魔城……? では、貴方はまさか……、魔王閣下?」


「まあ、そうだな」


「では、デルンの放った“アドゥラリード”を倒したのも、貴方様なのですか?」


 どうやら、デルン市民の間では、ファードラル・デルンが“アドゥラリード”を放して街を破壊させたのだと思われているようだ。そう言う白ローブの魔術師は、ここにいる銀髪の青年がそのデルンであるということを知らないようだ。


 だが、ザンは否定する。


「いや、俺じゃない。“アドゥラリード”を倒したのは、こいつ。ベブル・リーリクメルドだ」


 話をしていると、ソディが割り込む。


「ザン、急いだほうがいい。そうでなければ、彼女は死んでしまうだろう」


 ザンは襟の内側についている通信機に呼びかける。


「そうだな、……レミナ、転送してくれ。ここにいる全員だ。そう。余計な者もいるように見えるが、全員だ。頼んだ」


 そうして一同は、大きな光に包まれ、そして、消えた。


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