第十八章③ 折れた心のままで
次の日になって、全員がナデュクの研究室に呼び集められた。重大な話があるらしいということだった。
「みんな集まったか?」
ナデュクは椅子に座って机に向かっていたが、振り向き、背もたれに腕を掛けた。
「ああ」
ベブルは言った。彼の言うとおり、このときには全員が揃っている。
研究室には、ウェルディシナとディリアは先に来ていた。理論家として、ディリアはナデュクの得た資料を基に検討したのだった。
ディリアは言う。
「時空の歪み……、いえ、それ以上のことが起きている。時空の消滅が始まっているわ」
一同はざわついた。
「時空が……、消える?」
フィナは真剣な面持ちで、そう言った。ナデュクが肯定する。
「そうさ。カルドレイの空間粒子方程式というのがあってな。測定結果を基に、新しい境界条件を与えたんだ。結果、時空間は安定性を失い、世界の崩壊が始まっているということが判った」
「滅びたはずのレイエルスの神々が、この世に戻ってきた証拠だ」
ウェルディシナは自分の両肩を抱いて震えていた。ナデュクは軽く、首を縦に振る。
「そうと考えるのが妥当そうだ。“神の幻影イフィズトレノォ”……、そいつがアーケモスに現れる日は近い、ってことだな」
そこで、ベブルはあることを思い出す。
「そういや、俺とウィードとレミナは、レイエルスで変な奴に会ったんだ。オルグスと、オルス……、だったか。どっちも『レイエルスの創造神』を名乗ってやがったな。最上位の神だとか言ってやがった」
「もう、ふたりも復活してたのか?」
ナデュクは驚いてそう訊いたが、ベブルは否定する。
「いや、そうじゃない。両方とも同じ神なんだが……、まるで、ひとつの身体の中にふたりが入ってるようだった」
ナデュクは溜息をつき、腕を組む。
「ややこしいことになってんなぁ……。レイエルスの奴らも奴らで、復活するにしてもマトモじゃなさそうだな」
「そうですね。オルグスもオルスも、どちらも正気だとは思えませんでしたし……」
ウィードが同意した。そこで、スィルセンダが口を挟む。
「ちょっと待ってください。レイエルスの神と戦うことになったとしたら……、レミナはどうするのです? 彼女もレイエルスの創造神で、しかも、かなり高位の神なのですから。ねえ、レミナ」
だが、レミナの口調は明瞭だ。
「ご厚意には感謝します。しかし、わたしは今やアーケモスの者です。アーケモスへの脅威に対しては、徹底して抗戦します」
「ありがたいことだな。ここでごたごたがあったら、“イフィズトレノォ”相手に苦戦するところだった。まあ実際、どんな奴かはっきりせんのは確かだから、何とも言えんのだけど」
ナデュクの言葉に対して、ベブルにはまた、思い当たることがあった。
「あいつらの力のことなんだが、あいつら、強い魔法を持ってやがった上に……、俺と同じ『力』を——、俺とムーガと同じ『力』を持ってやがったんだ。何でも消す、破壊の『力』を……」
その場にいた全員が反応した。特に、ウェルディシナとディリアは恐怖の表情をさえ浮かべた。ディリアはその『力』によって身体を消されているのだ。そのような『力』を持った敵を相手にすることになると思うと、恐れてしまうのも無理はない。
だが、ナデュクはあっさりと答える。
「だろうな。君らと同種の力を持った化け物——か。そうでなければ、ムーガちゃんの身体を乗っ取るようなことはできないだろうしな」
乗っ取る……?
ベブルはずっと、心に引っかかっていたものがあった。
この『力』、そして、その持ち主の身体を乗っ取る——。
思い当たったのは、あの『声』の主だった。
「やっぱりな……」
ベブルは無意識のうちに声に出していた。彼は片手を額に当て、うつむいていた。
「どうした?」
ナデュクがそれを気にしたが、ベブルは片手を軽く振って誤魔化す。
「何でもない」
やっぱり、あの『声』の主は、レイエルスの最高位神だったということか。あいつが、いよいよ……、来るのか。
「それで、デルンタワーに殴り込みを掛けるわけだが、これは、極めて迅速に、かつ、目立たぬようにやってしまいたい」
ナデュクはそう言いながら、指を組んだ。
「と、言いますと?」
ウィードが説明を促した。
「いま、神の幻影“イフィズトレノォ”は、ムーガちゃんを探してるはずだ。デルンタワーで派手な戦いを繰り広げでもしたら、奴に見つかってしまうおそれがある。いずれは戦う必要のある敵だが、デルンを相手にしながら戦うのは無理だろう」
「うん……」
ムーガは首を縦に振った。
ナデュクは話を続ける。
「“強化アドゥラリード”さえいなけりゃ、デルンなんかカスだ。だがその分、“アドゥラリード”は尋常じゃなく強い。こいつは、ベブル・リーリクメルドとムーガちゃんのふたりで、全力で当たって、速攻で撃破して欲しい。何人かは、ふたりの支援に廻ってくれ。それから、あとの仲間は、デルンタワーにいるはずのディグリナートの相手をして欲しい。俺はもちろん、こいつの相手をする」
ウェルディシナが口を挟む。
「だが、ナデュク。問題はどうやってそこまで行くか、ということだったのではないか。デルンタワーに入るまでに、大きな戦闘になるのはまず間違いないはずだ」
「それについては、そうだな、ひとつ案があるんだが」
「なによそれ。さっきはまだ考えてないって言ってたじゃない」
ディリアはナデュクに文句を言った。ナデュクは笑う。
「いや、なにぶん難しいからな、言うか言おうか迷ってたんだが」
「それは迷ってるとは言わんだろう」
ウェルディシナの言葉が聞こえていないのか、ナデュクは椅子から立ち上がると、機材の山の上にある資料を探し始めた。探しながら、彼は言う。
「デルンは支配力に任せて、毎日宴会の好き放題だ。そんな中でも、明後日の宴会はかなりでかい奴でな。……ま、それだって定例のヤツなんだが。まず、ウェルちゃんとディリアがそこに潜入して、内側から手引きして欲しい」
「潜入といっても……、そんなことが可能なのか?」
ウェルディシナの質問に、ナデュクは首肯する。
「ああ。これを着ればいいんだ」
ナデュクはそう言って、機材の山の上から、一枚の大きな紙を引っ張り出した。そこには、デルンタワーの女中の衣装に関する情報が細かに記されている。
「君らふたりには、これを着て潜入してもらう」
「あんたねえ、そんなものをどこで手に入れたのよ」
ディリアは、明らかに嫌悪の意を込めて、顔を顰めた。しかし、ナデュクは至って気楽に答える。
「夜も寝ないで敵情視察さ」
スィルセンダは手を口に当てる。
「嫌ですわ。ナデュクってば、本当に覗きが得意なんですわね」
しかし、ナデュクは不真面目の産物を手に、真面目に語る。
「はっきり言って、俺たち元・『銀の黄昏』も、ムーガちゃんたちと同じように、顔を公表して捜されていないとも限らないんだ。まあ、ふたりには食料の買出しとかに行って貰ったけど。でも実際は、可能性は否定できない」
「お前、絶対に大丈夫だから買い出しに行けって言ったのは、どこの誰だったか?」
ウェルディシナは怒りを込めて言った。
「あれはただの気休めだ」
「あのなぁ……」
ウェルディシナには、呆れてものも言えなかった。
「そんなわけで、ふたりにはこの可愛いフリフリの服を着て、明後日の宴会に潜入して貰う。そうだな、ウェルディシナは、嫌だろうが顔のその包帯を外して。……そんな顔するなよ。何のための長い前髪だ。それで隠せばいいだろ。ディリアは、その長い髪をふたつに分けて、左右で括ったらどうだ。いまよりも更に三つは若く——十二歳くらいには見えるぞ。……いやごめん、俺が悪かった」
夜通しなにを頑張っているのかと思えば……。ベブルは呆れ、溜息をついた。
ナデュクはそれを見逃さなかった。
「なんか、俺の間違った印象が付いた気がする」
「気のせいよ」
ディリアは一蹴した。これは正しい印象である、と。
ナデュクは女中の衣装の資料を仕舞う。
「でも、君たちは戦えないんだろ? ディグリナート相手に。だから俺は、君たちには手引きと、時間稼ぎを頼みたかったんだ」
それを聞くと、ウェルディシナとディリアは押し黙った。彼の言っていることに間違いはない。彼女らふたりは強力な魔法を持っているが、オレディアル・ディグリナート相手にそれを使う決心はできていないのだ。ましてや、それで彼を殺すとなると。
ディリアは渋々承諾する。
「……あんたの作戦に乗るわ。そうすれば、あんたのことだから、他にも色んなことがうまくいくんでしょう?」
「まったく、お察しの通りで」
ナデュクは肯定した。
こうなっては、ウェルディシナもそれを認めるしかない。
「仕方がないな。これでデルンが始末できるというなら。……だが、我々が危うくなったらどうする? 女中の振りといっても、いつまでもばれないわけはないだろう」
「逃げてくれて構わないさ。……そうだな。その辺については他の考えがある。また、後で話すことにするよ。内部の地図と、転送装置の改造暗号も後で見せる。そうだそうだ、女中の仕事の当番表も写してあるから、そいつも見せるよ」
「……用意周到だな」
ベブルは感心した。ナデュクは、盛大にふざけるだけふざけて、自分の努力の成果の部分についてはさらりと流してしまうのだ。まるで意図的に、できる人間に見せていないかのようだ。
「作戦はまだまだ積み上げてる最中だ。この線で行くなら、明後日の夜出発だ。まあ、女給のふたりには事前に夕方から入って貰うがね。さて、どういたします? 皆々様方」
ベブルは了承する。
「これでいい。機会があるうちに攻めるのがいいだろう。向こうも結構浮かれてるようだしな」
フィナも首を縦に振った。彼女もこの方法を支持するらしい。
ウィードも同意する。
「僕とレミナも、この作戦でいいと思います。“イフィズトレノォ”がいつやって来るのか、わかりませんからね」
スィルセンダも頷く。
「わたくしも、ナデュクの考えでよいと思いますわ。……正直、わたくしは少数精鋭には入らないのでしょうけれど」
しかし、ここで、ひとりだけ意思を表明していないものがいた。
ムーガだ。
今回の作戦の、そしてこの戦いの中心人物である彼女が、なにも言わないで俯いているのだった。
ベブルがムーガを肘で小突く。
「おい。どうしたんだよ」
ムーガはゆっくりと、顔を上げる。
「……わかった。これで行く」
全員が沈黙していた。ムーガはまだ、立ち直れていないのだ。折れた心のままで。
ナデュクは暫く口を噤んでいたが、やがて、溜息をつき、肩を竦めてみせた。
「これで話は纏まった。ま、各自、適当に戦法なり、班割りなりを考えといてくれ。俺にはまだすることがあるから、それじゃあな」
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