第十八章② 折れた心のままで

 その二日後の夕方ごろ、外の様子を見廻りに出ていたディリアが、泣きそうな表情をして帰ってきた。彼女も黒いローブを羽織っていなかった。また、それに合わせた模様の入っていたスカートは、別のものに代えていた。


 ディリアは涙声で言う。


「『星隕』が——オレディアル・ディグリナートが、デルンの側につくと言ってきたわ」


 いまやオレディアルは、仲間だったはずのナデュク、ウェルディシナ、そしてディリアとすら対立するつもりなのだ。


 ウェルディシナは憤慨する。


「なんてことだ。あの男、自ら世界を崩壊させておいて、その修正の義務を放棄したというのか!」


 そこには、ナデュクもやって来た。ベブルたちはすでに集まっている。


「それで、どうするつもりなのです、ナデュク?」


 スィルセンダがそう訊いたが、ナデュクは顔色ひとつ変えなかった。いや、むしろ、自信有り気に笑んだのだった。


「こんなこともあろうかと、もうずっと前から、ディグリナートがここに入れないように処理は施してあるんだ。……ディリアがここまでつけられていたかもしれない。転送装置の場所を移動しておこう」


 ナデュクは、実に用意周到なのだった。この周到ぶりは、目下の敵であるファードラル・デルン以上かもしれない。


 ベブルがナデュクに言う。


「お前、かつての仲間を相手に戦えるのか?」


 ナデュクは笑う。


「なんてことはないさ。端的に言えば、俺の仲間は俺ひとりだ。なんだかんだ言ったところで、あんただって結局そうだろう?」


「ああ、まあ……。そうかもな」


「はは、まあ、人それぞれ、色々あるってことよ。俺の場合、ディグリナートを叩くのはどうってことないのさ」


「でも、ディリアさんには辛いかもしれませんね」


 ウィードが横合いから言った。確かにそうだ。だからこそ、ディリアはつらそうな表情をして帰ってきたのだ。


 ナデュクは素直に肯定する。


「それはわかってるさ。俺みたいなヤツのほうが、正直、少ないんだろうな。ウェルちゃんとディリアは感情的すぎる」


 その言葉にウェルディシナが激昂する。


「お前な、こんな状況でよくそんなことが言えるな! 味方が——ディグリナートが敵に廻ったんだぞ! 解ってるのか!」


 ナデュクは両手を振って降参する。


「はいはい。解ってるよ。よく解ってる。君らには、あまりにも酷なことだ。俺だって人間だ。そのくらい解るさ」


「なんだ、他人事のように……」


 ウェルディシナは両の拳を固めていたが、それ以上なにも言うことができなかった。


「じゃあ、俺は戻って仕事を続けさせてもらうぜ。資料が取れたら、ディリア、頭脳派の君に廻すから。ああそうだ、メシは例の如く、勝手につくって食っといてくれよ」


 ここに一番遅く集まって来たのはナデュクだったが、一番早く立ち去ってしまうのもどうやら彼のようだ。


「わたくしもそのお仕事をお手伝いしますわ」


 スィルセンダはナデュクに協力を申し出た。だが、それは断られる。


「君は料理班だ。まともに料理がつくれるのがウィードとフィナちゃんだけってのは大変だろうからな。そうだ、ついでに俺の分もつくって、おいといてくれよ」


 ナデュクはそう言って、自分の研究室に引っ込んでしまう。仕方なく、スィルセンダは料理班に加わった。


++++++++++


 料理をするときには、フィナが主導していた。正確には、彼女が主な部分を担当して、その手伝いを周りに指示する形になっていた。


 ムーガの包丁の扱いは非常に危なっかしい。彼女はまったく料理をしたことがないのだ。これまでずっと、基本的に他の人間に料理を任せてきたからだ。例えば、ウィードに。


 ウィードは軽快な包丁捌きで、次々と野菜を微塵切りにしていく。彼の微塵切りは本当に細かく、ほとんど流動力になってしまうため、超高齢者には好評だったと、ベブルは後でムーガから聞いた。


 スィルセンダは、料理の世界に爪先で豪快に蹴り込んだムーガに、手取り足取り、基本の基本から教えている。だが、ムーガがあまりにもできないので、彼女とムーガ、ふたり合わせてひとり分の半分も作業が進まない。むしろ、作業場所の邪魔ですらある。


 そしてベブルは、これまで通り、今回も料理は他人任せだった。彼はひとり居室に取り残されていたのだが、退屈になって、厨房を見にきた。ムーガはなかなか奮闘している。だが奮闘するだけで、それは料理ではなかった。


「これでいいのか?」


 ウェルディシナの腕前は、初心者だった。だが、それほど悪くもなかった。作業は遅いが、フィナの指示通りに動いている。


「そう」


 フィナは満足げにうなずく。彼女は鍋を火に掛け、そこへ水と調味料とを加えていた。


 レミナも、フィナに指示される側の人間——もとい神だったが、その作業は的確かつ精密で、しかも迅速だった。彼女は黙々と肉を切る。


 ディリアは、フィナに言われた調味料を用意して、叱られていた。いわく、多過ぎる、少な過ぎる、遅すぎる。終いには、正確に量り取ったはずの調味料をこぼし、鍋の横に落とす。



 そのとき、ベブルは思った。カルドレイ、お前、ちゃんとレフィニアに勝つところがあるじゃねえか。


 以前、ヤッヅ・カルドレイはディリア・レフィニアを恋敵とし、彼女に勝てる分野がなにひとつないことを嘆いていた。だが、ヤッヅは料理が上手く、対するディリアは料理の初心者だった。勝てる分野はあったのだ。ただし、ヤッヅは甘党なので、彼女のつくる料理はどれも微妙に甘かった。



 そう思っていた瞬間、スィルセンダの顔が半分、餡掛まみれになる。それは彼女の前でムーガが混ぜていたものだった。ムーガは豪快に中身を撥ね飛ばしたのだ。


 半ば放心しているムーガが言う。


「あ……。ごめん」


 ムーガはそれから、なにか拭くものを探そうとして、歩こうとして、それから転んだ。


 手に持っていた御椀を投げ、台、鍋、そしてその先にいたウェルディシナに中身をぶち撒ける。前もって気付いていたレミナは、さり気なくそれをかわしていた。


 ベブルは大笑いした。


 大失態を見られたムーガは、ウェルディシナに謝ることも忘れてわめいた。


「こんな狭いところでやるから悪いんだ!」


「でもムーガさん、貴女が一番場所とってますよ」


 ウィードがすぐさまそう返したが、ムーガは聞き入れず、怒鳴る。


「うるさいっ!」


 ベブルはまた、大笑いした。


 ただ、顔や髪、服を汚されたスィルセンダとウェルディシナにとっては、ちっとも笑いごとではなかったが。


「はやく」


 フィナは不満そうだった。


++++++++++


 実は、俺の部屋には料理をつくる魔法機械がある。なんて言ったら殴られそうだな。


 ナデュクはそう思いながら、椅子に座った。机の上には、積み上げられた機材と書物があったが、御椀一杯の食事もまた、そこにあった。彼はそれを時々口に運びながら、書物を見ながら、部屋に篭って機械と睨めっこをしていた。


 ま、共同作業は楽しいらしいし、ここらで少し、気分を入れ替えて貰わんとね。


 そう思いながら自分の仕事に取り組んでいたナデュクは、作業中、なにかに気付いた。


「これは……」


++++++++++

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